水泳

日大・池江璃花子 594日ぶりのレースで涙「戻ってきたんだな」、夢のインカレへ

東京都特別大会女子50m自由形を終え、涙をぬぐう池江(代表撮影)

東京都特別水泳大会

8月29日@東京辰巳国際水泳場
女子50m自由形
5位 池江璃花子(ルネサンス/日本大学) 26秒32

今までと同じように緊張した。今までのように笑顔がこぼれた。そして、涙があふれた。彼女にとって、これほど待ち望んだ50mはなかったことだろう。

昨年2月に白血病であることが分かり、治療に専念していた池江璃花子(ルネサンス/日本大学2年、淑徳巣鴨)が、東京辰巳国際水泳場で8月29日に開催された東京都特別水泳大会シニアの部に出場。実に594日ぶりとなるレースに、世界中から注目が集まった。

「スッキリしました」

どこかそわそわするようなそぶりの池江。レース前、入場してからスタート台のパックプレートの調整をする。まるで初めて水泳の大会に出る浮き足だった子どものような、緊張とワクワク感が合わさった表情だ。小さくジャンプする姿からも、緊張していることが伝わってくる。

号砲が鳴り、飛び込んだ。浮き上がってくると、周囲の選手とほぼ横一線だったが、スルスルと抜け出していき、25mを過ぎるころには体半分のリードを奪う。後半も大きく失速することなくフィニッシュ。記録は26秒32。今大会の目標としていた、インカレの出場標準記録である26秒86をゆうに上回るタイムだった。

池江にとって今回の東京都特別大会は594日ぶりのレース。緊張した様子が伝わってきた(撮影・朝日新聞社)

フィニッシュ後、プールから上がるとレース前とは違うホッとした笑顔を見せる。プールサイドで待っていたマネージャーの顔を見ると、涙とともに、心の中にしまっておいた大事な思いが一気にあふれ出した。師事する西崎勇コーチが「どうだった?」と声をかけると、池江は短く、ハッキリと、目をキラキラと輝かせながら言った。「スッキリしました」

焦らずじっくりと体作りからスタート

2018年の冬場から19年にかけて、池江はサラ・ショーストロム(スウェーデン)らとともに合宿を行うなど、目標としていた東京オリンピックに向けて強化を行っていた。順調かと思われた強化だが、2月に白血病であることが判明し、同月12日に公表。思っていたよりも「数十倍、数百倍、数千倍しんどい」と心情を吐露するほどだったが、驚異的な回復力を見せ、同年12月17日には退院したことを自身SNSで発表した。

治療を続けながらも、今年に入ってから本格的なトレーニングを再開。体調と体力を考慮しながらではあるが、チームメートである持田早智(ルネサンス/日本大3年、千葉商科大付)や山本茉由佳(同/同、武蔵野)と一緒に、プールで元気な姿を披露した。西崎コーチも驚くほどの速さで、泳ぎの感覚やテクニック、体力も含めて戻していっているという。「いい意味で期待を裏切ってくる選手です。体もトレーニングを再開してから徐々にしっかりしてきて、体重もすでに3kg増えています。私のイメージよりも、1、2歩早いくらいのペースで戻ってきていると思います」

今年6月から池江(右)を指導している西崎コーチは、池江を「いい意味で期待を裏切ってくる選手」と言う(撮影・朝日新聞社)

練習は週に4回で、3日は休息に当てて無理はしないようにしている。練習量も、今はボリュームを上げる時もある。それだけ、練習に耐えられる体力がつきつつあるという証拠だ。「とはいえ、まずは目標としている体重に戻しつつ、体力をつけることが第一です。水中練習はその先の話。2024年のパリオリンピックが目標ですから、焦ることなく、水中での練習強度を上げるのではなく、まずはじっくりと体作りをしていくことを最優先に取り組んでいます」と西崎コーチは言う。

インカレ出場への熱い思いを胸に

トレーニングを再開してからまだ約半年しか経っていない状態で、大会に復帰することに対しては懐疑的な見方があることも事実。「そういう意見があることも分かっています。ですが、私たちとしては、璃花子がつかみ取ったチャンスで、本人が出たいというなら、その意志を尊重したいという思いです。もちろん、無理をしないように止めることはありますし、それを客観的に判断するのが私たちの役目だと思っています」と西崎コーチは力を込める。

なぜ、池江はこの大会に出場したのか。その先にあるインカレ(10月1~4日)のためだ。

池江は昨年のインカレに、治療中の状態ながら所属する日本大学の応援に駆けつけた。日本で最も盛り上がる水泳大会と言われているインカレ。その雰囲気を目の当たりにして、「私も出たい」という思いが湧き起こった。元々、チームで戦うことが大好きな池江。愛媛国体の時も、自分のレースが終わった直後にも関わらず、東京都チームのためにスタンドに行き、大きな声を張り上げてリレーの応援をしていたほどだ。

チームで一丸となって戦うインカレは、池江にとってはオリンピックや世界選手権とはまた違う意味で、心から泳ぎたいと思う大会なのである。池江は言う。「去年からインカレに出たいって思っていました。その夢、目標を叶えたところを、またみんなに見てもらいたいと思っています」

ここから始まる第二の水泳人生

日本代表のチームメートからも「速くてすごいなって。驚きました」(今井月/東洋大2年、豊川)、「すごく力をもらえたし、また一緒に泳ぎたい」(萩野公介/ブリヂストン)、「彼女の姿から、水泳はテクニックなんだと改めて教えてもらった」(入江陵介/イトマン東進)といった声が聞こえた。

特に入江の言葉は、まさに水泳の特性を際立たせている。筋力も体力も、同世代の選手たちに比べたらまだまだ追いついていない状態の池江だが、結果的にはインカレの出場標準記録を突破するタイムを叩き出した。水を的確に捉え、加速するようにして長く水をかいて推進力を得る。その力を無駄なく進行方向に伝えるボディポジション。その基礎的なテクニックが彼女には備わっているからこそ、今大会でこれだけの記録が出せたのではないだろうか。

もちろん、筋力が備わってくると同時にボディポジションや姿勢の維持、キックとプルのバランスも変わってくるので、このままスムーズにいかないことも多いだろう。それでも、レースを終えた時の彼女の屈託のない笑顔を見ていると、なぜか「池江だったら大丈夫なんじゃないか」と、勝手な思いと期待を抱いてしまう。

レースを終え、リモートでの会見に応じる池江(撮影・朝日新聞社)

それと同時に、難しいことは関係なく、水泳が好きで、泳ぐのが好きで、大会が好きで、目標を達成することが楽しい。そんな、アスリートが本来持っている素直な気持ちを、池江は真っすぐに表現してくれた。泳ぐことの意味、スポーツをすることの意味は、生きることの意味と同じように、本当はもっとシンプルでいいのかもしれない。

「すごく緊張しましたけど、目標を達成できてとてもうれしかったです。ああ、戻ってきたんだなって。辰巳のプールに向かう道のりを見ていても、懐かしく感じました。ああ、ここから私の第二の水泳人生が始まるんだ、と思って……うーん……なんというか、胸がキュッと締め付けられるというか、今はそんな気持ちです」

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