ラグビー

特集:第57回全国大学ラグビー選手権

明治大学のLO片倉康瑛、FWの大黒柱はラインアウトを制して大学王座奪還へ

大学王座奪還を狙う明治大学。LO片倉康瑛がラインアウトをまとめる(撮影・全て斉藤健仁)

関東大学ラグビー対抗戦で連覇した明治大学は12月19日、全国大学選手権準々決勝で日本大学(関東リーグ戦3位)と対戦する。明大ラインアウトの大黒柱として2季ぶりの大学王座奪還を目指すのが、最上級生になった身長190cmのLO(ロック)片倉康瑛(やすあき、明大中野)だ。

明早戦を高さで圧倒、22年ぶりの対抗戦連覇

12月6日、5勝1敗だった明大は6戦全勝の早稲田大学と対戦した。No.8箸本龍雅(4年、東福岡)の活躍も目立ったが、FW全体として、セットプレーで優位に立ったことが流れを決めて34-14で勝利。22年ぶりの対抗戦連覇を達成した。特にアタックの起点となるラインアウトで早大のマイボール成功率は7/13とほぼ50%と振るわなかった。そのラインアウトで攻守にわたり存在感を示したのは、リーダーも務める片倉だった。

「コーラー」としてサインを出す

相手ラインアウトの分析も自ら行い、サインを出す「コーラー」も務める。片倉は「できすぎでしたが、相手のラインアウトにプレッシャーをかけられた。持論ですが、自分たちのマイボールラインアウトの成功率を100%にして、相手の成功率を0%にすれば試合に勝てると思っています」と胸を張った。

2019年度、対抗戦で全勝優勝し大学選手権に臨んだ明大は、決勝で早大に35-45で敗れて連覇を達成できなかった。片倉は「(昨年度は)慢心していたわけではなかったですが、チャレンジャースピリッツが薄れていた。(今年度は)チャレンジャースピリッツを持って成長し続けたい」と意気込む。

そんな片倉のことを箸本主将、同じ副将のSO(スタンドオフ)山沢京平(4年、深谷)は、「高校時代は知らなかった」と声をそろえた。明大中野で「花園」こと全国高校大会に出場したが、2回戦で敗れた片倉は決して全国区の選手ではなかった。しかし、大学に入って、見事な成長曲線を描いた。

明大の箸本龍雅主将「早稲田に負けた瞬間の思いを一日も忘れない」

レベルの高いラグビースクールに尻込み、野球へ

幼少期、千葉に住んでいた片倉は船橋ラグビークラブで4年間ほどプレーしていたが、小学校2年の時に神奈川に引っ越した。田園ラグビースクールの練習を見学に行ったが、あまりのレベルの高さに尻込みして野球に転向。外野手やキャッチャーをやっていたという。

親の勧めもあり、中学受験して明大中野中に入学すると、最初はサッカー部に入ろうと思っていた。ただ、クラスが同じで席が隣だったWTB(ウイング)/FB(フルバック)小島昴(こう、4年、明大中野)に「クラスにラグビーをやるやついないから、一緒にやらない?」と誘われ、楕(だ)円球の世界に戻る。中学2年まではCTB(センター)でプレーし、身長が180cm台となった中学3年からLOとなった。

花園でしょぼい負け、明大でラグビー続行

明大中野高に進学するとき、身長が高くなったこともあり「バスケットボール部に入ろう」と思っていたが、他の部員に「平日、部活でラグビーをやって、休日、バスケをやればいいじゃん!」と諭されて、ラグビーを続行する。そして高校3年になると「好きだったので」と相手のラインアウトの分析を自主的に始めた。

27大会ぶりに全国高校大会に出場した明大中野は2回戦で新潟工に敗れた。トライするSH今井(撮影・朝日新聞社)

高校3年生の時、第96回全国高校大会予選の東京第2地区決勝で國學院久我山と19-19で引き分け、抽選で27大会ぶりの花園出場を決めた。全国大会で1回戦は31-10で和歌山工に勝ったが、2回戦で新潟工に14-20で惜敗してしまった。

あまり大学ではラグビーを続ける気持ちはなかったが、丹羽政彦監督(当時)や一つ上のPR(プロップ)笹川大五(現リコー)に強く誘われていたこともあり、「(3回戦で)桐蔭学園と対戦したかったのですが、しょぼい負け方をして不完全燃焼で終わってしまった。まだやりたい」と大学でもラグビーを続ける決心をした。

花園に出た明大中野高の同期は18人ほどいたが、主将だったSH今井快は筑波大学に進学し、5人が明大でもラグビー部に入部。前述の小島は3年生になり片倉と一緒に試合に出るようになり、CTB亀丸傑は理系の総合数理学部で、部活と勉強を両立。そして多田充裕は学生コーチとして、松下忠樹は主務としてチームを支えている。

明大中野出身の4年生。学生コーチの多田、主務の松下、片倉、WTB/FB小島、CTB亀丸(左から)

明大に入学すると、箸本や山沢を筆頭に、No.8山本龍亮、CTB齊藤大朗(ともに桐蔭学園)といった強豪校の選手がほとんどだった。「憧れもありましたし、有名な選手とラグビーをやるのは最初、怖かった。自信もなかったし、不安しかなかった。4年生になったら早明戦に出られたらいいな……」と漠然と思っていた。

ルビコンからの挑戦

身長は190cmあったが、体重88kgだった片倉は入学当時、もちろん、ルビコン(Cチーム以下)にいた。ただ、入学と同時に、田中澄憲監督がヘッドコーチに就任(2年目から監督)し、栄養面やトレーニング面の取り組みを一新したこともあり、片倉は「意識が変わった」。体重も年々増加し、現在は102~103kgとなって、95kgしか上がらなかったベンチプレスは150kgを上げるようになった。

大学に入ってもラインアウトの分析を自主的に続けていた片倉は、2年になるとペガサス(A、Bチーム)に昇格。対抗戦に4番をつけて出場するようになり、22季ぶりの全国大学選手権優勝にも大きく貢献した。さらに、ジュニア・ジャパンに選ばれ、「憧れだった」という桜のジャージーにも初めて袖を通すことができた。

上級生になりチームの中核としてプレーし、今季は副将にも任命された。「ラインアウトだけでなく、もっとボールキャリアーとして貢献したい」と思っていた片倉は、コロナ禍も他のリーダー陣と寮に残ってフィジカルトレーニングだけでなく、重りを引っ張るトレーニングなどに精を出した。今年、突破役としても目立つようになったのは努力の証だ。

来年からは片倉は小島とともに、チームこそ違うがトップリーガーになる予定だ。片倉の成長を見守り続ける田中監督は「片倉は大学に入って成長したし、ボールキャリアも良くなった。ただ、ラインアウトだけではトップリーグでは通用しない。タックルやブレイクダウンはまだまだ伸ばせるはず」とさらに大きな成長を期待する。

副将として積極的にコミュニケーションをとっている

片倉はグラウンド内ではFWリーダーとしてユニット練習を引っ張り、グラウンド外では笑顔で、下級生と積極的にコミュニケーションを取ることを心がけた。「(箸本)龍雅と(山沢)京平ってオーラがあるじゃないですか! 僕は話しやすいキャラになろうと、いつもニコニコ、ポジティブにいることを意識しましたね」(片倉)

もう一つ、副将である片倉がチームに対して行っていることがある。田中監督に「片倉のラインアウトの考え方や分析方法などを明治大学のレガシーというか財産として残してほしい」と頼まれたという。そこで、来年以降、「コーラー」になりうる武内慎(2年、石見智翠館)、吉沢拓海(2年、熊谷工)、山本嶺二郎(1年、京都成章)、亀井茜風(1年、長崎北陽台)らロックの選手を集めてミーティングを行っている。

ラインアウトで紫紺に伝統残す

対抗戦のラインアウトの全データーを出してもらい、片倉が講師役となって大学選手権までに向上できる部分なども話し合ったという。「明治のラインアウトは安心して見ていられる、相手にすごいプレッシャーをかけられるといった伝統は残していきたいですね」(片倉)

今季の明大に欠かせない片倉副将(左)と箸本主将

19日から片倉は大学生最後の大会に臨む。負けたら終わりのトーナメントだ。大学での4年間を振り返って、「ラインアウトがこんなに通用するとは思っていなかったのでラグビーを続けて良かったです! 少しクサイかもしれないが、優しいし面白いし、しゃべっていて楽しいし、同期に恵まれたことが一番です」と破顔した。

昨年度の早大との決勝は「ラインアウトの準備不足で負けた」と悔しそうな表情を見せた。「大学選手権の残り3試合はラインアウトを圧倒する!」と片倉が語気を強めるように、空中戦を制することができれば、紫紺のジャージーが大学王者に返り咲くはずだ。

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