陸上・駅伝

旭化成・市田孝 日本歴代4位よりさらに上へ、双子ランナーとして世界で戦える選手に

市田は昨年12月の日本選手権10000mで27分52秒35の自己ベストをマークし、存在感を示した(写真提供・saya)

実業団の強豪・旭化成で活躍している双子の選手がいる。市田兄弟、兄は孝で弟は宏(ともに28)だ。「やるからには一緒がいい」と兄の孝は言う。双子ランナーは中学校、高校、大学、実業団と同じチームで互いに切磋琢磨(せっさたくま)しながら競技に取り組み、孝は今年2月にあった全日本実業団ハーフマラソンで日本歴代4位の1時間0分19秒をマーク。日本人トップでの2位だった。

市田兄弟は誰に対しても物腰が柔らかく、確かな実力を持ちながらも決しておごることのない謙虚な性格。周りへの感謝を忘れることなく、競技に真剣に取り組んでいる。優しい口調と柔らかな笑顔で話している姿は、多くの人から愛されている。そんな市田兄弟の兄・孝に、宏とともに歩んできた陸上人生を振り返ってもらった。

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兄弟で支え合いながら初の都大路優勝

孝は宏とともに中学2年生までサッカーをしていた。陸上は駅伝部のメンバー不足で大会に出場したことがきっかけで興味を持ち、陸上部には一緒に転部した。校内持久走でもふたりが先頭を争うなど負けず嫌いという性格から、秘めていた才能はすぐに開花した。

中学時代から全国の舞台で活躍し、才能を開花させた(左から孝と宏、写真は本人提供)

3年生では全中とジュニアオリンピックで3000mに出場し、どちらも孝が優勝、宏が準優勝とワンツーフィニッシュを決める快挙を成し遂げた。孝は「努力もしましたけど、素晴らしい指導者に恵まれたことが結果につながったと思います」と振り返った。

高校は地元の強豪校である鹿児島県実業高校に進んだ。チームが「全国高校駅伝(都大路)制覇」の目標を掲げ、孝は「強い仲間がいるから絶対負けたくない」と目標に向けてひたむきに取り組んだ。だが、高校時代は弟の宏が大きなけがに悩まされ、苦しい日々が続いた。孝は兄として弟を支え、時には弟に支えられながら、苦しい時を一緒に乗り越えた。

その苦悩を乗り越え、3年生の時には全国高校駅伝で1区は孝、6区は宏がともに快走を見せ、チーム初の全国制覇に貢献した。孝は「駅伝を走ることが楽しかった。制覇できたのも指導者がいたからこそ結果が出せた」と恩師への感謝の思いをにじませた。

初の箱根駅伝予選会で悔いを残し、誰よりも走った

大学進学にあたり、当初は日本体育大学を希望していた。他の大学からも声をかけられていた中で、大東文化大学の奈良修監督(現流経大監督)の「ふたりを世界で戦える選手に育てたい」という言葉が心に刺さり、「期待に応えたい」と決心。市田兄弟はそろって大東大に入学した。

市田兄弟はそれまで、トッププレーヤーとして順風満帆な競技生活を過ごしてきたが、大学で初めて大きな壁にぶつかった。それは1年生の時に経験した箱根駅伝予選会だった。兄弟そろって出走したが、大東大は14位で本戦出場を逃した。「20kmの壁は厚かった。期待を裏切ってしまった」と孝は振り返り、悔いの残る結果となった。

予選会の雪辱を果たそうと、孝は多くの実践を積み重ね、誰よりも多くの練習に取り組んだ。翌年の予選会で孝はチームトップの23位でゴール。大東大は4位となり、3年ぶりとなる本戦出場に貢献した。

市田兄弟の練習の取り組みに多くの選手が刺激され、孝は「全員が箱根駅伝に対しての目標度が高くなり、同じ方向を向いていけた」と振り返る。そして3、4年生での箱根駅伝でチームは10位になり、2年連続でシード権を獲得した。

奈良監督(右奥)など指導者への感謝の気持ちを大切にしている(左から2人目が孝、右端が宏、写真は本人提供)

孝は大学4年間を振り返り、「多くの仲間に恵まれました」と言う。「特に奈良監督はとても優しい方でしたが、時には厳しく本音で話せる関係でもありました。箱根より先の世界を見すえた指導をしてくださったのに輝かしい結果を残せなかったのは申し訳ないです。でも監督の指導のおかげで大きく成長できました。本当に感謝です。オリンピックや世界陸上で活躍して結果で恩返しをして、成長した姿を見せたい」と恩師への思いと同時に飛躍を誓った。

宗茂さん「双子でやれば2倍の力がついてくる」

実業団は強豪・旭化成に入社した。旭化成を選んだ理由は、中学生だった時に全国高校駅伝で解説をしていた“双子ランナー”の宗茂さんの存在が大きかった。実際会った時には、「双子でやれば2倍の力がついてくるから頑張って」とエールを送ってもらったという。この言葉に孝は宗兄弟への憧れを抱き、旭化成陸上部への入部を決心した。

宗兄弟に憧れ、そろって旭化成に入社した(左から孝と宏、写真は本人提供)

入社2年目から5年連続でニューイヤー駅伝に出走し、区間賞を2回獲得するなど、今ではチームのエースとしての活躍を見せている。またトラックでは昨年12月の日本選手権10000m(タイムレース)では組トップでゴールし、27分52秒35の自己ベストをマークした。しかし孝は「まだまだ頑張らなければいけない」とさらに上を見すえている。

妻・西田美咲とのレースで日本歴代4位

昨年5月に大きな転機が訪れた。エディオン女子陸上競技部の西田美咲との結婚だ。

西田は名門・神村学園高校(鹿児島)出身で、高校時代から互いのことは知っていた。高校卒業後は会うことがなかったが、実業団2年目の時に広島の大会で再会を果たした。その時に意気投合し、孝が「ひとめぼれをしました」とアタック。結婚は互いに競技生活を終えてからの予定だったが、「別々で離れて競技をしているからこそ、結婚して覚悟や責任感が強くなって気持ちを新たに競技に取り組める」という理由で結婚に至った。孝は「祝福も多くいただき、応援してくださることが増えたことで、期待に応えたい気持ちが大きくなった」と改めて気を引き締めて競技に取り組んでいる。

西田(右)と競技の面でも互いに支え合っている(写真は本人提供)

前述の通り、孝は今年2月の実業団ハーフで日本歴代4位となる記録を出し、日本人トップの2位になっている。1月にあったニューイヤー駅伝ではアンカーを任され、区間9位。チームは3位で5連覇を逃した。「ニューイヤー駅伝で期待を裏切る走りをしてしまったので、その悔しさを晴らしたい」という思いがレースの結果にも表れた。

そのレースには西田も出場していた。同じレースに出場することはなかなかないこともあり、孝は「折り返し地点まで絶対先頭集団にいること」を目標に掲げ、食らいついた。折り返して女子の先頭集団が見えた時に孝は「美咲!」と名前を呼んだが、西田はその集団にはいなかったそうだ。それでも同じレースを走っていると思えたら、自然に力になったと笑顔で明かす。今は夫婦で競技に取り組んでいることが、互いのモチベーションになっているという。これまでは宏と兄弟で切磋琢磨してきたが、今後はさらに西田と夫婦でも互いに高め合っていきたいと話す。

ニューイヤー駅伝の雪辱を果たす快走を見せた(写真提供・旭化成陸上部)

孝にとって陸上は、「自分を作り上げてくれたもの。仲間や指導者や応援してくださる方に感謝の気持ちをもって競技に取り組んでいく」という存在だ。今後の目標は「(兄弟)ふたりで世界陸上やオリンピックで金メダルをとりたい。東京オリンピックは10000mで代表枠2つをなんとしてでもつかみにいく」と活躍を誓う。

市田兄弟の陸上人生はまだまだ道半ば。ライバルが常にそばにいる双子ランナーだからこそ、誰にも負けたくない。その先に世界を見すえ、ふたりでさらなる高みを目指していく。

時にはけんかもするが、いつも仲良しな双子でともに世界を目指す(左から宏と孝、写真は本人提供)

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