陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

帝京大・細谷翔馬、初の箱根駅伝で5区区間賞 3年間の準備が花開いた

初めての箱根駅伝で細谷は自身初の区間賞を獲得した(撮影・佐伯航平)

第97回箱根駅伝 

1月2~3日@大手町~箱根の10区間217.1km
5区区間賞 細谷翔馬(帝京大3年) 1時間11分52秒

箱根駅伝の5区は毎年多くの注目を集めており、今大会でも区間記録保持者である東洋大学の宮下隼人(3年、富士河口湖)や3度目の山上りとなる東海大学の西田壮志(4年、九州学院)など経験者の前評判が高かった。そんな中、区間賞を獲得したのが初の箱根路となった帝京大学の細谷翔馬(3年、東北)だ。「箱根では人が“(山の)神”になりますけど、結局のところ準備だと思う。彼は3年かけてやってきた。大学スポーツってこういうものじゃないかな」と中野孝行監督は言う。

帝京大・中野孝行監督「箱根駅伝はただのスポーツではない」 生き様が走りに出る舞台

テレビで見た柏原竜二さんにあこがれて

細谷の持ちタイムは5000mが14分27秒01、10000mが29分42秒34。昨年11月の全日本大学駅伝が学生3大駅伝のデビュー戦となり、8区を走り区間9位だった。同期には1年生の時から箱根駅伝で活躍してきた遠藤大地(3年、古川工)がおり、どちらかというとその陰に隠れてきたところがあったかもしれない。中野監督も「なかなかその片鱗(へんりん)を示してくれることがなかった」と振り返る。それでもこの3年間、箱根駅伝で5区を走ることを目指し、コツコツと努力を積み重ねてきた。

細谷が陸上を始めたのは小2の時、地元・山形県寒河江市の陸上クラブがきっかけだった。「小さい頃から箱根駅伝はなんとなく見ていたんだと思うんですけど、ちゃんと意識して見たのは小5の時でした」と細谷。当時東洋大だった柏原竜二さんが5区でグングン追い抜いていく姿を見て、いつかここを走ってみたいという思いが芽生えた。しかし進んだ中学校には陸上部がなく、ほかのスポーツをしながら陸上の練習をするアスリート部があっただけだった。練習は平日のみで、練習時間も他の部より短い。それでも大会には出場でき、細谷は3年生の時に全中に出場。3000mで決勝の舞台を経験した。

高校では山形を出て東北高校(宮城)へ。やっと陸上に専念できる環境になったが、けがの影響もあって1~2年生では思うように結果を残せなかった。「山形に残った選手が自分よりもいい記録を出していて、中学時代は同じくらいのレベルだったのになって思いながら、悔しい思いをしていました」と振り返る。3年生になってから3000m障害(SC)を始めたところ感触がよく、地元・山形開催のインターハイの切符を獲得。予選で転倒してしまい思うような走りはできなかったが、苦しんだ3年間の先で、地元の人たちに応援されながら走ったレースは格別のものだった。

上りのためにトレッドミルで自主練習

帝京大への進学を決めたのは大学で成長したいと考えてのことだった。トラックでまだ十分に結果を出せていないという思いはあったが、過去の帝京大の選手たちを見てみると、箱根駅伝常連校の中ではトラックで突出した記録を出していなくても箱根駅伝ではしっかりと結果を残している。自分も先輩たちのように4年間で力を蓄え、駅伝で勝負ができるような選手になると心に決めた。

時には悔しさも力にして、細谷は練習を継続してきた(撮影・松永早弥香)

とくに同期の遠藤は同じ宮城の高校だったこともあり、高校時代から意識してきた選手だという。「高3あたりから遠藤が一気に抜け出した感があったので、追いつきたいという気持ちでやってきました」と細谷。その遠藤は1年生の時から箱根駅伝デビューを飾り、3区で8人抜きを成し遂げ、区間3位と結果を残した。そんな同期の活躍を横目に見ながら、細谷はいつか5区を走る日のために練習を継続した。

細谷には高校時代から上りが得意という意識があり、細谷の高校時代の先生も「上りで力を発揮できると思いますよ」と中野監督に伝えていたという。前回の箱根駅伝後の2月、スタッフからの提案で部にトレッドミルが導入されると、細谷は上りの練習のために率先してトレッドミルを用いた練習に取り組んでいた。新型コロナウイルスの影響で部での練習ができなくなり、様々な大会が中止・延期になった時も、箱根駅伝は開催されることを信じて走り続けた。

今シーズン、細谷が出場できたトラックレースは10月に行われた多摩川5大学対校長距離競技会(帝京大、國學院大學、駒澤大学、創価大学、明治大学)のみ。そこで10000mの自己ベストを出せたが、他大学の選手たちに力を見せつけられた。その悔しさからもう1回走り込み、11月の全日本大学駅伝では8区アンカーを任された。1km3分ペースでレースを進め、8位から7位に順位を引き上げてフィニッシュ。初の3大駅伝にプレッシャーもあったが、自分の走りを貫けたことは自信になったという。

全日本大学駅伝で学生3大駅伝デビューを飾り、アンカーを務めた(撮影・朝日新聞社)

中野監督の中では11月の時点ですでに細谷を5区に走らせようという考えはあったが、最後の最後までチームにも細谷自身にも、想定区間を明かさなかったという。それは5区に限らず、どの区間でも同じだ。「プレッシャーから走れなくなってしまう選手もいるから、私は最後の最後まで見極めるようにしています。それに、選手一人ひとりに最後までチャンスをあげたいという思いもあります」と中野監督は言う。細谷は過去に5区を走った選手のように、自分のメニューが組まれていると感じながら、本番にしっかりピークを合わせられるように調整を進めた。そして12月29日の区間エントリー発表の通り、細谷は5区を任された。

ひとりまたひとりと抜き去り、東洋の背中を追った

帝京大の1~3区は前回と同様、小野寺悠(4年、加藤学園)、星岳(4年、明成)、そして遠藤が担った。2区を終えた時点での順位は14位と前回よりも苦しいレースになったが、3区で遠藤が区間4位の走りで8人を抜いての6位に浮上。4区の中村風馬(3年、草津東)で8位に順位は落ちたが、2位の駒澤大まで1分2秒という前が見える中で襷(たすき)を託された。「往路3位」というチームが掲げた目標を、自分の走りで引き寄せる。その思いを胸にスタートした。

快走を続けてひとりまたひとりと抜き去り、11.7km地点の小涌園前で東海大の西田を捉え、4位に浮上。上りきった残り5km地点で、前には駒澤大の鈴木芽吹(1年、佐久長聖)とその前には東洋大の宮下の姿が見えた。運営管理車からは「前の東洋を追え! そこまでいけば区間賞だぞ!!」と中野監督からの声が届いた。宮下を抜けば間違いなく区間賞だろうという思いは細谷にもあった。持てる力を振り絞り、少しずつ差を詰める。最後に抜けずそのまま4位でフィニッシュしたが、3位の駒澤大とは10秒差、2位の東洋大とは17秒差の僅差でレースを終えた。1時間12分切りで区間5位以内を目指していた中、1時間11分52秒で帝京大初の5区区間賞という大きな成果を残した。

全て出し切ってゴールした細谷(中央)をマネージャーの樋口雄平(2年、帝京)が笑顔で支えた(撮影・佐伯航平)

復路スタートの6区三原魁人(3年、洛南)がレース中に足の甲を疲労骨折するというアクシデントに見舞われたが、気力で襷をつなぎ、帝京大は総合8位で4年連続のシード権を獲得した。チームが目指していた総合3位に届かなかったが、「課題はそれぞれがもう分かっているでしょうから、私からはあえて言いません。学生たちの頑張りをほめてあげられるのが監督でしょうから、私はただ、みんなよく頑張った、それだけです」と中野監督は選手たちをたたえた。

ラストイヤー、トラックでも結果を出す

細谷は力を出し切れた要因として「練習を継続してきたから」と言う。箱根駅伝を目指して1年生の時から練習を重ね、コロナ禍で全体練習ができなくなってからも気持ちを切らすことなく走り続けた。トラックレースが走れなくなったことをマイナスに捉えず、自分の走りと向き合い、今の自分に必要なことを考えながら行動してきた。

今年の箱根駅伝は無観客開催だったため、細谷の両親もテレビで我が子の走りを応援していた。レース後、両親からは電話で「すごいね。自慢の息子だよ」と声をかけられたそうだ。「今までも親からほめられることはありましたけど、そこまで言ってもらえたのは初めてでした」と細谷はうれしそうに明かしてくれた。

ラストイヤーは10000mで自己ベストを更新し、28分45秒切りを狙う(撮影・松永早弥香)

箱根駅伝が終わり、いよいよラストイヤーが始まる。1年生の時、遠藤が「僕たちの代で箱根駅伝総合優勝をしよう」と言っていた言葉は今も覚えている。来年、自身最後の箱根駅伝で目指すは5区区間記録(1時間10分25秒)を更新する1時間9分台。ただその前に、トラックシーズンで結果を出したいと考えている。「今回がまぐれだと思われたくないので、しっかりトラックでも結果を出せると証明していきたいです」

初めての箱根駅伝を5区区間賞で終えた今、小さい頃にあこがれた柏原さんに少しだけ近づけたのかな、という思いはある。かつての自分がそうだったように、今度は自分の走りで多くの人たちの夢をつないでいく。

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