だから私は五輪を目指す、苦しくても少しずつ前へ 入江陵介から学生へ(下)
高校2年生で初の日本代表入りを果たして以来、一度も代表から外れたことがない。14年間、日本の背泳ぎを支え、常に世界のトップと渡り合ってきた。背泳ぎの日本代表といえば、彼しかいない。日本のみならず、世界からもそう認知されているのが、入江陵介(イトマン東進、30)という選手だ。入江陵介から学生アスリートへ、2回連載の後編は東京オリンピックを目指す今についてです。
平成生まれの最初の代表選手
入江は姉と兄が水泳をやっていたことをきっかけに、「記憶がないくらい」物心つく前から泳いでいた。
日本で注目を集め始めたのは、2005年3月に行われた全国JOCジュニアオリンピックカップの春季大会でのこと。15歳以上の選手たちが出場するチャンピオンシップ区分で、高校生たちの中でただひとり、中学3年生の入江が200m背泳ぎで2位に入り、当時の短水路中学新記録を樹立したのだ(1分58秒86)。
この05年から06年までの1年間で一気に記録を伸ばした入江は、高校2年生で迎えた06年日本選手権の200m背泳ぎで、1分59秒32の日本高校新記録(当時)を樹立して2位を獲得。初の日本代表に選出された。
「当時は最年少の日本代表でした。しかも平成生まれの最初の代表選手。ジュニアの日本代表も数回しか経験せず、一気にシニアの代表に入ってしまったので、周りは有名な選手ばかり。すごく緊張したのを覚えています」
翌07年には日本選手権を200m背泳ぎで初制覇。記録も1分58秒42と、自分が持っていた高校記録をさらに更新する泳ぎで、たった1年の間にこの種目の第一人者へと登り詰めた。ここから入江はこの種目で、16年まで覇権を握り続け、前人未踏の10連覇を成し遂げた(11年は日本選手権が中止。代替大会として行われた国際大会代表選手選考会を含む)。
挫折を乗り越え、東京五輪でこそ金メダルを
今年で入江も30歳を迎えた。年齢的には水泳界では大ベテランと言われる世代となってきた。もう北京オリンピックをともに戦った選手はひとりもいない。新たに代表に入ってきては、引退していく選手たちを何人も目にしてきた。
それでも入江は、今も選手として、背泳ぎの第一人者として泳ぎ続けている。そこには、オリンピックへの強い思いがあった。
「13年、東京オリンピック・パラリンピックの招致に携わらせていただけて、本当にたくさんの人がオリンピックを支えているんだ、ということを実感しました。決まった瞬間も目の当たりにして、『やっぱり東京オリンピックに出たい』という思いが強くなりました」
初めて出場した北京オリンピックで、5位入賞を果たした。本当ならそれでも満足できる結果だったが、水着問題も含め、メダル獲得のチャンスがあっただけに悔しかった。その悔しさを晴らすべく、ロンドンオリンピックまでの4年間を駆け抜けた。いつしか、世界大会の表彰台の常連になるまで成長を遂げた。その結果、ロンドンオリンピックでは100mで銅メダル、200mで銀メダル、4×100mメドレーリレーで銀メダルの、目標に据えていたメダルを3つも獲得した。
北京オリンピックは入賞、ロンドンオリンピックではメダル獲得。次のリオデジャネイロオリンピックでは、必然的に金メダルを目標に据えて、さらに4年の歳月を水泳に費やすことを決めた。しかし、厳しい現実がリオデジャネイロの地で入江を待っていた。100mで7位、200mで8位、4×100mメドレーリレーでも5位とメダルを逃す。
「当然、引退も頭をよぎりましたが、『東京オリンピックで出し切りたい』という気持ちもありました。でも、また4年後を目指すとなった時、今までと同じ環境では続けられない、とも思ったんです」
そのころ、師事していたコーチが現場から離れるというタイミングもあり、アメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴを拠点として、アメリカのプロチームでトレーニングをすることを決意する。日本から離れることで気持ちもリフレッシュでき、新たな境地に辿り着いた。18年のパンパシフィック水泳選手権では100m、200m背泳ぎで銀メダルを獲得。とくに100mでは自身の日本記録に0秒54まで迫る、52秒78の好記録をマーク。また世界のトップ争いの中に、東京オリンピックでの金メダル獲得を目指す強い入江が帰ってきたのである。
五輪は世界がひとつになれる場所
東京オリンピックの延期は決まったものの、新型コロナウイルスの情勢はまだまだ不安定な状態。アスリートとして目標を定めにくい状況には変わりない。大会もまだまだ中止になることも多く、水泳の大会も、8月末にようやくスタートし始めたような状態だ。
そんな中、入江は後ろを振り向くことなく、ただひたすらに前だけを見て、歩みを続ける。
「東京オリンピックについて、様々な意見があることは理解しています。スポーツどころじゃない人もたくさんいます。その中でも、オリンピックを楽しみにしてくれている人もたくさんいます。スポーツを見ることで気持ちが前向きになる人もいます。僕が泳ぐことで少しでもそういう人たちの力になれると考えれば、どんな状況でも頑張り続けることができます」
改めてオリンピックという大会について聞いてみると、「世界の共通語だと思うんです」という答えが返ってきた。
「どの国に行っても、オリンピックという言葉はオリンピックと認識される。オリンピックは世界中で知らない人はほとんどいませんし、オリンピックが4年に一度行われることも、みんなが知っている。世界中のスポーツをしている人たちが一カ所に集まって戦う場所が、オリンピック。まさにスポーツを通して世界がひとつなる、という瞬間なんです。そこにオリンピックの素晴らしさがあるんじゃないかと思っています」
コロナ禍の今だからこそ、新しい何かを始めよう
試合がなくなることで目標が中ぶらりになり、モチベーションや競技をやることの意義を見失ってしまっている学生アスリートも多いことだろう。入江も、同じだ。4月に予定されていた日本選手権がなくなり、東京オリンピックが延期になり、自分の状況を確認するような小さな大会すら行われない。そんなモチベーションを失いかねない状態なのに、ハッキリとした目標を定められない状況なのに、入江は自分を信じて、オリンピックを信じて今も泳ぎ続けている。
なぜ入江は、頑張り続けることができるのだろうか。今を悩む学生アスリートへのメッセージを聞いた時、そこに答えが詰まっていた。
「今までの当たり前だったものが当たり前じゃなくなってしまいました。今すぐ前向きになろうとは簡単に言えません。そこで、僕もやっているんですが、寝る前に一日を振り返って、それに前向きな言葉を付け加えてみてください。例えば『今日はこれができたから、明日はあれをやってみよう』とか、『これができなかったな。明日にもう一度チャレンジしよう』という感じです。そうやって、一日一日にメリハリをつけて、最後に前向きな言葉を使うことで、気持ちは少しずつ前向きに考えられるようになっていきますよ」
最後に、学生アスリートだからこそできることがある、と付け加えた。
「今だからできる、今までやっていなかった新しいことに、何でもいいので取り組んでみてほしいんです。ひとつのことを突き詰める、ということはとても大事なことです。でも、それがなくなった時に、自分には何もない、と思ってほしくない。だから、学業やスポーツ以外に、プラスアルファをひとつ、何でもいいので持ってもらいたいと思っています。大学4年間というのは、とても長い時間です。だからこそ、その4年の間に1日1日、小さくてもいいから積み重ねることができたら、すごいことができるようになると思うんです。少しずつでいいので、前向きにいろんなことに取り組んで、頑張っていきましょう」
『それでも、僕は泳ぎ続ける。 心を腐らせない54の習慣』
「正直、自分は賞味期限が切れた人間なのかなと思ったりします」(2016年、リオデジャネイロオリンピック決勝後の著者へのテレビインタビューより)。16歳で日本代表入りし、日本選手権では10連覇。100m、200mの日本記録保持者(2009年~現在)。2012年のロンドンオリンピックでは銀メダル2つと銅メダル1つを獲得。端から見ると順風満帆な水泳人生だが、4年前、入江陵介選手の心は砕け散ってしまった。「2020東京オリンピックは、もう無理なのでは…」。批判の声にも負けず、毎日毎日を大切に4年間「コツコツ」と練習に励む、入江選手の「心の強さ」の秘訣とは? 超えるべきは常に「昨日の自分」だけ――「正しい目標の持ち方」を学ぶ1冊! 発行:KADOKAWA 定価:1540円