アイスホッケー

早稲田大・ハリデー慈英「何をしても早慶戦は勝つ」本場・カナダでホッケーと出会い

カナダとアメリカでの経験が、いまのハリデーに生きている(写真は本人提供)

第83回早慶冬季定期戦

1月12日@東京・ダイドードリンコアイスアリーナ
早稲田大 vs 慶應義塾大

関東の大学アイスホッケー界では、春の関東選手権、秋のリーグ戦、冬のインカレが三大大会だ。それとは別に、伝統の早慶戦が年に2度ある。早慶戦は2000人もの観客が訪れる国内最大規模の試合であり、この日のリンクは大歓声に包まれる。昨春の早慶戦では慶大が実に42年ぶりの勝利を収めた。1月12日の早慶戦が4年生のラストゲームだ。早大としては何が何でも勝って終わりたい。

カナダでの2年間ではまった

アイスホッケーはDFでもシュートチャンスが多い。「遠くから速いシュートを打てるのが、僕の武器の一つですね」と話すのは、早大の副将でDFのハリデー慈英(じぇい、4年、埼玉栄)。相手からパックを奪って攻撃の起点となるパスを出す。一方で冷静なゲームコントロールもできる。彼は早大の中心プレイヤーとして、絶対に負けられない早慶戦に臨む。

カナダ人の父はアイスホッケーが大好き。その影響で、ハリデーは小2のときに競技を始めた。生まれも育ちも栃木県宇都宮市。同じ栃木でも日光市はアイスホッケーが盛んだが、宇都宮市には根付いておらず、ハリデーの周りの子どもたちはみな、サッカーや野球に夢中だった。それでもアイスホッケーの道具を珍しがられて、「なにそれ? 」と聞かれては説明するのが楽しかった。小さいころから背が高かっため、自然とポジションはDFになった。ほかの小学生に比べて、バックスケーティングがうまかったのも、その理由の一つだった。

小学校卒業後、父の転勤で2年間をカナダで過ごした。ハリデーはさらにアイスホッケーにのめり込んだ。アイスホッケーはカナダの「国技」であり、テレビのスポーツニュースでは真っ先に流れる。もちろん学校の授業でもプレーする。「日本の野球みたいな存在ですね。日本の子どもたちが野球のグローブに親しんでいるような感覚で、カナダの子どもたちは自分のスティックを持ってます。週末にはアイスホッケーの観戦に行きます。日本だと一つの施設内にリンクは多くても2面ですけど、カナダでは8面もあったりするんです。それはもう、壮観ですよ」

日本とカナダではプレースタイルも大きく異なる。「日本だったら小さくてもすばしっこかったら通じますけど、カナダには大きくて強くてテクニックもある選手ばかりです」とハリデー。宇都宮では大きい方だったハリデーでも、カナダでは平均サイズだったそうだ。

DFにもシュートチャンスが多分にあるのが、アイスホッケーの面白いところ(写真は本人提供)

中3で帰国して日光東中学校に編入すると、そのままアイスホッケー部に入部。強豪の埼玉栄高校に進み、インターハイで準優勝を果たした。高卒のタイミングでも実業団から声がかかったが、ハリデーは大学進学を選んだ。「高卒でプロになって稼ぐのも夢があるって思ったんですけど、けがしてプレーできなくなったり、クビになったりしたら、高卒は大変だろうなって。両親も『大学を出てからでも遅くはない』と言ってくれました」

いろんな人のいる早稲田を選んだ

ハリデーは大学リーグの試合を見て、早大に進んだ先輩の話も聞いて、早大を志望した。早大にはほかの強豪校と違い、スポーツ推薦のほか、一般受験で浪人を経て入った人など、いろんなバックグラウンドを持つ選手がいる。世代別の日本代表は多くないが、全員が一つになって戦う雰囲気に共感した。ハリデーは183cmの長身を生かし、1年生のときからスタメンで活躍。「早稲田はチームワークのチーム。やってる僕が一番そう感じてます。スーパープレーヤーはいませんけど、みんなの力が合わされば、どこともいい勝負ができます。無限大の力があるって感じてます」

チームが一つになることで早稲田はもっと強くなれる(写真は本人提供)

2年生の秋、アメリカ・ノースダコタ州が拠点のジュニアプロチーム「ビスマルクボブキャッツ」のトライアウトの話があり、挑戦してみたらパスした。「アイスホッケーだけでなく、海外で生活することも含めて自分のプラスになるなら」との思いがあった。両親にも「自分がやりたいことをやっていいよ」と背中を押されて決意。大学を休学し、2016年9月~17年4月のワンシーズン、アメリカでアイスホッケー漬けの毎日を過ごした。

アメリカではフィジカルの違いはもちろん、日本人にはない粘り強さや、負けん気の強さがにじみ出た激しいプレーに刺激を受けた。ゴール前での得点感覚など、技術ではないフィーリングの部分を、日本の大学よりずっと多い実践の中で培えた。当時の仲間の多くは大学に進んでプレーをしており、いまもアイスホッケーの話題で盛り上がるそうだ。

3年生の春に帰国し、最終学年になるとき、1学年上の先輩の指名で副将になった。「キャプテンの(鈴木)ロイ(4年、苫小牧東)はFWだし、きっと僕にDFの中心として頑張ってほしいということだと思います」とハリデーは言う。鈴木が声や態度で仲間を鼓舞する一方で、ハリデーは自分の知識や技術をチームに還元してきた。半期の休学があったため、ハリデーは今年の春まで早稲田のユニフォームを着る。最後の試合は春の早慶戦になる見通しだ。それでもこの冬の早慶戦は、同期とプレーする最後の試合。当然、思いはほかの4年生と同じだ。「みんなと笑って終えるためなら、何でもしますよ」と意気込む。

アイスホッケーを見たことがない人へ。「まずは会場に来てください。必ず満足いくはずです」

いまもアイスホッケーを続けていることを、ハリデーの両親はどう思っているのだろうか。「それは聞かないと分からないんですけど、でも僕は小さいときから暇さえあればスティックを握ってシュートを打ってたので、少なからずホッケーに熱いところは分かってたんじゃないかな。お父さんはホッケーが大好きな人だから、自分がホッケーをするのを喜んでくれてると思います。お母さんは『いつ辞めてもいいよ』って言ってくれてますけど、僕は純粋にホッケーが好きという気持ちだけで、ここまでやってきました。だからいまはホッケーを頑張って、日本を代表する選手になりたい。いけるところまでいきたいです」。早慶戦には両親もそろって応援に来てくれる予定だ。

春の早慶戦で、41年間守った早大の無敗記録が破られたが、「慶應は決して軽視できない、力をつけてきたチームです」と、ハリデーは慶大への尊敬の念を込めて言った。だからこそ絶対に負けられない。日本アイスホッケー界で最も熱量の高い試合の果てに、どちらが笑うのか。

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