野球

特集:2020年 大学球界のドラフト候補たち

早稲田大学の早川隆久、主将番号が付いた背中と立ち姿で優勝へ導けるか

10番を背負いさらに進化した早稲田大学の早川隆久主将(撮影・すべて朝日新聞社)

東京六大学野球の秋のリーグ戦。獅子奮迅の投球を見せているのが、早稲田大学の主将でエースの早川隆久だ。その裏にはキャプテンとしての強い自覚があった。

自己最速155kmにダルビッシュも反応

立場は人を変える――この言葉を想起させるのが、今シーズンの早川の姿だ。東京六大学野球の主将番号「10」を背負った早川は、エースで主将という重責を成長の糧とし、進化を続けている。

早川はもともと今年のドラフト1位候補で、その先頭にいると位置付けられていた。ただし、背番号が「18」になった3年時こそ春に3勝を挙げているものの、3年秋までのリーグ戦の通算成績は7勝12敗。他の1位候補を圧倒するにはやや物足りない実績だ。特に下級生(1、2 年時)の時は、1年春にリーグ戦初勝利を挙げるも、4シーズンで2勝6敗。木更津総合高時代、2年春、3年春・夏と3回甲子園に出場し、3年時は2季連続で8強に進出した左腕は苦しんだ。早川が3年の時からチームを率いる小宮山悟監督は「前監督の高橋広さん(神戸医療福祉大学監督)によると、下級生の時はマウンドに立つと臆病になっていたようです」と話す。

ところが、である。主将となり背番号が「10」に変わった早川は違った。真夏に行われた春のリーグ戦、開幕日に行われた明治大学との1回戦で、自己最速を4kmも上回る155kmを計測する。その動画はすぐにSNS上で拡散され、カブスのダルビッシュ有も反応。「いやいや 左で155kmって」とツイートしたのは、野球ファンの間でよく知られている。早川はこの試合最後まで投げ切り、リーグ戦初完投。衝撃のシーンととともに確かな進化を示した。

春の早慶戦。三回、慶大の新美に先制2点本塁打を許した

だが、春はこの1勝のみ。伝統の早慶戦では2本塁打を浴びて、8回3失点と本来の投球ができなかった。早大はこの試合に敗れ、優勝の可能性が消滅。早川は「勝たなければ、ベンチに入れなかった選手に僕らが出て良かったと納得してもらえない」と言葉を絞り出した。大事なのは、自分の投球うんぬんよりもチームが勝つこと。その様子から、主将である強い自覚がうかがえた。

注目が高まっても優勝を目指すだけ

優勝しかない――春の悔しさを糧に強い気持ちで臨んだ秋のリーグ戦。早川は春からさらに進化した姿を見せている。まずは開幕試合となる明大との1回戦。ドラフト1位候補同士の対決と注目された入江大生(4年、作新学院)との投げ合いを、2安打1失点17奪三振の完投勝利で制した。

明大1回戦では九回に失点し、初完封を逃した

圧巻だったのは春の優勝校・法政大学と激突した第3週だ。1回戦は法政大の鈴木昭汰(4年、常総学院)との左腕対決に。鈴木もまた今年のドラフト候補で、高校時代は早川、鈴木、花咲徳栄の高橋昂也(現広島)、二松学舎大附の大江竜聖(巨人)の4人は「関東左腕四天王」と呼ばれた。ただ早川には「相手投手が鈴木だからという特別な意識はなかった」。黙々と腕を振り、スコアボードに「0」を並べた。鈴木も八回まで得点を許さず、早川と同じ13の三振を奪ったが、九回に2失点。早川は最後まで無失点に抑え、リーグ戦初完封を無四球で飾った。最後の112球目は149 km。まだ余力を残している感じだった。

完投勝利に続いて初完封。試合後、小宮山監督は「早川は今日“も”良かった」と「も」にアクセントをつけてねぎらった。実はこの4日前、小宮山監督は早川にこう言っている。「ドラフト1位で指名される投手が、リーグ戦で完封がないのはカッコ悪いぞ」。その時は苦笑いを返しただけのようだが、期するものもあったのだろう。

法大1回戦の四回1死一塁を併殺で切り抜ける。初完封を無四球で飾った

もっとも、初完封にも早川は相好を崩さなかった。「嬉しいですが、優勝しか見えていないので」。1点も与えられない展開で、勝ちにつながる投球をした結果が完封だった。優先すべきは自分のことよりチームのこと。春からピッチングは進化しても、1位指名での競合が予想されるドラフトが迫り、周囲が騒がしくなっても、早川のスタンスは変わっていない。

エースの気迫にチームも発奮

初完封劇に続くドラマが待っていたのが、法大2回戦だった。この試合、早大は追いつくも突き離され、終盤の七回を終えて2点のビハインド。もう1点も献上できない展開の八回、1死満塁とされる。打席には法大の主将で3番の中村迅(4年、常総学院)。春は三塁で初のベストナインを獲得した好打者である。ここでブルペンからマウンドに向かったのが、六回から準備をしていた早川だった。

入学後、まだ経験していない優勝へ先頭で引っ張る

前日早川は連投も辞さない構えを見せていたが、「投げさせたとしても九回の1イニングだけ。ケガも怖いので、本当は投げさせたくなった」と明かす小宮山監督にとっては苦渋の決断だったようだ。一方早川は「このピンチを抑えれば何かが起きる」と信じ、阿修羅(あしゅら)のような表情で腕を振る。中村を三振に仕留め、次打者も打ち取ると、早大サイドはもちろん、球場全体がそんなムードになった。果たしてそれは現実になる。早川が出てきたからには負けるわけにはいかない。早川の強い気持ちに後押しされた早大打線はこの回、同点に追いつく。結局引き分けで終わったが、勝ちに等しい0.5ポイントを獲得した。

試合後、あらためて主将になってからの早川の成長を感じた小宮山監督はこう言った。

「あのマウンドの立ち姿、こんなにも逞しくなるんだと驚いています」

元プロで、NPB通算117勝の小宮山監督も、早大4年時(1989年)は、エース兼主将だった。このシーズン、春も秋も天皇杯は手にできなかったが、背番号「10」の重さが投手・小宮山が持っているものを引き出し、春は5勝で秋は4勝。リーグ通算20勝のうち、半分近くをマークした。小宮山監督は「能力がなかったので、僕は全てを出し切りました」と、謙遜しつつ、振り返る。そして早川に注文をつけた。

「ドラフト1位で指名されるにふさわしい、どこに出しても恥ずかしくない投手に成長してくれましたが、彼のポテンシャルからすると、まだ出し切っていないと思います」

残り3カード――早川はどこまでいくのか。注目が高まるばかりの左腕は、自らの姿でチームを引っ張り、早大を2015年秋以来のリーグ優勝へと導く。

 

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