空手

法政大学時代の菅義偉首相が鍛えた「剛柔流空手道部」 伝統継承に活動続く

法政大学剛柔流空手道部時代の菅首相(岡本信寿さん提供)

法政大学出身で初めて首相となった菅義偉氏(71)は在学中、「剛柔流空手道部」で体を鍛えた。剛柔流とは沖縄発祥の空手の4大流派の一つ。創部58年目の大学公認サークルは現在、コロナ禍で活動を制限されているが、唯一の女子部員、市瀬恵(3年)は「先輩をとても誇りに思う。伝統を継承しながら部を盛り上げていければ」と話している。

1963年創部の公認サークルは質実剛健

剛柔流空手道部は1963年に創部され、菅首相は第10代の副将を務めた。1969年入学の同期で主将だった熊本県空手道連盟常任相談役の岡本信寿さん(70)は「体育会も目じゃないほど厳しかった」と当時の活動を振り返る。大学施設屋上などでの週6日の稽古はきつかった。まだ上下関係も根強く、年中、学ラン着用で質実剛健のイメージだった。

1年生の時、同期は十数人いたが、最後まで残ったのは7人。4年生の冬まで続けた。最上級生になると稽古がおろそかになる部員もいたが、2人は「頑張ってやるぞ、2段まではとっておこう」と励まし合い、一緒に昇段して活動を締めくくった。主将から見た副将は「あまり苦労しているような顔はしなかった。芯が強い。これをやろうという信念があり、人望もあった」という印象だった。卒業後も互いの結婚式に出席し、もちろん今でも交流は続いている。

オリンピック競技になったが、運営は苦労も

菅首相らが卒業して約20年後、同部30代に当たる1992年から女子部員も加わった。空手は東京オリンピックで正式競技に採用されるなど世界的にスポーツ化が進んだ。それでも、サークル運営では部員獲得に苦労が続く。岡崎隆司監督(50)は「5、6年前から歯車がかみ合わなくなってきた。空手を見るのとやるのはイメージが違う」という。

今年2月の剛柔流空手道部の練習風景(同部提供)

文学部の市瀬は昨春、2年生になり途中入部した。中学、高校時代に憧れていた2人の先輩がたまたま空手をやっており、挑戦しようと思っていた。1年生の時は余裕がなかったが、校内に貼られた勧誘のチラシを見たのがきっかけとなった。授業の関係で稽古には週1回程度しか出られない。松商学園高(長野)では放送部で活躍し、スポーツ経験はほとんどなかった。剛柔流の基本姿勢は足の運びなどが難しく、苦労した。普段、使わないような筋肉も鍛えられた。「監督や先輩に教えてもらいながら体の使い方がわかってきた。力の入れ方などで生活に応用できる気付きもあった」

コロナ禍でオンライン稽古

今年の春休み、市瀬が長野の実家に戻ったころから風向きが変わった。新型コロナウイルスの感染拡大が広がり、授業はオンラインになった。サークルで最重要課題ともいえる新人勧誘ができなかった。岡崎監督は「特に武道系サークルは軒並み影響を受けた」という。市ケ谷の体育館は使えなくなり、稽古もオンラインになった。

9月にあったオンライン稽古。画面の向こうは真剣だった

長野にとどまっている市瀬は、実家から稽古に参加している。道着も持ち帰った。LINEでつながる稽古は、それでも普段と変わらず真剣でみるみる汗が噴き出てくる。いつ体育館の稽古が再開できるのか、見通しはたっていない。

市瀬は大学関係のある会合で菅先輩を遠目に見たことがあるという。60年近い歴史を誇るサークルが、思わぬ形で脚光を浴びた。来年度、史上2人目の女性主将候補の市瀬は「空手を楽しんでみたい、という学生が一人でも入ってくれれば」と願っている。

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