陸上・駅伝

特集:佐藤悠基 The Top Runner

ロンドン五輪を見てマラソンに挑戦、自分なりの成功法を求めて試行錯誤 佐藤悠基5

20年3月の東京マラソン、高輪折り返し地点での佐藤(撮影・北川直樹)

常に日本男子陸上長距離界の第一線を走り続けてきた佐藤悠基(34)。彼はどんな思いで競技に取り組んできて、そして今後何を目指していくのか。ロングインタビューの第5回は、マラソンに挑戦すると決めたときのこと、実際に取り組んでみて考えることについてです。

ついにつかんだ世界の大舞台、思い知った日本人の弱さ 佐藤悠基4

生でマラソンを観戦し「楽しそう!」

佐藤は2012年のロンドンオリンピックにも5000m、10000mで出場したが、5000mは13分38秒22のタイムを出しながらも予選落ち。10000mは28分44秒16で22位だった。世界の壁は思った以上に高いものだった。だがここで佐藤に新しい出会いがあった。現地でマラソンを目の前で観戦した時に、純粋に「やってみたい!」という気持ちが湧き上がってきたのだ。

ロンドンオリンピック男子マラソンで競り合う中本(左)と藤原。大観衆の中走り抜けるのを見て純粋に「やってみたい」と思えた(撮影・朝日新聞社)

それまでは「走り続けていれば、いつかマラソンにも挑戦するんだろう」という漠然とした気持ちしかなかった。レースがあればテレビでは見ていたが、実際に目の前で、オリンピックの大舞台で生観戦。沿道の応援がすごく、観客の熱さ、レースへの注目度は桁違いだった。「ここで、マラソンの舞台で活躍できたらすごい楽しいだろうなって思えたんです」。そして翌年の2月、東京マラソンで初マラソンの舞台を踏んだ。

ほとんど練習をせず臨んだ初マラソン。30kmすぎに先頭集団から離れた(代表撮影)

初マラソンは2時間16分31秒で31位。この時はあえて、マラソン練習をせずにレースに臨んだのだという。「ゼロベースで、今の自分がどれぐらいなのか、というのを知りたかったんです。40km走を2回したぐらいで。で、やっぱだめでした(笑)」

マラソンとトラック、相乗効果も

初めてのマラソン、初めての42.195km。前半の1kmはあっという間なのに、残りの10kmになると1kmがいつもの3倍ぐらいあるのではないかというぐらい長く感じた。走り終わったあとは「2度と走りたくない」とさえ思ったが、1週間も休むと「じゃあ次はこうしてみよう」と課題を見つけて練習に取り組みたくなってきた。はじめはトラックとマラソン、両立していこうと考え、世界陸上モスクワ大会にも5000m、10000mともに出場した。

2013年のモスクワ世界陸上5000mは予選敗退に終わった(撮影・朝日新聞社)

実際にマラソン練習をすることでトラックレースでの中盤以降の落ち込みが減った。5000mのベストもこの年に更新、13分13秒63のタイムをマークし、10000mも自己ベストにあと1秒とスピードが磨かれていった。「2015年まで毎年、27分台は出してましたね。10000mだと、前半の5000mを14分で入って、後半を13分47秒で上がったりとか。スタミナがついたことでプラスになったこともたくさんありますね」

目指すは東京オリンピック男子マラソン代表

2016年ぐらいから「マラソンにしっかり集中しよう」と考え、トラックはマラソン練習の一環、マラソン練習の息抜きのスピード練習という位置づけになった。狙うのは東京オリンピックの男子マラソン代表だった。

今まで不透明だと言われてきた選考方法だが、東京オリンピックを迎えるにあたりMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)での一発選考に変わった。MGCに出場するには、2017年夏から2019年春までのうちに、男子の場合は北海道マラソン、福岡国際マラソン、別府大分毎日マラソン、東京マラソン、びわこ毎日マラソンの5大会のいずれかで設定された順位とタイムをクリアする必要があった。

できるだけ早いうちにMGCの出場権を獲得し、本番に向けてしっかり準備したい。2018年の東京マラソンでは、最低限の練習を積んで確実に権利を取りに行くために走った。結果、2時間8分58秒で初のサブテン(2時間10分切り)、自己ベストを3分以上更新。「手応えはつかんだとまではいかないけど、自分のやっていることがそんなに的外れじゃないんだな、という確認ができました」

その後のベルリンマラソンでは2時間9分18秒。自分が進めたいペースの集団がいない中、最低限でまとめた走り。翌2019年の東京マラソンでは「いけるところまでいってやろう」とチャレンジするつもりで、はじめから飛ばした。「25kmぐらいまではそこそこいい感じでいけてたんですけどね。一発ホームランを狙って大振りしにいった感じでした」と笑う。この時は2時間15分07秒で16位だった。

一発勝負のMGCで「あ、こりゃもうだめだな」

迎えた9月のMGC。一発勝負の緊張感が漂う中、レースはスタートした。暑さがたびたび話題に上っていたが、佐藤の想定よりは気温は上がらず、そこまで問題ないかなと思っていた。「でも夏場のレースが初めてで、20kmぐらいから痙攣(けいれん)し始めて、『あ、こりゃもうだめだな』って思って。余裕はあったけど痙攣がとまらなくて、何でだろうって思いながら走ってたんです」。そのあと前の集団が2つに割れ、追いかけていったが差が詰まらなかった。無理していったら足がもたない。30kmをすぎる頃には、頭は次のレースのことに切り替わっていた。

走っている最中から次のレースに切り替えたのだという(撮影・佐伯航平)

「仮にこれで前に追いついても、ラストのスパートの仕掛け合いのときに足が持たなくて勝負にならないなと。(代表内定になる)3位以内に入れないんだったら、何位になっても同じだから、ダメージが少なくゴールして、次に響かないようにしよう、って考えたんですよね」

大舞台で、そんなふうに割り切れるものなのですか。思わず聞くと「一発勝負のレースってそういうことかなと思います」と佐藤。「日本人の感覚からすると『最後まで全力で』っていう考えの方が大きいのなとも思うんですが、自分が目指してきたのはオリンピックの代表権です。それに届かないとなったら、次の目標に向かったほうが自分の競技人生にプラスになると思ったんです」

そう考えてスパッとレースを諦めることができた。「切り替えたのは自分だから」。自分で決めたことには自分で責任を持てる。高校を、大学を選んだときもそう。佐藤悠基は周りの環境を言い訳にすることは一切ない。

手探りの状態で毎回チャレンジ

MGCのあと佐藤が考えたのは、「3カ月スパンでレースを入れていってみよう」ということだった。1回マラソンを走ったあとに休養をしっかり取り、また一から作り直していくよりも、マラソンを短いスパンで入れて1~2週間休み、またマラソン練習を再開すれば、基礎を作る段階を省けるのではないか。そんな考えからトライしてみた。それまでは年始に駅伝があったため、現実的ではなかったが、日清食品グループは2019年をもって駅伝から撤退。12月の福岡国際マラソンへの出場が可能になった。

結果、福岡国際は2時間14分56秒で15位、翌2020年3月の東京マラソンは第2集団について走ったが、35kmすぎで途中棄権となった。「あれはあれで、悪くない取り組みでした。自分でこうしてみようという考えを持っての取り組みだったので、走りきっても気持ちが切れることなく次のマラソンへと切り替えていけたので。悪くない取り組みだったと思います」

2019年12月の福岡国際マラソンは15位だった(撮影・朝日新聞社)

とはいえマラソンを走ると、3~4週間は体の芯に疲労が残った状態になる。その状態でトレーニングをすることで、故障のリスクも高まる。今後はレースをちゃんと選んで、しっかり準備していくほうがいいのかな、と思っているという。次のレースは未定だが、早くて10月の開催となった東京マラソン。そこを視野に入れつつ、新しい取り組みを徐々に始めていこうとしている。

毎回マラソンを走るたびに課題が見つかる。反省し、どうしていこうか考え、やりたいことが増え、トレーニングに取り入れていく。その繰り返しでここまでやってきた。「このトレーニングをすれば、確実にマラソンを走れます」というトレーニングをいままでしたことがないのだ、と佐藤は言う。いつも手探りの状態で、試しながら毎回チャレンジしている。

「自分なりのマラソン成功法を探すためにマラソンをやってるのかな、とも思います。まだ成功例が見つけられてなくて。なんとなくこれをやれば、2時間7分、8分では走れるなというのはあります。でも自分が目標としているのは5分切りとか、4分台を狙っていきたくて。それって日本の誰もまだ教えられないことなのかなと思うんです。だから自分で考えながらやるしかない。それはそれで楽しいです。なかなか結果が出ないと肩身の狭い思いをすることもあると思うんですが、チャレンジさせてくれる環境にも感謝していますね」

佐藤は20年の11月、11年在籍した日清食品グループからSGホールディングスへ移籍した。そして新しい環境でまた、新しい挑戦を始めようとしている。

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