ラクロス

横浜DeNAベイスターズで働く清水建人さん 慶應大ラクロス部の経験が今の自信に

大学時代はラクロスに打ち込み、銀行に就職。その後ベイスターズに転職した(写真提供・横浜DeNAベイスターズ)

横浜DeNAベイスターズ球団のビジネス統括本部MD部で、戦略・企画グループリーダーとして活躍している清水建人(けんと)さん。慶応義塾大学ではラクロス部でプレーし、U19日本代表も経験した。大学時代の経験が社会に出てからどう生きたのか、そして清水さんはいかにして、スポーツの世界で働くという初志を叶(かな)えたのか。オンラインで話を聞いた。

98年のベイスターズ日本一の感動がきっかけに

将来はスポーツに関わる仕事をしてみたい。清水さんの心にそんな思いが芽生えたのは、中学3年の時だ。この年(1998年)、清水さんが生まれ育った横浜の球団である横浜DeNAベイスターズ(当時、横浜ベイスターズ)が、38年ぶりの日本一になった。

「感動しましたね。プロスポーツチームには、こんなにも人の心を動かす力があると思いました」

98年のベイスターズの日本一は、清水少年の心に大きな感動を呼び起こした(撮影・朝日新聞社)

ベイスターズの日本一は、中学では馬術部だった清水さんが、チームスポーツを始めるきっかけにもなった。高校に進むと、アメリカンフットボール部に入部する。「チームスポーツで優勝する感動を味わいたくて。初心者で入ってもポジションが多いので、試合に出られる可能性があると思ったのが、アメリカンフットボール部だったんです」。清水さんは3年時、副主将として関東大会優勝を経験。チームスポーツで優勝するという目標を果たした。

慶應義塾大学でも全く経験がないスポーツにチャレンジした。ラクロスである。

「日本代表になりたかったんです。ちょうど2002年サッカーワールドカップで日本が盛り上がっていて、それに影響を受けたところもありまして(笑)。とは言え、メジャーな競技では難しい。だったら日本ではまだ歴史が浅く、大学で始める人がほとんどのラクロスならチャンスがあると。翌年、19歳以下の世界大会が開催されることも、ラクロスを選ぶ動機になりました」

どうすれば日本代表になれるか、とことん考えた

いざラクロスをやってみると、用具の扱いが難しかった。ラクロスでは、クロスと呼ばれる先端にネットがあるスティックを使う。清水さんはアメリカンフットボールで培った当たりの強さを生かせるディフェンスになったが、ディフェンスのクロスの長さは身長ほど。他のポジションより長かった。「クロスを使ってボールを投げたり捕ったりできるようになるまで、時間がかかりましたね」。

それでも1年時からベンチ入りも経験。2年時には競技を始めて1年で、念願だったU19日本代表に選出され、主将として世界大会に出場した。U19の日本代表にどうしてもなりたかった清水さんは、どうすればなれるか、とことん考えたという。

どうすれば日本代表になれるかと考え抜き、それに向かって行動した(7番が清水さん、写真は本人提供)

「僕は実力的に抜きん出ていたわけではありません。そこでまず、代表チームの監督やコーチとコミュニケーションを取り、どういうチームを作ろうとしているのか理解したんです。その上で、代表チームにフィットするにはどうすればいいか、とことん突き詰めました」

日本代表になることで得られたものは大きかった。「選抜された選手で構成する期間限定のチームは、“個人としてもチームとしても結果を出す”という高い意識の選手ばかり。そこに身を置けたのは、意識の持ち方の面で今でも財産になっています」。

慶大のラクロス部は清水さんの在学中も強かった。1年時から3年時までは大学王者で、社会人チームとの日本一決定戦に進出。「自分たちの代は全日本ベスト4でしたが」と苦笑するも、大学時代に後悔はなく、やり切った感があるという。「プレーヤーである学生が主体になって戦術を考えたり、組織運営をしたことなども、社会人になってから間違いなく生きていると思います」

銀行員生活は充実も、初志を貫き転職

大学卒業後は銀行に就職した。スポーツ関係への思いは強かったが、行きたいところはどこも門戸が狭かった。まずは世の中、ビジネスのことを勉強してから、スポーツ関係に転職しよう。清水さんは青図を描いて、バンカーになった。「銀行で何かをしたいというのはなかったんです。エントリーシートには“勉強させてください”と書きました」

日本代表としてプレーできた経験は、その後にも大きな影響を残した(写真は本人提供)

銀行では法人向けの融資の部署に配属され、銀行特有の文化の中で鍛えられた。「銀行は個人の判断よりも、定められたマニュアルに則って動くことが重要でした。 案件を進める時に大事なのは、そのためのマニュアルがどこにあるのか見つけることでした」

志望していた業種ではなかったが、清水さんは金融の世界で一生懸命に働き、気が付くと10年目を迎えようとしていた。仕事も面白くなり、仲間もできていた。一方で、カベにも突き当たっていた中で自分の胸に問いかけると、本当に働きたいのはスポーツ業界だということを改めて思い出した。

縁があったのだろう。ちょうどその頃、中途入社の募集をしていたのが横浜DeNAベイスターズだった。清水さんにとって、スポーツが持つ魅力を教えてくれた地元のプロ球団である。面接などのプロセスを経て、2016年4月、株式会社横浜DeNAベイスターズに入社。ベイスターズの日本一に感動を受け、将来はスポーツに関わる仕事をしてみたいと思いを抱いてから18年。ついにその思いを叶えた。

時代のニーズを見極めたグッズを出していきたい

入社当初は、9年いた銀行の仕事の進め方との違いに戸惑ったという。「銀行ではどんな業務にもマニュアルがありましたが、ベイスターズに入社した当時は、球団が横浜DeNAになってからまだ4年目ということもあり、ほとんどマニュアルがなかったんです」

グッズストア「BAYSTORE HOME」の様子。ユニフォームやタオルの他、日常でも使えるグッズも多数開発・販売している(写真提供・横浜DeNAベイスターズ)

個人の判断で案件を進めるケースが多かった中、清水さんは組織として進められるよう、マニュアルを作っていく。「業務フローを整えていくことは大変ではありましたが、銀行でマニュアルに囲まれていたのが役に立ちました」。9年間の遠回りは意味のある遠回りだった。

清水さんは入社後、昨年の10月まではMD部の戦略立案や業務改革、ライセンスビジネスなどの業務を担当。ライセンスビジネスも手掛け、ベイスターズの商標を使った家の企画に携わったことも。「球団の施設のデザインをしている設計会社をご紹介し、4棟の住宅を建築していただきました。ライセンシー企業様の営業力が凄くて3~4か月で完売しました。球団のライセンスビジネスとしては、それまでになかった規模のものでした」

現在は、ビジネス統括本部MD部の、戦略・企画グループリーダーとして、昨年までの業務改革などに加えて、ショップで販売しているベイスターズグッズの企画も管理している。球団の収益を占めるのは、チケット販売、スポンサー営業(球場の看板など)、試合での飲食、放映権となるが、グッズの売り上げのシェアも大きい。清水さんは「今年はDeNAになってから10周年なのですが、より幅広いお客様に喜んでいただけるグッズを出していきたいですね」と話す。

横浜DeNAベイスターズ10周年を迎え、「XYDB」デザインのオーセンティックウェアが発表された(写真提供・横浜DeNAベイスターズ)

最後に「清水先輩」から、「スポーツ関係で働きたい」と考えている体育会に所属する学生にアドバイスをしてもらった。「スポーツ業界全体として新卒採用の枠は少ないのが現実です。最初は違った業界で働き始めてもそこから学ぶことも多いので、いつかスポーツ業界で働きたいという思いを持ち続ければ必ず機会はあると思います。そしてまずは、目の前のスポーツに『やり切った』と胸を張れるまで打ち込むことが将来にも繋がっていくと思います」

清水さんの初志を裏打ちしていたのは、やり切った大学時代だった。

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