陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

帝京大・中野孝行監督「箱根駅伝はただのスポーツではない」 生き様が走りに出る舞台

帝京大は総合8位で4年連続となるシード権を獲得した(撮影・藤井みさ)

第97回箱根駅伝 

1月2~3日@大手町~箱根の10区間217.1km
帝京大学
総合8位 11時間4分8秒
往路4位 5時間30分39秒 
復路11位 5時間33分29秒 

今年の箱根駅伝で帝京大学は「総合3位」を目標に掲げ、総合8位でレースを終えた。新型コロナウイルスが猛威を振るう中で行われた箱根駅伝を終え、中野孝行監督は「まずは箱根駅伝ができたことに感謝だなと思った。勝負だから順番が必要だったと思うけど、どの大学もゴールできてよかった」と振り返った。

帝京大・細谷翔馬、初の箱根駅伝で5区区間賞 3年間の準備が花開いた

コロナ禍、学生の意識を知るきっかけになった

今シーズンはコロナの影響でチーム練習の中止を余儀なくされ、トラックレースの中止・延期が相次ぎ、出雲駅伝も中止となった。大学によって状況こそ違っていたものの、どの大学も難しい舵取りを任されることになった。「この1年はずっとテンパっていましたよ」と中野監督は振り返る。ただそれでも「全てが悪影響だったとは思いたくないですし、逆にこの期間があったからと思えることもあった」と言う。

帝京大は昨年3月末から6月中旬までの約3カ月間、チームでの練習ができなくなった。その間は特に中野監督からは指示を出さず、「自分が好きな、得意なメニューをやりなさい」と伝えて各自に任せた。目標となるレースが見えない中で走らせても、選手たちは苦しいだけだろうと考えたからだ。実際、主将の星岳(4年、明成)も「本当に箱根駅伝はあるんだろうか」と不安を感じることもあったという。

6月中旬にチームでの練習を再開。目標となるレースが見えず、モチベーションを保つのが難しい時期だった(撮影・松永早弥香)

中野監督が帝京大の監督に就任した2005年から数年は、自分がレールを敷くことで限りなくミスがないように学生たちを導いていたというが、近年は学生自身が考えることを大切にしてきた。この約3カ月はより学生の主体性に任せたところ、「個々で差があって、みんながみんな、共通認識ではない。目標に対してクリアにしている者とそうではない者もいる。それをアタックさせるためにはどうしたらいいか、私の課題でもあった」と中野監督は感じたという。

例年、チームは夏合宿で危機感を高め、よりチームとして結束していく。今年は出雲駅伝はなかったが、10月に行われた多摩川5大学対校長距離競技会(帝京大、國學院大學、駒澤大学、創価大学、明治大学)で他大学の力を見せつけられたことで、改めて現状と目指すものが明確になったという。11月の全日本大学駅伝は1区18位と出遅れたが徐々に順位を上げ、最後は7位でゴール。5時間14分40秒という大学新記録は自信になった。

共同取材の受付に立った4年生

例年、箱根駅伝前の共同取材として各大学が対面での取材を受け入れていたが、今回は感染拡大防止のために多くの大学がオンラインに切り替えた。その中で帝京大は12月14日、対面で実施した。大学自体が一定の条件の下で対面授業をしていたことや、大学側もメディア側も感染防止対策ができるのであればということを考えての対面取材だったが、中野監督としても箱根駅伝に向けて頑張っている学生たちの姿を見てほしいという思いがあったという。

共同取材の舞台に立った16人の選手は、スタッフとして支えた4年生の思いを受け取った(撮影・松永早弥香)

受付などのスタッフはエントリーから外れた4年生が担っていた。これは主務の山崎隼輝(4年、相洋)の発案だった。例年とは違うコロナ禍でのシーズンとなり、4年生たちは何度もミーティングを重ね、時にはぶつかりながらチームを運営してきた。そんな4年生が頑張る姿を見せることで、チームの力になれることがあるんじゃないか。そんな思いを胸に、4年生たちはメディア対応をしてくれた。中野監督はそんなやり取りがあったことを知らず、当日、4年生が受付にいたことにびっくりした。「お! お前が受付か」と言うと「そうなんです」と笑顔で返してくれたという。その姿を見て、中野監督は彼らのためにも箱根駅伝を成功させたいと感じた。

「彼が箱根駅伝に出ることはないけど、チームの箱根駅伝は終わってないということを感じられました。いいチームになったなと思いましたよ。走る選手のためだけじゃなくて、メンバーから外れた選手たちのためにも成功させたいと思った。箱根駅伝はそういうものだと思っている。ただ単にスポーツで勝った負けたじゃなくて、いろんな人に支えられながら迷惑をかけながらやっているんだな、という思いを強くしましたね」

6区三原が疲労骨折をしながらも襷をつないだ

迎えた箱根駅伝、帝京大としては現チームで最高のメンバーを組むことができた。1~3区は前回と同じ小野寺悠(4年、加藤学園)、星、遠藤大地(3年、古川工)の3人が務めたが、小野寺は区間13位、星は区間12位と苦しんだ。しかし遠藤が自身3度目となる3区で快走を見せ、8人抜いて6位に浮上。4区の中村風馬(3年、草津東)は順位こそ8位に落としたが、2位の駒澤大まで1分2秒という前が見える中で細谷翔馬(3年、東北)に襷(たすき)をつないだ。

細谷は序盤から攻める走りでひとりまたひとりと抜いていき、4位でフィニッシュ。初の箱根路で1時間11分52秒をマークし、帝京大初の5区区間賞を獲得した。5区へのあこがれを胸に気持ちを切らすことなく走り続けてきた細谷に対し、中野監督は「彼は3年かけてやってきた。大学スポーツってこういうものじゃないかな」と言う。

5区を走った細谷は箱根駅伝デビュー戦で自身初の区間賞を獲得した(撮影・佐伯航平)

復路のスタートとなる6区を任された三原魁人(3年、洛南)もまた、万全の状態でこの日を迎えたはずだった。しかし2km地点で足の甲に違和感と軽い痛みを感じ、5kmの上り終えて下り始めたところで明らかな痛みを自覚。痛みは徐々に強くなっていき、最後の3kmでパキッという音とともに激痛が走った。運営管理車から見ていた中野監督にも何かが起きたというのは分かっていたが、表情を見る限りはいつもと変わらないように見えたという。それでもなんとか走行を続けたが、最後の1kmでもう一度強い衝撃音を感じた。気力で走り抜き、7区の寺嶌渓一(3年、前橋育英)に襷をつないだ。

その後、すぐに検査をした結果、三原の疲労骨折が判明。10区中盤で中野監督は知らせを受けた。「私には責任がありますから。知っていたら止めたと思います。あってはいけないことですから美談にしてはいけないんですけど、最後まで思いをつないだ三原はすごいなと思いました」と中野監督は言う。

6区三原は序盤から痛みを感じながらも、最後まで襷をつないだ(撮影・佐伯航平)

レースは10区、6位で襷を受け取った山根昂希(4年、和歌山北)が7位と8位から追い上げてきた早稲田大学と順天堂大学との3校争いの場面だった。後ろには國學院大も迫っている。「三原がつないだ襷だ。最後まで諦めるな!」と中野監督は声をかけた。山根は残り3kmで仕掛けて前に出たが吸収されてしまい、最後の勝負で早稲田大と順天堂大に抜かれて8位でゴール。全てを出し尽くし、星に抱えられながら山根は最初で最後の箱根駅伝を終えた。

箱根駅伝には“箱根駅伝道”がある

箱根駅伝を終え、中野監督は「箱根駅伝はやり直しが利かないんです。トラックのスピードが必ずしも箱根駅伝に結びついているとは限らない。だから準備がめちゃくちゃ大切なんです。今大会はミスがなかったチーム、年間通して継続できたチームの順番だったのかなと思いました」と振り返る。

「今回はミスを小さく勝ちを最大化できたチームが勝った」と中野監督(左、撮影・佐伯航平)

今大会は例年とは異なるシーズンの中で箱根駅伝が開催され、学生たちも悩みながら苦しみながら走り続けてきた。「箱根駅伝はただのスポーツではなくて、生き様だと思っています。“箱根駅伝道”みたいな、ある意味、武道に通じるところがあるんじゃないかな」と中野監督は言う。シード権を得られなかったチームは予選会を勝ち上がらなければならず、チーム内競争も熾烈(しれつ)だ。箱根駅伝に挑めるチャンスは人生でたった4回しかない。そんな限られた舞台にみんなの力で挑む。

その力は部だけではない。例えば帝京大のグランドに続く道の途中に、「頑張れ!! 箱根の快走!! ファイト!! 帝京!! 応援しているよ!」という貼り紙を作って応援してくれる地域住民もいる。箱根駅伝後には「シード獲得おめでとう! 今年も一年頑張って! 期待してます」という貼り紙に変わっていた。昨春の自粛期間中も、部にマスクを寄付してくれた地域企業もいたという。自分のためだけではなく、自分たちを応援してくれる人のためにも頑張ろうという思いを全員が強くした。

箱根駅伝直後の1月4日はオフとし、5日から新主将の橋本尚斗(3年、鳴門)の下で新チームが始動した。中野監督は言う。「これからもいろんな人を巻き込んでいかないといけないと思っています。それが箱根駅伝だと思うんです」。様々な人たちからの応援を力に変え、またここから帝京大は箱根駅伝への挑戦を始める。

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