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日本大学のWR林裕嗣、フェニックスとともに背番号「25」復活のシーズン

日本大学のWR林裕嗣。キックオフのリターナーに入る時、両手を広げ緊張をほぐす(撮影・すべて北川直樹)

アメリカンフットボールの関東大学TOP8で、日本大学は初戦でライバルの法政大学を5年ぶりに下した。3年ぶりのTOP8復帰を白星で飾ったフェニックスに、エースレシーバーが戻ってきた。44-34と点の取り合いになった試合で、WR林裕嗣(ひろつぐ、4年、佼成学園)は2度のタッチダウンを含む10回のパスレシーブに成功。計124ydを稼いでフィールドで存分に躍動した。

3年前の甲子園ボウル以来の充実感

林が「全快」でプレーしたのは2017年に1年生で出場した甲子園ボウル以来、約3年ぶりだった。新人ながら主力WRとして出場しTDパスをとるなど大学日本一に貢献した。

2年生になった5月6日、関西学院大学との定期戦での悪質タックル問題を機に、日大はチーム活動が停止となった。降格した1部下位リーグのBIG8で戦った昨年は、林はけががちでほとんどの試合を欠場、最終の桜美林大学戦に出場したが、万全なコンディションからは程遠かった。それでも、チームはBIG8で全勝しTOP8への復帰を決めた。

今季、新型コロナウイルスの影響で、リーグ戦は縮小開催となったが、初戦で宿敵の法大と当たるとあって、林は燃えていた。「甲子園に出るためには絶対に倒さないといけない」と、1年前からずっと目標にしてきた相手だった。「(コロナの)自粛期間中も、メンタルは作れていました。たとえ自分がけがで出れなくても、勝つために何ができるのかを常に考えて過ごしていました」。昨年に比べて、体重を5kg絞った。最大の武器であるスピードを徹底して強化した。

相手をかわしゴールへひた走る

自分のコンディションのほかにも、明るい材料があった。4年連続日本一の富士通、日本代表でWRとしてプレーする宜本潤平コーチ(立命館大)の加入だ。過去2年、日大にWR専任のコーチはいなかったが、今は日本最高水準のフットボールスキルとメンタルを学んでいる。「潤平さんには、最上級生・幹部としての立ち振る舞い、オフェンス、チームの中でどういう立ち位置なのか、心構えについて教えてもらっています」と、林は生き生きと話す。法大戦に臨むにあたり、宜本コーチからこう言われた。「お前はチームの中で精神的な支柱だから、何があっても倒れるな。最後まで、足が伸びるまで絶対に足を止めるな」。この言葉通り、試合での林のプレーぶりは気迫に満ちていた。

25番のプライド

日大のエースWRは、25番をつけるという伝統がある。林は2年生で25番を背負う予定だったが、チーム活動が停止したためにお預けとなっていた。林は言う。「日大に25がいないのは悲しいと思っていて、それなら自分がつけたいと思っていました。ただ、BIG8で25番を着るのはふさわしくないと思ったので、昨年は11番を選びました」。25番は、TOP8で戦う今シーズン、満を持しての着用だった。そして日大のエースにふさわしいプレーぶりで、勝利に大きく貢献した。「4Q(クオーター)のタッチダウンは嬉しかったですね、練習では守備が慣れてるのもあり、あんなにきれいに決まらないんです。OLありがとうって感じですね」。興奮を抑えるようにして試合を振り返った林は、全力でプレーできる喜びをかみ締めていた。

第4QのTDパスレシーブ。「独走しても後ろが気になる」とTDの時はボールを前に出す

5つ離れた兄が佼成学園でアメフトをしていたため、小学生の頃から家族で試合を見に行った。そのときから「アメフトって面白いスポーツだな、やりたいな」という気持ちを持っていたという。兄と同じ、中高一貫校の佼成学園に入学、中学まではサッカー少年だったが、サッカーではなかなか試合に勝てずに悔しい思いをした。

「今しかできないなと思って」。サッカーでは果たせなかった全国大会出場という夢を追い、部活を引退した中3秋からチームに合流、アメフトに打ち込んだ。高校2年の時は都大会初戦で敗退したが、3年の秋には全国大会決勝まで勝ち上がり、クリスマスボウルで関西学院高等部と対戦した。林は当時、主に守備のCBをしていて、キックオフリターンTD、パスインターセプトと大活躍。佼成学園を初の全国制覇に導き、最優秀バック賞・三隅杯も受賞した。このときの関学高のQBは、現在の関学大エースの奥野耕世(4年)。奥野のパスをインターセプトした林が、今は日大のエースWRということになる。

「関学にもう一度勝たなければ。目標じゃなく使命」

佼成学園は、卒業後に大学でアメフトを続ける選手が多く、東西様々な大学で卒業生が活躍している。林は、2つの理由から日大への進学を決めた。1つは小林孝至監督をはじめ、佼成学園には日大出身のコーチが多く、恩師らの人間性に憧れていたこと。もう1つは、小林監督からWRへの転向を勧められたことだ。日大伝統のパス攻撃を知っていた林は、「WRをするならフェニックスでやりたいと思いました。自分は、ポジションにこだわりはなかったんですが、(小林監督が自分に)日大でプレーすることを勧めてくれたようで、それもうれしかったです」と、高校と同じ赤色のユニフォームを着る道を選んだ。

関西学院大を倒してこそ

高校3年、大学1年と、日本一を決める試合はいつも関学が相手だった。そして、チーム再建のきっかけとなった2018年5月6日の試合も関学との定期戦だった。林は言う。「自分たちがあの試合から変わったこと、そしてこれまでの取り組みが正しかったかどうかを確かめるには、甲子園で関学にもう一度勝たなければいけないと思っています。目標じゃなくて、果たさなくてはならない使命ですね」。自分のポジションにもこだわりを見せない男が、関学相手には執着心をはっきりと見せた。

日大のオフェンスチームには、2人の林がいる。もう1人は、1年からエースQBを務める林大希(4年、大正)だ。法大戦ではこの2人のホットラインで2度タッチダウンを奪った。ともに日大入学直後から頭角を現し、攻撃のダブルエースとして、フェニックスを引っ張り、幾多の苦楽も経験してきた。だからこそ、お互いの信頼と絆の深さは格別だ。

QB林大希から林裕嗣へのパスは日大オフェンスのカギを握る

大希は「期待はしてないけど、ビッグゲームの苦しい試合で最後に持っていってくれるのは間違いなく裕嗣」と言い切り、裕嗣は「自分のNo.1QBは大希。彼が苦しいときにどれだけ自分がWRとして支えられるか」と、信頼と覚悟を口にする。それぞれ表現は違うが、互いに全幅の信頼を寄せる。4年目を迎える林コンビは、ここぞの場面で結果を出してきた。ラストシーズン、不死鳥のごとく甲子園へ舞い戻ることはできるだろうか。

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