浦和レッズ内定の中大・大久保智明、高校での挫折から技も心も鍛えて
中央大学友会サッカー部の選手寮から東京都板橋区の実家に戻り、約2カ月が過ぎた。Jリーグの浦和レッズに加入が内定している大久保智明(4年、東京ヴェルディユース)は左ひざの状態を確認しつつ毎日のようにジョギングで汗を流し、主に上半身の筋力トレーニングに励んでいる。リハビリ期間はすでに5カ月以上に及ぶ。昨年9月に負傷し、12月16日のインカレ準々決勝まで痛めたひざをかばってプレーした影響でけがを悪化させてしまったのだ。「無理をしたので治りは遅いと言われましたが、日に日に良くなっています。骨挫傷(こつざしょう)は日にち薬なので」
焦りは禁物と自らに言い聞かせる。それでも、新型コロナウイルスの影響でいまだ始まっていない関東大学リーグに思いを馳(は)せる。仲間のことを考えれば複雑な気持ちになるが、率直な思いは隠そうとしない。「僕にとっては良かった。リーグ開幕に間に合う可能性が出てきました」。ラストイヤーにかける思いは強い。モチベーションの一つは、高校時代に一度閉ざされたプロへの道を切り拓(ひら)いてくれた大学への恩返しだ。
高3で夢破れ、兄の言葉で大学サッカーへ
「目標は日本一の集団になること。試合に出て、点をとって貢献したい。スカウトも強いチームを見に来ると思うので、(プロを目指す)仲間のためにも頑張りたいと思う。そして、後輩たちにも僕から伝えられることはあるし、何かを残したいです」
東京ヴェルディのアカデミー組織に所属していた成立学園高校(東京)3年生の夏、クラブとの面談でトップチーム昇格の見送りを告げられ、ショックに打ちひしがれた。涙が止まらず、気づけば携帯を握り締め、当時拓殖大のサッカー部員だった3歳上の兄・広一へ連絡していた。電話越しから聞き慣れた声が耳にすっと入ってきたのを覚えている。
「客観的に見て、いまのお前がプロにいく実力があるかと言えば、クエッションだよ。大学にはうまい選手がたくさんいるから、そこでもう一度頑張ればいい。1年早いと思って、3年生が最終学年くらいの気持ちでやれ」
幼いころから一緒にボールを蹴り、慕ってきた兄の言葉を真摯(しんし)に受け止めた。
1対1を動画でもチェック、何度も何度も練習を重ね
18歳の大久保は再びプロを目指すために、全日本大学選手権で8度の優勝を誇る中央大サッカー部の門を叩く。1年生からレギュラーを目指したが、現実は厳しかった。セカンドチームで下積みの日々。100人近くいるサッカー部員の中に身を置き、1年生のときは夢が遠のいていく気がして焦りを感じた。「ヴェルディのユースにいたころはプロを身近に感じていたのですが、大学に入り、試合にも出場できず、どうすればプロになれるのかが分からなくなった時期もありました」
そのとき一度立ち止まり、選手寮でプロに近いと言われる先輩の生活態度をじっくり観察した。同部屋だった当時4年生の矢島輝一(きいち、現・FC東京)はけがをしている時期も自分の決めた時間に食事、睡眠を取り、トレーニングするリズムを崩していなかった。「こういう人がプロになれるんだと思いました」。その一方で反面教師にすべき先輩も見て、改めて確信した。「1日1日を無駄にしないためにも、時間の使い方を考えないといけない」
プロを目指す同期と話しても、みんな同じ考えを持っていた。意識して練習に取り組んだ成果はしっかり出た。2年生の4月にリーグ戦デビューを飾ると、6月には初アシストをマーク。夏にはレギュラーを獲得し、切れ味抜群のドリブラーとして、プロ関係者から目をつけられるようになる。
絶対の自信を持つドリブルは、居残り練習のたまもの。毎週火曜日の夕方、当時4年のDF上島(かみじま)拓巳(現・アビスパ福岡)と1時間半ほど、1対1の練習を繰り返していた。動画を撮影して見返し、互いのプレーを指摘するまでがセット。時間を忘れるくらい打ち込んだ。その翌日は体が重くなるほどだった。「すごくいい時間でした。間合いとか、緩急とか、この角度なら抜けるなといった感覚をつかみました」
すでにこのころから浦和レッズの長山郁夫スカウトは、独特のリズムを持つレフティーの才能にほれ込んでいた。「スピードに乗ったドリブルは簡単にストップされない。独りよがりのドリブラーではなく、人をうまく使うこともできる」
日記を書いて、見直して、自分自身に問いかける
本人も大学リーグで試合を重ねるごとに自信を深めていく。2年生の終わりには、プロ入りの可能性が高まっていることを感じたという。3年生になると、早くも進路が見えた。浦和、そしてもう一つ地方の中堅クラブからも声がかかった。早すぎるとは思わなかった。入学前に掲げた目標は20歳までに内定をもらい、特別指定選手としてJリーグに出場すること。ただ、悩んだのはクラブ選び。浦和は各ポジションに日本代表クラスがそろい、選手層はJリーグでも指折りである。「サッカー選手は試合に出てなんぼ。レッズにいくことには怖さがありました」
家族や同期だけではなく、大久保は1年生のときにキャプテンを務めていたOBの須藤岳晟さんにも電話をして相談した。尊敬する先輩の言葉は明快だった。「男は覚悟だ」。その一言を聞き、心は決まった。「逃げてはいけないと思いました。本当にいきたいのはレッズでしたから」
21歳を迎える直前の2019年7月9日、浦和への内定が発表された。20歳までに特別指定でJリーグ出場という当初の目標は達成できなかったが、関東大学リーグでは3年生でいち早くプロと仮契約を結んだ。しかし、内定は大学サッカーのゴールではない。
現在、大久保は自宅で過ごす時間が多い中、大学2年生のころからずっとつけている日記を見返している。内定をもらう前のモチベーションと比べて、いまのメンタルはどうか。あのときと同じようにどん欲に成長したいと思っているか。自身に問いかけている。「ふとしたときに日記を開き、過去の自分と比べるんです」
いま手元に広げているノートは5冊目。時間は決して無駄にしない。中大で学んだ初心を忘れず、リーグ開幕に向けて気持ちを高めている。