明治大学のルーキーCTB廣瀬雄也、体を張ったプレーで信頼を勝ちとる
シーズンが深まるにつれて紫紺の12番の輝きが増すばかりだ。ラグビーの第57回全国大学選手権は2021年1月2日の準決勝、11日の決勝の3試合を残すのみとなった。王座奪還を目指す明治大学(関東対抗戦1位)で、対抗戦の帝京大学戦(11月22日)から1年生で唯一先発を続けている選手が、ツーブロックの髪型が印象的なインサイドCTB(センター)廣瀬雄也(東福岡)だ。
明大にとっては大学選手権の初戦となった準々決勝の日本大学(関東リーグ戦3位)戦でも廣瀬は前半5分、見事なオフロードパスでコンビを組む児玉樹(いつき、3年、秋田工)のトライを演出。その後も中盤で体を張り続けて34-7で勝利に貢献した。
監督から1対1のタックル指導
コロナ禍で福岡の実家に一度帰り、再び東京・八幡山の合宿所に戻ってきた廣瀬は、部内マッチを経て、すぐにレギュラー組のペガサス(A・Bチーム)で練習するようになった。もともとロングパスやロングキックのスキルは高く評価されていたという。ただ、「タックルできない選手は試合に出さない」という田中澄憲監督の方針の下、練習後に直接、監督から1対1でタックルの指導を受けた。
アタック能力の高かった廣瀬は高校時代、タックルは好きではなく苦手意識が強かった。高校3年生の4月に右肩の手術をして半年ほどリハビリをしていた時期もあり、大学でのタックル練習は、最初は「体を当てないと始まらないですが、怖かった」と正直に吐露する。
それでも田中監督を筆頭にコーチ陣の信頼を得て、試合に出るために毎日、全体練習後、スタッフやチームメートに付き合ってもらいタックルの基本練習を続けた。もちろんCTBとしてフィジカル強化にも取り組み、ベンチプレスは、高校時代は100kg上がらなかったが125kgを上げられるようになった。
すると対抗戦2試合目の青山学院大学戦(10月11日)では控えから出場を果たした。「スクール時代から一緒の(キャプテン箸本)龍雅さんと一緒に試合にでることが目標だったのでうれしかったですね!」。さらに慶應義塾大学戦(11月1日)でも途中出場し田中監督に「パスだけでなくボールキャリーと、課題だったタックルとディフェンスのコミュニケーションが良くなっている」とほめられて、少しずつ自信をつけいった。
また東海大Bとの練習試合では12番で先発し、さらに早稲田大学との新人戦の週にタックル練習でしっかり相手を倒していると、田中監督が驚いた表情を見せて「自分から入っていたら(タックルが)好きになるでしょ」と言われたという。
このあたりから廣瀬はタックルスキルや入るタイミングを徐々に自分のものにしてきたという実感があり、苦手意識も薄れていった。「タックルに慣れてきましたし、1回、感覚をつかんだら入れるようになりました。もうちょっと(調子を)上げていければいいかな。本当に澄憲さんには感謝しています」と破顔した。
課題克服し先発定着
廣瀬は、最初はやや遠慮していた先輩とのコミュニケーションも積極的に取りつつ、さらにタックルという課題を克服しつつあったからこそ、慶大に敗れた後の帝京大戦で先発の座を勝ち得て、その後の活躍につながったというわけだ。
1月2日の大学選手権準決勝、相手は関西Aリーグで5連覇を果たした天理大学だ。特にサンウルブズの選手としてスーパーラグビーでも躍動したCTBシオサイア・フィフィタ(4年、日本航空石川)を止められるかどうかは試合の流れを決める可能性もある。
廣瀬もそれは十分承知しており、「フィフィタはキャリーだけでなく、パスもするようになったので、2人が(フィフィタに)寄ったらパスされてしまうので、(CTB児玉)樹さんと2人でコミュニケーションを取って1対1でなんとか止められるように準備したい。タックルでフィフィタをきれいに倒して会場を沸かせたい!」と語気を強めた。
そんな廣瀬の父・友幸さんは江の川高(現・石見智翠館、島根)、中京大学、ニコニコ堂、豊田自動織機、そして宗像サニックス(当時はサニックスボムズ)ではトップリーグでもプレーしたバックスの選手だった。父の影響で、広瀬はサニックスのグラウンドで練習をしている玄海ジュニアラグビークラブで小学校1年の頃から競技を始めた。父は今でも動画つきで、個人的な課題に関しては「ここをこうしろ」などアドバイスを送ってくるという。
スクールの先輩、福岡のソックス
ラグビースクールの同級生には筑波大CTB谷山隼大(はやた、1年、福岡)もいたため、廣瀬は小学校6年頃、彼の影響で3ヶ月間ほど、足腰を鍛えるために相撲に挑戦したこともあるという。また先輩には元日本代表WTB福岡堅樹(パナソニック)もおり、何度かスクールを訪れて日本代表のジャージーなどをプレゼントしてくれたこともあった。「(スクールの)みんなでジャンケンして分けていましたね。僕はソックスでしたね(苦笑)」と懐かしそうに振り返った。
河東中学時代も土日はラグビースクールに通い、平日は、ラグビー部がなかったこともあり他の部活に入らず、家が近所だった1学年下のWTB/FB西端玄汰(東福岡高3年)らと公園でパス練習などをしていた。そして中学3年時、谷山、早稲田大学CTB伊藤大祐(1年、桐蔭学園)らと福岡県選抜に選ばれたが、全国大会の決勝で京都府中学選抜に敗れて優勝することはできなかった。
高校進学にあたって、当初は、父の母校・石見智翠館、従兄弟のHO(フッカー)廣瀬直幸(現・セコム)がプレーしていた流通経大柏(千葉)といった県外の強豪校に行って「東福岡を倒したい」と思っていたという。ただ、中学時代に優勝できなかったことや、藤田雄一郎監督に「東福岡で優勝して、大学から県外に行けばいい」という言葉に惹(ひ)かれて、東福岡に進んだ。
しかし、部員が100名を超える全国的強豪の中で、高校1年時はメンバー入りすることはできなかった。2年になると先発で出場できるようになった。廣瀬の現在のウリである、積極的な仕掛けやロングパス、ロングキックといったスキルは高校時代に大きく培われたものだ。しかし「花園」こと全国高校ラグビー大会では2年時は準決勝で、主将として臨んだ3年時も同じく準決勝で、伊藤が中心選手のひとりだった桐蔭学園(神奈川)の前に涙を呑んだ。
大学進学は複数のチームから誘われて悩んだ末に、高校2年の時に大学選手権で優勝していた明大を選んだ。「波に乗っているチームだし日本一も狙えると思いました。また早明戦とかお客さんがたくさん入る中でプレーできたら楽しいかも」という理由だった。
もし大学選手権の準決勝の天理大に勝つことができれば、高校時代は一度も経験することができなかった決勝の舞台が待っている。
廣瀬は「(天理大に)勝つことができたら大きな成長につながる。アタックから乗ることも大事ですが、ディフェンスから攻めていけたらいい。今までずっと課題にしてきたタックルを練習してきたので、それを出さないと意味ない。まず、ディフェンスからしっかりやってきたい」と腕を撫(ぶ)した。
同期のライバルに負けられない
また、もし明大が天理に勝利し、早大も帝京大学に勝利すれば、決勝でCTB伊藤がトイメンになる可能性もある。高校時代に勝つことができなかった廣瀬は「福岡で一緒にやっていた(伊藤)大祐が桐蔭学園で東福岡を倒して、いいプレーして注目を浴びていました。またもし負けたら早大、伊藤にもっていかれてしまう。大祐には負けたくない」とライバル心を燃やしている。
廣瀬は部屋の整理整頓や掃除をして心を整えてから、試合に臨んでいるという。「この3年間でまだどうなるかわからないですが、ラグビーをやるならプロ選手になり、日本代表となってワールドカップを目指したい」と将来を見据えた。
「現状維持は衰退」という廣瀬はこれからも総合力の高い12番へと進化の歩みを止めることはない。まずは自身初となる日本一のタイトル奪取を目指し、磨いてきたタックルで目の前の敵を倒して明大の勝利に貢献する。