陸上・駅伝

連載:私の4years.

心の葛藤と向かい合い、チャレンジし続けたい 加納由理・5完

2010年の名古屋国際女子マラソンで優勝したときの筆者(12番、写真はすべて本人提供)

連載「私の4years.」12人目は、元マラソン日本代表の加納由理さん(41)です。兵庫県出身の加納さんは名門・須磨学園高校から立命館大学に進み、実業団でも長く活躍。2009年世界陸上ベルリン大会では女子マラソン日本代表に選ばれ、7位に入賞しました。5回連載の最終回は、初めてマラソンの国際レースで優勝したこと、そして引退して今挑戦していることについてです。

初めてつかんだチームでの優勝、走る楽しさを知ったマラソン挑戦 加納由理・4

世界陸上のあと、なかなか戻らない調子

2007年からフルマラソンに参戦しましたが、2位、3位というポジションが定位置でなかなか優勝へは手が届きませんでした。

2009年夏のベルリン世界選手権後、私は本当に疲れていました。身体もメンタルも疲れて、走っても身体が動かないので、キレもなく、練習もレースも「何とかこなしている」状態でした。翌年の年明けまではほとんど意地だけで走っていました。

そんな中でも出るレースを決めなくてはならないので、自分自身相性が良いと思っている「名古屋国際女子マラソン(現・名古屋ウィメンズマラソン)」を走ることに決めました。「名古屋まではやり切って、その先はどうやっていくかはその後決めよう」という心境でした。

世界陸上マラソンでの入賞で、たくさんの方に祝福されました

レース前の合宿は、常に身体がだるかったのを覚えています。今だったら、なんでそうなったのかも想像できるし、練習も変更すれば良かった、などいろんな選択肢があったなと思うのですが、当時の私にはそこまで考えるキャパもありませんでした。なので、レースを迎える頃は気持ちが「ふわっ」としていたのを覚えています。集中力を切らせたら、どこまでも落ちていきそうな感じ。

万全でない中、国際レースで初優勝

レースは、3月にしては高温になりました。確か、20度を超えていたと思います。それが幸いしたのか、レースがスローペースになったのに救われました。ハイペースになっていたら、多分つけなかったと思います。

30kmまでは、心の中で「大丈夫」と言い聞かせました。それまでも何度かしんどい場面がありましたが、「今日のレースは負けるわけがない」と思って、自分を落ち着かせました。32kmで集団から飛び出して逃げたあとは、後ろから追いついてくることを考えると怖くて、後ろは1度も振り返りませんでした。

出身地の市民栄誉賞もいただきました。優勝することで見えるものもたくさんありました

結果は優勝、記録は2時間27分11秒。
マラソンで勝つには、自分自身のコンディションも大事ですが、誰と戦うか、タイミングや気象条件や運も関係しているなと感じていました。記録や内容は十分に納得のいくレースではありませんでしたが、この優勝は素直に喜ばないといけないなと思いました。

けが続きの期間に自分を見つめ直す

それまで比較的けがは少ない方でしたが、この年、32歳を超えてからけがを連発するようになってきました。心当たりはありました。2008年、30歳の冬辺りから1年ほど生理不順になったのです。その間に身体は悲鳴を上げていたんだと思います。

気づいたら、これまで「自分は絶対に無縁」と思っていた疲労骨折も起こすようになりました。はじめての疲労骨折は2012年、34歳の冬。引退が2014年の5月なので、それまでに3回疲労骨折をしました。1年に1回ペースですね。

名古屋での優勝で、アジア大会での代表にも選出されました

2012年の名古屋ウィメンズマラソンに出場しましたが、疲労骨折あけで満足に練習はできていない状態。けが続きでも「もう1度フルマラソンをちゃんと走りたい」という思いが捨てきれませんでした。チームで動いているにも関わらず、自分にフォーカスした練習も組んでもらったりしましたが、結局その後、現役中にフルマラソンを走ることは叶いませんでした。

逆に、けがをしている時は悪いことばかりではなく、いろんなことに目を向けるタイミングでもありました。本を読みあさったり、他競技の選手の話を聞いたり、そもそも自分は今どこに向かっているんだということを考えました。本や人の話を聞くことで情報をインプットして、「自分だったらこうだ」と翻訳することもやってみました。改めて自分を振り返ることで、自分のできることや立ち位置を考えるタイミングになったと思います。

引退、そして新しいチャレンジ

2014年5月に現役を引退。気づけば35歳まで走っていました。
引退後しばらくは自分探しをする期間に当てました。自分はこれから何をやっていきたいのか。手当たり次第知り合いに会って話をしましたが、何もわかりませんでした。

引退して1年ほど経った頃、共通の友人から株式会社ウィルフォワードの成瀬拓也さんを紹介していただきました。成瀬さんは、筑波大学陸上部の長距離で、箱根駅伝を目指されていた方です。現役時代の私のことも知っていました。成瀬さんとの出会いが、私の引退後の人生を動かすことになりました。

その頃の私は自信を失い、かなり自分自身の評価も下がっていた頃でした。しかし、成瀬さんとの話の中で、「アスリートとしてやってきた価値をビジネスでも生かしていこう」の言葉に感化され、これまでほぼやったことのないことを1からやっていくことにしました。執筆、講演、マラソンのゲストランナー、マラソンのイベント企画・運営。すべてが新しいことでした。

まず、私は無愛想だったので、笑顔になることや人とのコミュニケーションからはじめました。自己紹介や他己紹介も雑になりがちですが、そこが一番大切なんだと叩き込まれました。文面を書き起こしたり、文章中に使う写真をどれにする、なども量をこなしていくうちに感覚がつかめてきました。

これからもたくさんの人と出会い、チャレンジしていきたいと思っています

色々やっていく中で気づいたのは、今自分がやっていることって、陸上に翻訳したらすごく面白いなということ。現役のときは「競技力を向上させるには、練習しかない」と思いこんでいました。しかしその考え方を変えられれば、技術以外のものの必要性を感じられ、成長できるんだと確信しました。「なんで現役の時にこれができなかったんだ」とも思いましたが、よく考えたら気づけるきっかけもなかったよな、と思いました。

今は自身のサイトやnoteで、自分の気付きや考えていることなどを発信するようになったことで、頭の整理ができるようになりました。それは、現役の頃の指導者や同僚、引退後の人との関わりの中で、新しいことをインプットして、アウトプットして、それをまたブラッシュアップするという作業を繰り返してきたから。

私自身はまだ発展途上の中ですが、これからも変化を拒まず、いろんなことにチャレンジしていきたいと思っています。

私の4years.