フィギュアスケート

関西大フィギュアスケート・本田太一のラストシーズン 4回転を跳んで爪痕を残す

「どの試合でも良いから4回転を跳びたい」と、決意してラストシーズンに臨む本田

8月31日、第93回日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)の中止が発表された。この決定にショックを受けたと語るのは、本田太一(4年、関大高等部)だ。

本田は全日本インカレで2度の団体優勝を経験し、個人でも2年連続で表彰台に上った。「大学ごとにチームとなって自分が大学の代表となって戦うことに魅力を感じる。リンクサイドで応援するのもされるのも好き」と、インカレを一番好きな大会の1つに挙げる。

学生最後の年であるとともに、フィギュアスケート選手としても今シーズンでの引退を表明している本田。今回のことに限らず、今までのスケート人生は平坦な道のりではなかった。

アイスホッケーからフィギュアスケートに

近くのスケートリンクに家族で遊びにいったことがスケートとの出会い。当時、最初の数年間はアイスホッケーのためにフィギュアスケートを習っていた。そして、小学5年生のときに転機が訪れる。濱田美栄コーチのチームからの誘いを受け、フィギュアスケートに専念することに決めたのだ。

濱田コーチに師事するようになってから1年ほどで驚くほどに成長した本田。ダブルアクセルや3回転ジャンプを習得し、全国大会でも表彰台を狙える実力に。「中学校3年間が自分の中では一番上り調子だった」と振り返る。フィギュアスケート連盟の指定強化選手にも選ばれ、国際試合にも出場。自分を応援してくれるファンができたことが活動の後押しになった。

妹・真凜の存在

高校に進学し、日本のトップで競う実力をつけてきていた矢先、けがに悩まされることとなる。試合を欠場し、思うように練習ができない日々。同期や後輩がどんどんうまくなっているのを見て、焦りとスケートを続けるのは無理かもしれないという諦めの気持ちが沸いた。

本気で引退を考え、高校3年生のときには塾に通い受験勉強までした。それでも、大学でフィギュアスケートを続ける道を選んだ。きっかけは妹である本田真凜(まりん、JAL・明治大)の存在。引退を考えている時期、妹の真凜は世界ジュニア選手権で優勝するなど大きな大会で結果を残すようになっていた。妹の活躍を見て、自然と自分も頑張ろうという気持ちになった。

アメリカ滞在時の苦悩

大学2年生の春、環境を大きく変える決断をした。アメリカへ練習拠点を移し、有名コーチであるラファエル・アルトゥニアンに教えを請うことに。引退までにさらにレベルアップし、憧れの4回転ジャンプを習得するためのラストチャンスだった。

長いスケート人生で、多くの苦難を乗り越えてきた本田

しかし、海外での練習で想像以上の苦労を経験することになる。まずはジャンプを一から見直した。それは、1回転ジャンプしか跳ばない日もあるほどの徹底ぶりだ。他にも、氷上以外でのトレーニングが多い練習方式に慣れず、言葉の壁にもぶつかった。また、日本と時差があることによって、練習後に友人に連絡をすることができなかったことも精神的な負担になった。

そのような状況の中、出場した大学2年時の全日本選手権。ジャンプはことごとく失敗に終わり、ショートプログラムの結果はまさかの25位。翌日のフリースケーティングに進めなかった。ジャンプが満足に跳べないことのストレスや、うまくなって日本に帰らなければならないというプレッシャーに耐えなければならなかった。

アメリカを離れたった一人で練習

昨年の夏、本田の姿は日本のリンクにあった。もともとアメリカの滞在期間について期限は決めておらず、「ラファエルコーチには移籍して1年目で結果を出すのは難しくても、次のシーズンで成長できるように信じてやっていこうと言われていた」という。

実際に、移籍1年で結果を出すことはかなわなかったが、ラファエルコーチの指導法が自分にインプットされてきたと感じたこと、そして就職活動のために日本と往復することが難しくなったことでアメリカを離れる決断をした。

日本に帰国してからは、特定のコーチに師事せず一人で練習してきた。自分のやり方を信じて練習することには勇気がいる。しかし、一人で練習したことはよい方向に進んだ。「今まで10人以上のコーチの師事を仰いだ。その中で自分に合うもの合わないものを取捨選択して、最善の跳び方を自分の中では習得できた」と、長い競技人生を経て納得のいくジャンプの跳び方にたどり着いた。

昨年の全日本インカレでは3位に輝いた

その結果が、全日本選手権や全日本インカレで少しずつ見えてくる。全日本選手権では無事にフリーへ進み、全日本インカレでは3位で表彰台に上った。

関西大の名を背負って

引退が迫る中、新型コロナウイルス感染症が世界を襲った。関西大アイススケート部では、男子が関西インカレ、西日本インカレ、全日本インカレ3冠を目標としていた。その夢が途絶えた今、練習や試合運びで後輩の模範となれるような行動を心がけている。

「インカレだけが大学での戦いではない。どんな大会でも部員全員が関西大の代表として戦っている」と、学生大会がなくなっているこの状況でも、関西大の名を背負っていることを忘れはしない。

ラストシーズンである今年の目標は、「4回転を跳んで自分自身が滑ってきた爪痕を残す」。開催される試合を大切にし、最後まで全力の演技を見せる。

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