陸上・駅伝

延藤潤、山本憲二 東洋大の先輩と同様、実業団で強くなる マツダ・定方駿 (下)

昨年12月、箱根駅伝前の壮行会での定方駿。マツダに入社後の活躍に期待だ(撮影・藤井みさ)

定方駿(マツダ)は今春、箱根駅伝を一度も走らずに東洋大学を卒業した。一番の目標としていた大会に出られなかったが、今後が期待されるのには理由がある。1つは3年時までは一度も駅伝に出られなかったが、4年時には出雲全日本大学選抜駅伝と全日本大学駅伝で東洋大の主要区間を任され、出雲は6区区間3位、全日本は7区区間2位と快走したこと。血筋が競技力を決めるわけではないが、今年3月の東京マラソンで2時間07分05秒(日本歴代9位)を出した定方俊樹(MHPS)の弟であること。そしてマツダの育成ノウハウが、大学で活躍できなかった選手を卒業後に伸ばしていることだ。

全2回の記事の後編では、東洋大からマツダに進んだ先輩・延藤潤と山本憲二の現在、そして定方のこれからについて紹介する。

東洋大で4年時には主力に成長も、箱根敗戦の責任を負って卒業 マツダ・定方駿(上)

東洋大OBの山本と延藤がマツダで強くなった理由とは?

定方駿が入社したマツダでは山本憲二と延藤潤、東洋大のOB2人が活躍している。山本はマラソンで2時間08分42秒の記録を持ち、昨年のびわ湖マラソンでは日本人1位。ニューイヤー駅伝でも最長区間の4区を6回任されている。

延藤は持ち味のスピードを生かし、昨年のニューイヤー駅伝3区で区間2位。区間1位とは2秒差で、15人抜きを演じた。4区の山本も区間3位と好走してチームは7位。古豪マツダが42年ぶりに入賞した。延藤は今年2月の全日本実業団ハーフマラソンでは1時間00分56秒の好記録をマークし、長い距離でも徐々に力を発揮している。

延藤は設楽啓太(現日立物流)・悠太(現Honda)兄弟や定方俊樹と同学年だったが、定方駿と同じで箱根駅伝に出場できなかった。レースになると限界を超える走りができるタイプで、結果的にケガが多かった。マツダで成長できた理由を「体幹やフィジカルをしっかりさせるために、ウエイトトレーニングも本格的に行った」ことを挙げている。

そしてメンタル面である。学生時代はプレッシャーに弱く、大一番の直前に痙攣(けいれん)したり下痢になったりした。マツダではメンタルトレーニングも専門家の指導のもとでしているが、駅伝で優勝を目指した東洋大時代のメンタルも今につながっている。

今年1月の都道府県男子駅伝、兵庫チームのアンカーを務め2位でゴールする延藤(撮影・藤井みさ)

「マツダは会社の創立100周年になる今年、ニューイヤー駅伝の優勝を目指していました。(目標は達成できなかったが)学生時代を強い選手たちと一緒に優勝だけを目指して過ごしたことで、実業団でも大きな目標に向かうことになっても自分に壁を作りませんでした。目標に対して責任感も養われていたと思います。駿も今後、そういった気持ちで取り組めば実業団で成長できると思います」

山本も大学時代は、同学年の“山の神”柏原竜二とは力の差があった。箱根駅伝は3年時に10区区間賞、4年時に3区区間2位と好走しているが、「強いチームだから走れたケース。周りに走らせてもらっていた」と今は考えている。マツダで伸びた要因を「自分でしっかり考えたこと。探究心を持って取り組むことで、これをやれば変わっていくと、楽しんで練習できている」と自己分析した。

4年時の箱根駅伝で3区を走る山本(代表撮影)

そうした選手個々の姿勢にプラスとなっているのが、各選手が情報をどんどんオープンにするチームの雰囲気だという。

「ポイント練習以外に何をしているのか、どういう考え方で試合や練習での判断をしているのか。ミーティングで具体的な練習の仕方や考え方を話しています。圓井(彰彦、以前のマツダのエースで今季からコーチ)さんや僕が30歳近くになってわかるようになったことを、23~24歳の選手が知ることができたら参考にできると思うんです」

マツダでは社員が業務で使う目標達成シートを陸上競技でも活用し、その内容も全部員が共有している。

昨年のびわ湖毎日マラソンで日本人トップになった山本(左から2番目)ら(撮影・朝日新聞社)

フィジカル面のトレーナー、メンタル面のアドバイザー、そしてスポーツ栄養士と、外部の専門家の充実したサポートを受けられることも特徴だが、山本いわく「専門家の方たちの話を理解する能力」が重要になるという。

「専門家の方たちの意見を聞いて、今まで自分がやってきたことが何だったのかを理解した上で、自分のやりたいことも相談していかないと、有効なサポートを受けられません。コミュニケーション能力が自分の可能性を広げることになるんです」

定方俊樹の記事で紹介したように、東洋大ではチームの問題点をとことん話し合う。マツダのミーティングや実業団選手として必要なコミュニケーション能力とは異なるが、山本は「意見を言う、考えを説明するという部分は同じ」と、学生時代の習慣が役立ってきたという。

兄を超えることで代表に近づく

定方駿は実業団での目標を、「世界陸上やオリンピックのマラソンを、日の丸を付けて走りたい。兄ともマラソンで勝負をして、勝てる選手になりたいですね」と設定している。日本歴代9位の兄を超えれば、代表に近づくことにもなる。

そのためには東洋大で学んだこと、マツダのノウハウも活用していく。

「東洋大では酒井(俊幸)監督が、実業団を見すえた指導をしてくれました。練習の意味をしっかり説明してくれましたし、これが実業団に行ったらこういう練習になるからと、卒業後のことまで考えてアドバイスをしてくれました。マツダでは情報がオープンなので、どの選手がどれだけ練習しているかがわかりますし、スタッフの方たちも毎日、こうした練習の仕方がいいのでは、と声をかけてくれます」

酒井監督は学生のその先を見すえた指導をしていた(撮影・佐伯航平)

駅伝ファンには周知のことだが、山本の弟の修二(旭化成)も実業団で競技を続けている。日本の長距離界では双子の兄弟選手がそろってトップレベルに成長する例は複数あるが、学年の違う兄弟がそろって強くなることはあまりない。兄弟とも代表入りしたのは小島宗幸・忠幸兄弟(ともに旭化成)くらいだ。

駅伝レベルであれば兄弟選手として話題になることは多い。それは山本が自身の学生時代を分析した理由と同じで、駅伝であれば指導者に導いてもらったり、チームの雰囲気だったりで走れるからだろう。

だが代表レベルに達するには、個人個人の競技への取り組み方(考え方)がより重要になる。その分、代表レベルの選手との力の差を感じやすい。兄が代表に近い力があれば、その背中が遠く感じられる。それが双子の兄弟の場合は、同じように成長できる特殊な状況で、力の差を感じにくい。

兄が強い選手の課題は、その点をクリアすることだ。山本が定方駿に対して、次のように期待していた。

学年が違う兄弟がともにトップレベルに成長する例はあまりない。俊樹11歳、駿6歳の夏(写真提供:定方ファミリー)

「定方(駿)を見ていると、どんな選手に対してもチャレンジしていく気概、1年目でもチームを引っ張って行くくらいの意気込みを感じます。修二もそうですけど、兄だから勝てないとか、年上だから無理とは思っていません。兄ができたことなら自分もできる。そんな気持ちが2人から伝わってきます」

小島兄弟のマラソンの記録はともに2時間8分台。定方駿が2時間8分台を出せば、あるいは山本修二が2時間7分台を出せば、年齢の違う兄弟日本最速となる。

箱根駅伝に出られなかった定方駿だが、それを実現させる可能性は十二分に持っている。

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