もっと突き抜けたい、もっと挑戦したい アメフト日本代表主将・近江克仁2
今年2月、アメリカンフットボールの日本代表が5年ぶりに結成された。3月1日のアメリカでの国際試合に向け、藤田智ヘッドコーチが主将を任せたのは24歳のWR(ワイドレシーバー)近江克仁(おうみ・よしひと、立命館大~IBM)だった。近江は大手損保会社に勤務しながらクラブチームのIBMビッグブルーでプレーしてきたが、今年1月に退社。日本人初のNFL選手を目指して、フットボールにかけている。彼の歩みを振り返る連載の2回目は、社会人になってからの2年間についてです。
世界を目指す道が見えなかった大学時代
近江には立命館大学時代からアメフトで世界を目指したいと思っていた。「アメリカのカレッジでも活躍できたっていう気持ちがあったし、NFLのトップレベルの選手には追いつけないかもしれないけど、セカンド、サードぐらいのレベルにはいけるはずやと思ってました」。短期間、アメリカの大学を訪問してきた後輩は「近江さんやったら、絶対いけますよ」と言ってくれた。実際にプレー映像を見ても、近江にとって「こいつ、しょぼいな」という選手が結構いた。でも、当時の近江には世界を目指す道が見えなかった。「とりあえずはXリーグでナンバーワンのレシーバーになったろう」と心を決めた。
就職活動前の段階で、企業チームの富士通とパナソニック、クラブチームのオービックとIBMから声がかかっていた。近年の社会人Xリーグで頂上争いをする4チームだ。就活を始めてみると、アメフトではなく、自分の実力で大企業に入りたいという思いが募った。「自分自身の仕事に対する思いを伝えて、それが企業にどこまで通じるか、いろいろ話してみたいと考えるようになったんです」。それに、企業チームに入ってしまうとアメフトでも仕事でも同じつながりになってしまって、社会人になるにあたって目標にした「人脈を広げる」ことにマイナスになる気がした。だからクラブチームでプレーを続けることにした。東京海上日動から内定をもらった。
IBM加入を決めた三つの理由
二つのクラブチームからIBMを選んだのには、三つの理由があった。まずは、IBMの方が早く試合に出られると思ったこと。すぐにでも外国人のDB(ディフェンスバック)と勝負がしたかった。二つ目は、IBMには京大や早稲田大といった、これまであまり交流のなかった大学出身の選手たちが多かったこと。「一緒に練習してみたかったし、社会人としてどんな考えを持ってるんだろうってことにめちゃめちゃ興味がありました」。三つ目はIBMが成長過程の集団だったこと。チームづくりにも関わっていけるのは魅力的だった。加えて、かつて「NFLに最も近い男」と呼ばれ、海外挑戦をしていたWR栗原嵩(昨シーズン終了後、みらいふ福岡SUNSへ移籍)が在籍していたのも決め手の一つだった。
2018年の春、東京海上日動の入社式では、新入社員約800人の代表の一人として登壇。自己紹介をして、かけ声の音頭をとった。これまでのアメフトと同じで、関西の大学出身者の中でもリーダー的な立場だった。そして近江は名古屋で働き始めた。主に自動車保険を担当。終業後に先輩に連れられ、取引先の接待に顔を出す日々。あるディーラーの社長に気に入られ、営業担当に「逆指名」されたこともあった。
接待のあと、午後10時からトレーニング
接待のあと午後10時ごろから、24時間営業のジムで体を鍛えた。日付が変わるころに寝て、朝6時に起きて出社。社会人1年目の近江は、この生活サイクルが「カッコいい」と思っていた。「いいメシが食えるし、お酒はたしなむ程度にして10時から筋トレしてる俺、充実してない? って感じてました。平日のスケジュールはパンパンで、土曜日にIBMの練習で東京まで行って、日曜日に名古屋に戻ってきて死んだように寝て、月曜からまた仕事。サラリーマンの中でも頑張ってるほうちゃう? と思ってましたね」
そんな社会人1年目が終わった。IBMのチーム内でパスオフェンスのメインターゲットになって、そこそこ活躍できたという思いはあった。でも、よくよく考えてみると、とても満足できる一年ではなかった。「栗原さんがマークされるから、僕がメインターゲットになれただけでした。栗原さんに身体能力は追いついてないし、それ以外の面でも追いついてなかったんで、このままじゃXリーグナンバーワンのレシーバーになられへん、と」
飲み会の誘いを断り、ジムへ
しっかり自分を追い込んでトレーニングするため、社会人2年目に入ると、思い切って接待への同行を外してもらえるようにお願いして認めてもらった。職場の飲み会もほぼ不参加で、参加するときもアルコールは極力口にしなかった。それまでは「(飲みに)行きましょうよ」というタイプだったのに、一変。職場の先輩たちからいぶかしがられ、責められたりもしたが、「トレーニングしたいんで」と1次会で抜け、午後8時にはジムに入った。
アメフトに対する見方も変わった。Xリーグに所属する外国人選手と連絡をとるようになっていたが、彼らは試合で自分が残した数字を大事にしていた。「アメフトを始めてからずっと、自分が試合で何回捕ったとか、何ydゲインしたとか、気にしたことがなかったんですよ。でも外国人選手がすごく数字を気にしてて。よく考えてみると、NFLって数字の分析がすごいんです。めちゃくちゃ詳細で。会社の営業の数字と同じような重みがあることに気づきました」
目指せ! リーディングレシーバー
そこで社会人1年目のシーズンのリーディングレシーバー(Xリーグはパスキャッチで前進した距離で順位をつける)が誰かを調べ、1年後に自分がその立場になるにはどうしたらいいのか考えた。パス獲得距離でトップに立てば、Xリーグのナンバーワンレシーバーと言えるだろう。目標が定まると、トレーニングにも一段と力が入った。
2年目の春、2019年6月2日、東日本の社会人王者を決める「パールボウル」の準決勝で、IBMはノジマ相模原と戦った。タイブレーク方式の延長戦にもつれ込み、IBMが40-33で勝った。この試合が海外挑戦を決意するうえで、大きな後押しになった。この日、近江は延長戦も含めて9回のキャッチで168ydを獲得、タッチダウンを一つ決めた。試合を通じて、相手の外国人DBと対峙(たいじ)することが多かったが、ほぼ自分の体を触らせなかった。あとから彼がNFLのチームのプラクティススクワッド(練習生契約)を勝ちとったことがあると聞いて、近江は「全然やん」と思ったという。
そして考えた。「自分が飲み会を断って目指してるのは何なのか。単にリーディングレシーバーになることなのか。そうなって意味があるのか。アメフトを始めて、毎日うまくなろうと思って練習してきて、ほんまに目指したいのはどこなんや?」と。思い出した。小学校の卒業文集に、将来の自分について書いた言葉を。
「プロフットボーラーになって億万長者になっている。近江克仁」
みんながやらないことを、やる
原点に戻った。もともと目指していたのはそこだった。「日本人が誰もNFL選手になれていない状況で、挑戦する人も少ない。僕が挑戦するしかないやろ、と思いました。みんながやらないことを率先してやろうというのは、キャプテンになるときの意志決定と同じだったかもしれないです」
仕事をやめたらどうなるか、と考え始めた。大企業に入って、このままサラリーマンとして生きていく。自分ってそういう人間だったのか? 「いや、もっと突き抜けたいし、もっといろんなことに挑戦したいし、こんなとこでとどまってる自分はダサくないか?」
安定した暮らしを捨ててでも海外挑戦を
海外挑戦の決意を固めつつ、秋のシーズンに入った。そしてシーズンの途中で腹をくくった。このシーズンが終わったら会社をやめてチャレンジする、と。ちょうどそのころ、IBMのチームスポンサーである会社の社長と話す機会があった。「挑戦するならサポートするよ」と言ってくれた。これで完全に決まった。「大企業に勤めていれば安定した暮らしができる。でも、それを捨ててでも挑戦する方が、自分の未来にとって価値があると確信しました」
試合でパスを捕るたび、貪欲(どんよく)に前へ突き進んだ。リーグ戦7試合で33回パスを捕って544ydを稼ぎ、七つのタッチダウンを奪った。外国人選手をおさえ、狙い通りにリーディングレシーバーに輝いた。そして今年1月、近江は会社をやめた。