明治大学で飛躍したプロ卓球選手の森薗政崇が若手支援に込める思い
伊藤美誠(スターツ)と組んで卓球の全日本選手権混合ダブルス3連覇中の森薗政崇(ボブソン)が若い世代への支援に乗り出した。コロナ禍の自粛期間中、高校生に対してオンライン講義をしたことが自分への刺激にもなり、高校総体の中止などで影響を受けた選手たちに少しでも活躍の場を提供できればとの思いを強くした。
思わず熱く語った約3時間のオンライン講義
5月、明治大学時代の同期から連絡が入り、「母校の静岡学園高校でオンライン講義を」と依頼された。森薗は「実際やってみたら、すごい熱量で話してしまい、2時間45分しゃべり続けた。生徒たちが有意義だったのか、退屈だったのか、僕にはわからないが、最後まで真剣に聞いてくれたと思う」と振り返った。20人以上の卓球部員を相手に、Zoomを通じて学生時代の経験や年収などまで話題は多岐にわたった。静岡学園高の寺島大祐監督は「生徒たちは大会がなくなり、希望を持てない時期でしたが、内容が濃く質問もかなり出ました」と感謝する。監督の紹介もあり、森薗のオンライン講義は計15校へ広がった。
森薗はなぜそこまで熱くなったのか。「高校時代というのは、とても大切な時期だと思う。僕の卓球人生で、どこがターニングポイントかと言われたら、確実に高校生の時だった。話した高校生たちが、その大事さに気付かず、もやもやしながら過ごしているかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。気持ちを言葉で伝えたかった」
東京出身の森薗は卓球の名門、青森山田中学へ進むとともに、ドイツへ武者修行にも出た。中学1年からドイツでの生活の大変さを経験し、当たり前のように卓球をやれることが、どれだけすごく、どれだけの人に支えられているかを考えることもあった。青森山田高では3年生の時に高校総体男子シングルスで優勝すると、2014年1月の全日本選手権男子ダブルスでは三部航平と組んで、高校生ペアとしては1950年度以来の優勝を成し遂げ、次第に頭角を現していった。
明治大時代に世界選手権男子複で日本勢48年ぶの銀
明治大学ではさらに成長できた。「卓球をやる環境が整っていた。寝る所、練習する所、食事する所が同じ施設で全部、徒歩30秒圏内。最高の環境で4年間、プレーさせてもらえた」。ドイツでの挑戦と半年ずつの割合で、調布市の卓球部合宿所で鍛えた。2年生の15年には韓国・光州で開かれたユニバーシアード大会の卓球男子シングルスで、日本選手として初優勝を果たした。次の17年大会(台北)ではシングルスを連覇し、ダブルスとの二冠を達成した。「どちらも自分の卓球を見失いかけた時に迎えた大会で、結果を残せた。苦しい中で勝てた思い出深い」。同じ17年にはドイツでの世界選手権男子ダブルスで、大島祐哉(木下グループ)と組み日本勢48年ぶりの銀メダルを獲得した。そのほか、男子シングルスでは全日本学生総合選手権を3度制し、最高峰の全日本選手権でも自己最高の準決勝まで進んでいる。「卓球以上に、社会人とは、みたいなものも学べた」と充実した大学生活だった。
卓球の幅を広げるため雑食系で取り入れた
4歳から21年間、卓球を続けてきたが、プロ選手として25歳になった今でも卓球の本質はわからないという。競技に真っすぐに取り組んできただけに、ナショナルチームの指導陣からは卓球に対する視野が狭いとか遊びがないと指摘されることがあった。そこで、町の卓球場に出かけてシニア選手と交流したり、良いと思った女子選手の技をまねたり、「雑食系でいろんなものを自分に取り入れてやっている」と言う。振り返れば、高校時代、同じようにレベルの高い選手と真剣勝負で戦う場は高校総体など限られていた。「一発勝負の中で、いろんなことを試すことができないまま過ぎていった。僕の戦術の幅が狭い理由の一つもそこにあるのでは」。だから、強豪同士でもっと腕を磨ける強化の場が増えたらという考えは元々、あった。そこに、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で大会自体が中止になっていった。
みんなで支援の仕組みを作り上げたい
そういう状況で、興味を持ってくれたファンや支援したい方がインターネットを通じてお金を払うギフティング(寄付)という仕組みを知った。「合宿なのか、試合なのか、講習会なのか、どんな形になるかわからないが、やり場のない高校生たちがエネルギーをぶつけられるような場をみんなで作っていければ」と期待は膨らむ。
森薗は世界選手権でメダルも獲得したが、卓球で苦労が一番報われたと感じたのは、高校総体男子シングルスで優勝した瞬間だったと言う。「3年生の時は自分を追い込んだ。『優勝して当たり前』と言われるのが嫌だった中、『絶対、勝たなきゃ』といろんなものを犠牲にして、最後につかみ取れた」。高校の時、そこまで思い込んでいた大会が、今年、中止になった。今の高校生たちの気持ちを想像するのは簡単ではないが、何かできることはあるはずだ。「責任とプレッシャーを感じるが、集まったお金をどういう風に使い、どういう効果があったということは、伝えていきたい」
活躍したドイツのブンデスリーガでは観客参加型の雰囲気が気に入っていた。「僕が所属したチームは、地元の銀行員が仕事を終えて試合会場のマイクパフォーマンスをしたり、近所のおばさんが売店の食べ物を作ったり。みんなでチームを支えていた」。方法は違うが、今回の新たな取り組みも多くの人たちと一緒に作り上げていけたらと願う。「高校卓球界への恩返しですが、きっと経験値として積み重ねられる」。突き詰めれば、自分自身のためでもある。
◆下の画像バナーよりギフティングサービス「Unlim」を通して寄付ができます。