筑波大・瀬立モニカ、折れない心カヌーに乗せ 東京パラ代表内定選手が思いを本に
東京パラリンピックのカヌー代表に内定している瀬立(せりゅう)モニカ(23)=筑波大学体育専門学群4年、江東区カヌー協会=が、突然のけがと車いす生活から、競技挑戦にいたるまでの経緯をまとめた本を出した。題して「パラアスリートの折れないココロのつくりかた」。開幕まで、あと半年足らず。つらいことがあっても絶やさない笑顔の理由や、周囲への感謝の気持ちが詰め込まれている。
「パラアスリートの折れないココロのつくりかた」
おてんばで負けず嫌い。小さいころから体を動かすのが大好きだった瀬立は、中学生になると地元の東京都江東区のクラブでカヌーをはじめ、高校入学後は国体出場をめざしていた。
その国体の予選の直前だった。体育の授業中、逆立ちした後に頭から倒れ込んだ。起き上がろうとしても、体はぴくりとも動かない。脊髄(せきずい)損傷と診断され、医師から「車いす生活になる」と伝えられた。
障害をすぐには受け入れられず、母のキヌ子さんに「あっち行って!」と反発したこともあった。それでも、キヌ子さんはいつも、ニコニコしながら話しかけてくれた。「笑顔はね、副作用のない薬なんだよ」
退院後の生活は、想像以上に大変だった。駅のエレベーターの前で、車いすの瀬立を通勤途中の会社員らが急ぎ足で追い越していく。車いすが場所をとり、電車内でも街中でも嫌な顔をされる。そんなときでも母の言葉を思い出し、笑顔でいることを心がけた。すると次第に、道をあけてくれる人や、エレベーターに乗るのを手伝ってくれる人が増えたという。
パラカヌーへの挑戦を後押ししてくれたのも、キヌ子さんだ。おそるおそるカヌーに乗ってみると、水面をすいすいと進んでいく――。車いすとは違う爽快感にはまった。
ずっと母子の2人暮らし。水泳やピアノなど、子どものころから「やりたい」と言ったことはすべてやらせてくれた。車いす生活のために自宅をリフォームし、カヌーの練習も付き合ってくれる。「ときに背負いきれなくなりそうだった困難を、それでも乗りこえてこられたのは、やっぱり、お母さんがいたから」と本でつづった。
周囲の支え、笑顔と感謝
2019年の世界選手権。東京パラリンピックの出場内定をつかむと、瀬立は応援スタンドにいたキヌ子さんのもとに真っ先に駆けつけ、喜び合った。母だけでなく、コーチ、スタッフ、地元の人たちなど、多くの人に支えられてきた。歩くことや走ることができず、「やれなくなったことは、やっぱり少なくありません」と振り返るが、その過程で多くの人と出会い、パラリンピックへの道が開けたことに、「『チャンス』って、誰にでも訪れると思う」という。
大会は1年延期になったが、「絶対にあきらめない」と記す。「必ずチャンスは訪れる。そう信じて、今は『やれることをやる』毎日を送っています」
本は全183ページで、主婦の友社から。大きな文字で分かりやすく書かれており、瀬立も「多くの人に気軽に読んでもらいたい」と話している。