アイスホッケー

早稲田大アイスホッケー部の経験が社会に出て糧に サニーサイドアップ小川美紀さん

アイスホッケー部のマネージャーとして打ち込んだ4年間が、確実に仕事にもいきているという小川さん(撮影・上原伸一)

大手PR会社・サニーサイドアップのパブリックリレーションズ事業本部で、3局スポーツ1部グループ2のリーダーとして活躍中の小川美紀さん。早稲田大学ではアイスホッケー部(正式名称・スケート部ホッケー部門)のマネージャーを務めた。裏方としてチームを支えた経験が、現在のスポーツに関わる仕事にどうつながっているのか。小川さんに話を聞いた。

なかなか受け入れられなかった選手たちの価値観

「仕事はマルチタスクでしたね。走り回りながら、頭をフル回転させて、2、3歩先を読む。そんな毎日だった気がします」

小川さんはアイスホッケー部のマネージャーだった早稲田大学時代をそう振り返る。小学校から高校まではバドミントンの選手だった。奈良・郡山高校では部の主将として、ダブルスで近畿大会に出場したことも。大学ではバドミントンを続ける気はなかったが、スポーツには関わっていたかった。ならば体育会で裏方をやろう。いくつか選択肢があった中、門を叩いたのが、強豪のアイスホッケー部だった。

毎朝3時半起きでリンクへ。肉体的にも精神的にも辛いことも多かった(写真は本人提供)

早大アイスホッケー部の朝は早い。ほぼ毎日4時15分から東伏見のリンクで練習があるため、3時半には起床。履修科目が多かった1、2年時は朝の練習を終えてから、授業に向かう毎日だったという。運動部育ちの小川さんはそんな生活にも対応できたが、なかなか受け入れられなかったのが、選手たちの価値観だったという。

「彼らは子供の頃からアイスホッケー1本で、氷の上の結果が全てなんです。だからこそ高校時代に実績を残し、スポーツ推薦を勝ち取れたと思うのですが、そこしか見えていないところがあって。ずっと競技人口が少ない世界で生きてきたのもあり、社会的な視野が狭いようにも映りました」

高校まで文武両道だった小川さんは「『そんなんじゃ、卒業しても社会に適合できないよ』と同期の選手にずっと言っていました(笑)」と明かす。

選手たちを本当に理解できるようになったのは、2年生が終わる頃。

「時間がかかりましたね。高校までは自分と全く異なるバックグラウンドを持つ人たちに囲まれた経験がなかったので……。選手たちの価値観をただただ拒絶しがちでした。でも、コミュニケーション量が増えていくうちに、『こういう経験をしてきたから、こういうところを重視するんだな、こういう考え方をするんだな』と見えてくるように。理解もできるようになり、みんなを尊敬できるようにもなりました」

価値観が異なる人を受け入れた経験は、社会に出て、組織人になった時に生かされたという。「会社はいろいろな考えの人が集まるところですからね」

裏方として早慶戦の企画・運営を経験

マネージャーとしての一大プロジェクトは「早慶戦」の運営だった。早大と慶応義塾大学のアイスホッケー部は例年、春と秋に対抗戦を行っており、春は慶大が、秋は早大が主管を担当する。ただし、野球の早慶戦のようには知られていないのが実状で、客席を埋めるのはもっぱら選手の身内や、部の関係者ばかり。そこで小川さんたちマネージャーは、熱い試合をもっと見てほしい、もっと盛り上げたいと、集客、演出、露出の3つをテーマに知恵を絞ったという。

早慶戦の運営成功、最後のインカレ優勝。裏方として充実した時間だったといい切れる(写真は本人提供)

ツイッターやポスターなどを使って、試行錯誤しながら告知をした結果、小川さんが2年時には初めてアリーナのキャパを上回るほどの動員を実現。3、4年時には安定してキャパを上回るような大きなイベントになった。演出にも工夫を凝らし、選手入場の際に照明を使ったり、ハーフタイムショーには、早大先輩で元フィギュアスケート選手の村主章枝(すぐり・ふみえ)さんに登場してもらったことも。また、会場に来られない人のために、インターネット中継も行った。

早慶戦の企画と運営の経験は、小川さんの「スポーツに関わる仕事をしたい」という思いを後押ししていく。裏方としてスポーツイベントの様々な実務に携われたことも自信になった。

「就職活動の面接では必ず『大学時代に培った一番のことは?』を聞かれましたが、私は早慶戦での取り組みを伝えました。早大アイスホッケー部のマネージャーだったからこそできた得難い経験だったと思います」

英語をスキルにするため、1年休職して語学留学

小川さんは早大卒業後の2014年4月に、PR会社大手のサニーサイドアップに入社。サニーサイドアップはスポーツビジネスにも力を入れており、元サッカー日本代表の中田英寿氏ら、著名なアスリートのマネジメントをしている会社としても知られる。

はじめの3年間は、クライアントのニュースをメディアに伝え、露出を働きかける部署に所属。社会人になりたての頃は、体力的にも精神的にも辛いことはあったが、何をやっても最初の数年は辛いもの、と自分に言い聞かせて乗り切った。「大学体育会での1、2年生時代、下級生としていろいろ我慢しながら下積みをした経験、それによって打たれ強くなったことが役に立ったような気がします」

4年目からは現在の部署に異動となり、念願かなってスポーツの仕事に深く関われるようになった。仕事は楽しかったが、やがて、このままでは30人ほどいる部署の1人にしか過ぎないと思うように。「私は特別、ビジネスセンスや、PRセンスに強みがあるわけでもなかったですし」。そこで考えたのが、英語力を身に付けることだった。

「同じ部署に英語ができる人が少なかったので、英語が堪能になれば、やりたかった海外案件や国際的なスポーツイベントにも携われるようになると。自分がやりたい仕事をやれるようになるには、英語力が必要だと思ったのです」

仕事の幅を広げるため、会社に直談判して留学へ。行動力で道を切り開いた(写真は本人提供)

小川さんの行動は早かった。決断するとすぐ、会社に語学留学させてほしいと直談判し、熱意で会社を説得。2018年の約1年間休職し、ボストンの学校で学んだ。小川さんは「会社には1年で絶対にものにしてきますと言ってしまったので(笑)」と、現地では他国の留学生に混じって勉強漬けの毎日。1年後、会社との約束通り、英語をスキルとして身につけ復職した。

「行かせてくれた会社には感謝しています。英語ができるようになって、仕事の幅も広がりました」

帰国後はスペインのプロサッカーリーグ「リーガ・エスパニョーラ」のPRイベントや世界12都市で展開する企業対抗のランニングレース「ブルームバーグ スクエア・マイル・リレー」を担当。現在は海外のオリンピック・パラリンピック委員会とのやりとりなどもあり、クライアントのうち過半数が海外だ。

日本一になって裏方も報われた

小川さんは組織の中でポジションをつかむために、そして、やりたい仕事を手にするためにはどうすればいいか、そのベースになるものをアイスホッケー部で学んだという。

「下級生だった頃、ここに私がいるのに、いつも選手から声がかかるのは先輩のマネージャーでした。なんで…と落ち込みましたが、そういうことが何回かあるうち、原因は自分にあるとわかりまして。現状を変えるには自分が変わるしかないと、選手に頼りにされる存在になるための努力をしました」

現状を変えるには、自分が変わるしかない。仕事をする上でも大切な考え方だ(撮影・上原伸一)

大学4年の時、早大アイスホッケー部はインカレで優勝を果たし、学生日本一に輝いた。小川さんは「優勝したのはもちろん選手の力なんですが、日本一になって裏方も報われましたし、日本一で終えられたからこそ、マネージャーとしてやり切った、という思いを持つこともできました」と話す。

学生日本一を味わってから7年。小川さんも社内では中堅と呼ばれるようになった。それでも原点は変わっていない。走り回りながら、頭をフル回転させていたマネージャー時代。そのマインドはいつまでも忘れないつもりだ。

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