野球

桐蔭横浜大の片山皓心投手、関東地区選手権3完投の鉄腕は2年後のドラフト候補へ

ホンダへ進みさらに高みを目指す左腕の片山皓心(桐蔭横浜大学提供)

桐蔭横浜大学は秋の神奈川大学野球リーグを制し、関東地区大学野球選手権で関東5連盟の頂点に立った。3年秋まで通算1勝だった左腕の片山皓心(ひろみ、4年、日立一)が、秋のリーグ戦で6勝を挙げ、関東選手権では3試合を1人で投げ切った。明治神宮大会が中止となり、全国デビューはかなわなかったが、リーグ戦8本塁打の渡部健人(4年、日本ウェルネス、埼玉西武ライオンズ1位)とともに、投打の主役として大きな足跡を残した。

「連投の方がいいボールがいくんです」

「無名だった自分をここまでに成長させてくれた。監督、仲間には感謝しています。桐蔭横浜大学へ来て、本当によかった」と決勝の試合後、片山は笑顔で言った。

初戦の中央学院大学(千葉県大学野球1位)戦では7安打1失点10奪三振。1日おいての準決勝、共栄大学(東京新大学2位)戦では4安打1失点8奪三振。翌日の決勝、創価大学(東京新大学1位)戦ではソロ本塁打2本を浴びたが、7安打3失点7奪三振と、計27回を1人で投げきった。最速148kmをマークする速球にブレーキの効いたチェンジアップなどを織り交ぜた安定感抜群のピッチングを披露。最優秀選手賞、最優秀投手賞を獲得した。

片山が3試合を投げきり桐蔭横浜大は7年ぶりに関東地区選手権を制した(撮影・小川誠志)

肩関節周りの柔らかさが片山の大きな魅力だ。4日間で3完投し、準決勝、決勝は連投になったが「連投の方がいいボールがいくんです。柔らかいので、肩が多少張っている時の方が可動域が少し狭くなって、ピッチングの再現性が高いんです」と片山は涼しげに語る。

全国がなくなり「関東で優勝」が最終目標に

リーグ戦優勝、大学日本一を目指して戦うさなかの10月9日、明治神宮大会の中止が発表された。通常はリーグ戦を勝ち抜いた関東5連盟の1位校、2位校がトーナメントの関東地区大学選手権を戦い、優勝、準優勝の2校が明治神宮大会への出場権を得る。コロナ禍の中、6月の全日本大学野球選手権に続いて明治神宮大会も中止となり、2020年、大学野球界では全国大会が両方とも開催されないことになった。部員たちはモチベーションを失いかけたが、「関東で優勝して終わろう」を最終目標に、もう一度結束を強めた。

「関東では優勝して終わりたかったので、三つとも自分が投げるということは監督と大会前から話していました」と片山は大会前のこと振り返って話す。その言葉通り、3試合を1人で投げ切っての優勝だった。

「将来はプロ野球選手になりたい」と高校生のころから思っていたが、それは漠然としたあこがれ、夢に近いものだったという。

茨城県立の進学校、日立一で、2年生の夏には30年ぶりに全国選手権茨城大会の決勝まで進んだが、主にマウンドを守ったのは3番をつける同学年の鈴木彩斗(筑波大学)だった。最後の夏、片山が背負った背番号は20番だった。当時の速球の最速は「133、34kmぐらいだったと思います」(本人)。それでも日立一の中山顕(あきら)監督は素質を高く評価し、高校で実績を残せなかった片山を桐蔭横浜大の齊藤博久監督に推薦した。齊藤監督は桐蔭横浜大の監督に就任する前、水戸短大付高(現・水戸啓明)で監督を務めており、中山監督とは旧知の仲だった。

齊藤監督は当時のことをこう語る。「中山先生から『見てもらいたいピッチャーがいるんです。片山の性格を理解して伸ばしてくれる監督じゃないと、あの子は伸びない。齊藤監督じゃないと合わないと思う。桐蔭横浜大に預けたい』というふうに言われまして。練習会でピッチングを見たらすごく柔らかいので、うまく育てばいいピッチャーになると思いました」

3年の冬につかんだ手応え

2年秋にリーグ戦初登板を果たすと、3年春には開幕投手に指名された。ところが右ひじを痛め戦線離脱を余儀なくされる。秋は登板できず、不本意なシーズンを過ごすことになったが、ケガが治ってからの冬場の練習で手応えをつかんだという。ピッチングの際、力んでしまって下半身と上半身が同じタイミングで出るようになっていた。まず下半身から先に出て、そのあとに上半身がついていく、「割れ」を作るドリルをやってみると、フォームから力みがなくなったという。

「自分の中の感覚で『今日は力んでる』と思ったときに、そのドリルをして修正をしています。それをやるようになってからよくなりました」と片山は飛躍の理由を説明する。

柔らかくしなるような投球が片山の持ち味(桐蔭横浜大学提供)

「夢」だったプロ野球の世界が明確な「目標」に変わったのは、このころだった。ドラフトイヤーへ向けて確かな手応えをつかんだ。しかし、コロナ禍の中、春のリーグ戦が中止になってしまう。野球部は一旦解散となり、片山は茨城県ひたちなか市の実家へ帰って自主トレーニングを続けた。

「2カ月間、キャッチボールだけはしっかりしておこうと思って、小学校時代のチームメートに受けてもらいました。ただの遊びのキャッチボールじゃなくて、しっかり投げたキャッチボールができました。指先、肩、ひじの感覚だけは保っておきたくて」

迎えた秋のリーグ戦、片山はそれまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすような見事なピッチングを見せた。開幕戦の鶴見大学1回戦で5安打10奪三振での初完封勝利を挙げると、10試合中7試合に先発し6勝1敗、防御率は1.39。最優秀投手、ベストナインを獲得した。

秋のドラフトが大きな刺激に

リーグ戦優勝後の10月26日に行われたドラフト会議では、渡部が埼玉西武ライオンズから1位指名を受けた。同じ大学生左腕の早稲田大学の早川隆久(4年、木更津総合、東北楽天)、法政大学の鈴木昭汰(4年、常総学院、千葉ロッテ)が1位指名されたことも大きな刺激になったという。

「無名だった自分をここまでに成長させてくれた監督、仲間には感謝しています」(撮影・小川誠志)

「身近な人が指名されたというのは初めてですし、同級生が指名されるのを見て、自分も行きたいなって、すごく思いました」と片山は目を輝かせた。

高3秋のドラフトのころはテレビの向こうの人たちだったプロ野球選手に、大学4年間で大きく近づくことができた。卒業後は社会人野球のホンダ(埼玉県狭山市)へ進むことが決まっている。ホンダは今冬の都市対抗野球大会を制したチームだ。齊藤監督は「社会人の指導者に見てもらうことによってさらに球速も上がって、さらにいいピッチャーになると思います」と断言する。社会人野球の強豪でレベルアップを図り、大学では果たせなかった日本一と、2年後のプロ入りを目指す。

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