陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

マラソンで競技も指導も結果を出す 旭化成・深津卓也さんが挑む新たなスタート!

深津卓也さんは今年から旭化成陸上部でプレイングコーチとして指導と競技に挑んでいます(提供明示写真以外すべて本人提供)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は深津卓也さん(33)のお話です。駒澤大学では全日本大学駅伝3連覇、箱根駅伝総合優勝に貢献。旭化成に進み、トラック・マラソン・駅伝でも活躍。今年から旭化成陸上部でプレイングコーチを務めながら競技を続けています。

クロカンで培われたシャープな走り

群馬県沼田市出身の深津さん。山に囲まれ自然豊かな場所で育ち、自然と足腰が鍛えられました。小学校のマラソン大会で優勝するなど、走るのも得意でした。

進んだ中学校には陸上部がなく、野球部へ。ポジションはレフトでした。また、野球部の活動の合間に陸上の大会にも出場。「3000m9分30秒くらいで走れていました。陸上部の選手に勝つこともあったので、高校でもやっていけるかも、野球よりは陸上の方が向いているかもと感じていました」と振り返ります。

中学時代は野球部に所属しながら陸上の大会にも出場していました

中学を卒業し、東京農業大学第二高校に入学。 良い先輩に恵まれて、タイムも伸びていきました。1年目から駅伝メンバーに。都大路ではアンカー7区を任されて区間7位(14分53秒)。「自信につながっていきました」という走りでチームの6位入賞に貢献しました。

1年生の都大路ではアンカー7区を任され区間7位。チームの6位入賞に貢献しました(中央が深津さん)

2年生になると1つ先輩の阿久津圭司さん(早稲田大学〜現・SUBARU陸上競技部)、姜山佑樹さん(のちに法政大学で箱根駅伝出場)といった強い先輩たちと切磋琢磨。都大路では3区を走り区間4位(24分03秒)、8人抜きの快走でチームの3位入賞に大きく貢献しました。

3年生に入ると5000mで13分57秒60と13分台をマークし注目されましたが、都大路直前に体調を崩し、1区で区間31位。「みんなに申し訳なかったです」と最後の都大路は悔しい走りとなりました。

年明けの都道府県対校駅伝では1区で区間3位と挽回。ちなみに区間賞を獲得したのは駒澤大学でチームメイトとなる宇賀地強さん(現・コニカミノルタ陸上競技部コーチ)。その後2月の福岡クロカンで2位(日本人1位)となり、世界クロカン日本代表にも選ばれました。

福岡で開催された世界クロスカントリー選手権に出場

「高校時代、練習の8割くらいはクロカンでした。クロカンが得意でしたし、体全身を使ったシャープなフォームが作れたと思います」。農大二高といえば、今年、石田洸介選手が5000mで日本人高校新記録を樹立しました。「同じ場所でトレーニングしていた選手が高校記録を出したことはとても嬉しいですね!」と後輩の活躍に嬉しさを感じています。

13分台トリオが揃って駒澤大学へ

「箱根駅伝イコール駒澤大学というイメージだったんですよ」という理由で駒澤大学に進みます。同級生にはトラック・駅伝でも全国区で活躍してきた宇賀地強さん、インターハイ1500m優勝の高林祐介さん。宇賀地さん、高林さん、深津さんと高校時代に5000m13分台を出していた選手が3人揃って入学ということで、当時、4年生で主務だった僕は驚き・嬉しさ・期待と、そして後輩たちが活躍できるようにきちんとサポートしなきゃ、という責任・覚悟を強く感じていました。

日体大長距離競技会レース後の一コマ。写真左が1年生の時の深津さん。一番右が4年生で主務だった僕です(写真:M高史)

「結果を出さなきゃいけないすごいプレッシャーを感じていましたが、2人には本当に助けられました」と同級生に感謝しています。

1年生から出雲駅伝ではエース区間の3区を走ります。「よく使っていただけたと思います。(大八木弘明監督は)今後を見据えてくださったのかなと思います」。初の出雲は区間6位の走りでした。全日本大学駅伝では7区を走り区間賞を獲得。3年生以下のチームながら優勝を飾りました。「1年目から優勝できて嬉しかったですね!」。このときは僕もとにかく嬉しくて、今でも本当に感謝しています。

箱根駅伝は山上り5区を任されて区間7位。当時は23.4kmと長丁場。1年生ながら走力と起伏の強さを買われての抜擢でした。

充実の箱根駅伝総合優勝

2年生となった深津さん。クロカンの強さを発揮し、前年のジュニアに続いて、シニアでも世界クロカン日本代表に。ケニアのモンバサで開催された世界クロカンでは世界の強豪選手から大いに刺激を受けました。

関東インカレでは駒澤大学が長距離種目のみで49点を獲得し、2部から1部に昇格(翌々年まで1部)! 深津さんも5000m4位、10000m3位と1部昇格に貢献しました。

夏合宿を経て、駅伝シーズン。出雲駅伝では4区4位と納得のいく走りができなかったそうですが、続く全日本大学駅伝では4区を走り区間2位で全日本大学駅伝連覇に貢献。

箱根駅伝では8区を任されました。その年、レース前の予想では優勝候補筆頭の駒澤大学でしたが、早稲田大学の健闘で7区終了時までに2分14秒のリードを許して、深津さんに襷(たすき)が渡りました。「2分以上の差があったので、ある程度詰めないと優勝はない。突っ込んで入って、前との差をどれだけ詰められるか、開き直って走りました」と前半からハイペースで飛ばし、先頭・早稲田大学の飯塚淳司さんを猛追。

8区の名物といえば15km過ぎから続く遊行寺の坂。「前年に(山上り)5区を走っているとはいえ(遊行寺の坂は)あれはあれでキツかったです(笑)」と終盤は飯塚さんの粘りもあり詰めきれなかったそうですが、中継所では早稲田大学と15秒差まで詰めて、9区の堺晃一さんに襷を渡しました。「9区で逆転して、チームも総合優勝。先輩やチームメイトに感謝の気持ちでいっぱいでしたね」と充実の箱根総合優勝でした。

全日本の栄光と箱根の挫折

3年生になると、日本選手権5000mで4位入賞を果たすなど、実業団選手とも競り合う活躍をみせます。

日本選手権では実業団選手と競り合い、5000mで4位入賞(写真提供:駒大スポーツ)」

出雲駅伝は3区3位でチームも2位と悔しい結果に終わりましたが、全日本大学駅伝ではアンカー8区を担当し、優勝のフィニッシュテープを切りました。襷を受けたときは2位・早稲田大学と4秒差という僅差。「緊張していましたが、自分の力を信じて走りました。ここで勝たないと一生負ける人生だと思って走りましたね!」。区間3位(日本人トップ)の走りで2位・早稲田大学との差を44秒差に広げる走りで、チームも全日本3連覇を達成しました。

アンカーを任され、自分の力を信じて走りました。「1」を掲げながらゴール(撮影:朝日新聞社)

ここまで順調にきていましたが、全日本大学駅伝が終わって、約2週間後の国際千葉駅伝、学連選抜チームで出場後に足を痛めてしまいました。「結局、箱根駅伝も欠場することになり、チームにはすごく迷惑をかけてしまいました。今でも申し訳なく思っています」。駒澤大学は往路から苦戦し、終わってみれば総合13位。前年の箱根優勝校がまさかのシード落ちという波乱でした。

もどかしかった大学ラストイヤー

「4年の時は、なかなかうまくいかず、結果も出ず、もどかしかったですね」という最終学年。

この年は箱根駅伝予選会に初出場。「トラックやロードレースとは違う予選会独特の雰囲気がありました」という予選会では当時の予選会記録を大きく更新するタイムでトップ通過。深津さんも個人3位に入りました。

箱根駅伝予選会では深津さん、高林さん、宇賀地さんが上位を争い、当時の予選会記録を大幅に更新してトップ通過(写真提供:駒大スポーツ)

予選会トップ通過を果たすも、全日本大学駅伝ではチームも7位。深津さんも8区で区間6位と悔しい結果に終わりました。

前年とは違い悔しい表情を見せる深津さん(撮影:朝日新聞社)

迎えた最後の箱根駅伝。「あまり調子も良くなくて、7区か5区かということだったのですが、チーム事情もあって5区になりました」。1年生の時以来となる山上り5区に挑みました。チームは1区で出遅れましたが、5区深津さんが区間4位の走りで5人抜き、往路は8位。復路では9区を走った同級生・高林さんの区間賞をはじめ驚異の追い上げで復路優勝。最終的に総合2位となりました。

「当時のチーム状況を考えると、非常に頑張ったと思います」と最後の箱根を振り返った深津さん。

宇賀地さん、高林さん、そして大学入学後に急成長して実業団に進んでからは日本選手権5000mで優勝も果たした星創太さんといった、同級生のライバルたちと切磋琢磨してきた4年間でした。「彼らには感謝しかないです。彼らと競い合ってきて、仲間意識を持って陸上を全力でやってこられました!」

合宿中の一コマ。同級生と切磋琢磨してお互い成長し合った4年間でした。写真一番右が深津さん

さらに恩師・大八木弘明監督について「選手に対しての情熱、厳しさ、人を本気にさせる人間力のある方です。人生をかけて監督業をしているのが伝わってきますし、情熱のかたまりのような方ですね!」と恩師の魅力を熱く話されました。

マラソンで成功するために旭化成へ

大学卒業後は実業団・旭化成へ。「学生時代から将来はマラソンで成功したいと思っていました。やはりマラソンといえば宗兄弟のいらっしゃる旭化成! しかも駒大の先輩・豊後友章さんの活躍も見ていました」と名門・旭化成で競技を続けます。

学生時代よりも練習の質もさらに上がり「練習についていくのもなかなか大変でした。毎日苦しんで走っていましたね」。旭化成でのより一層質の高いトレーニングの成果も発揮され、5000mで13分33秒34、10000mでは27分56秒29をマーク。トラックのスピードにも磨きがかかりました。

またニューイヤー駅伝にも特別な思い入れがありました。「地元・群馬を走れますし、目指している大会でした。応援もすごいですし、楽しんで走っていましたね」

2013年のニューイヤー駅伝では3区で区間賞を獲得。12人抜きの快走でした

2013年のニューイヤー駅伝3区では区間賞も獲得。「チームに外国人選手が加入する前だったので、3区はゴボウ抜きができる区間でした」。2区での出遅れを巻き返し、15位で襷を受け取り、12人抜いて3位に浮上! チームに貢献する走りでした。

あと6秒、届かなかった五輪代表の座

「学生時代からマラソンで活躍を」と思い描いていた深津さん。初マラソンは2015年の長野マラソンでした。

「ラスト1kmまで5人が集団となっていたレースで、最後まで争いました。今でも印象的で短く感じるレースでした。『マラソンは難しいものだ』という固定概念が取り払われました」。初マラソンながら最後まで優勝争いを演じて、2時間11分48秒で4位と、順調なスタートをきります。

2回目のマラソンとなった2016年3月びわ湖毎日マラソン。この年のリオデジャネイロオリンピック代表選考会となる大事なレースでした。

2時間10分を切るのも目標の1つでしたが、五輪の舞台に立つという強い目標を掲げてスタートした深津さん。レースが動いたのは30kmすぎ。「同じ旭化成の丸山選手が仕掛けて、それを追っていきました。38kmで私が仕掛けたのですが、その後は石川さん、北島さんに置いていかれてしまいました。自分のレースの失敗です。初マラソンでも競り負けて、全く同じことをびわ湖でもやってしまったんです」

2時間09分31秒と自己ベストもマークするも5位(日本人3位)。五輪代表となった石川末廣さん(HONDA)とは6秒差で、五輪代表をあと一歩で逃す悔しいレースとなりました。

2016年びわ湖毎日マラソン。あと一歩で五輪代表の座を逃し悔しさをにじませる深津さん(右から2人目)

その後は計13回マラソンに挑戦しますが、試行錯誤の連続となりました。「距離を踏んで走り込むスタイル」「スピードを強化して、その延長線上にマラソンというスタイル」「低酸素トレーニングをはじめとした科学的なアプローチ」など様々なトレーニング方法や調整方法を試したほか、運動生理学を勉強したり、文献を読んだり、マラソンの研究に費やしましたがなかなか結果に結びつきませんでした。

「試行錯誤の連続」と語るマラソン挑戦。写真は2019年の別府大分毎日マラソン

「奥の深さは走るたびに感じていました。最初にマラソンを走って感じたことと違い、難しく感じるようになっていきましたね」。もどかしい思いが続きました。

プレイングコーチとして打破し続ける

「『旭化成として東京オリンピックへマラソン代表選手を送る』というチームの目標もありましたが、MGCですら出せなかったんです。私にとっても東京オリンピックは夢の舞台でしたが、そこがダメなら引退の覚悟でいました」

2月の別府大分毎日マラソン。「ファンの方、関係者の皆さんへの恩返しをしたいレース」という競技人生の集大成として挑みました。

引退のつもりで挑んだレースで2時間09分06秒の自己ベストで6位。「優勝して恩返しできたら最高だったのですが(笑)。優勝までは届きませんでしたが、自己ベストで良い走りはできたかなと思います」

両手を上げてフィニッシュしているシーンがとても印象的でした。うまくいかなかった期間が長かった中で、試行錯誤を繰り返しての自己ベスト。見ている側も心を打たれるレースでした。

13度目のマラソンとなった今年の別大で2時間09分06秒の自己ベスト

「別大の時に競技を終えるつもりで走ったのですが、自己ベストが出て、あと1年チャンスを与えていただきました。現在はプレイングコーチという肩書きで、結果を求めて競技も継続しています」

宗猛総監督と話をする深津さん。今年からプレイングコーチとして新たなスタートを切りました

プレイングコーチということで、新たに指導という役割も。「選手とよくコミュニケーションを取り、対話を通じて目標達成に必要な行動をうながしたり、選手自身が新しい気づきや視点を持ち主体的に行動できるようなコーチングを心掛けています」。選手と年齢も近く、きっと皆さんも相談しやすい存在なのでしょう。

選手のタイムを計測し、見守る深津さん。走りにも指導にも注目です

今後については「マラソンでもう一度結果を出したいです。マラソンで私が結果を出せば、周りの選手も『自分もできる』と感じてくれると思うんです。各選手みんな力があるので、結果を残していきたいですね!」。ニューイヤー駅伝では4連覇を達成し、駅伝の実績は申し分ない旭化成の皆さんのマラソンでの活躍にも注目ですね!

競技人生の集大成として再びマラソンに挑む深津卓也さん。自らのため、チームのために、現状打破し続ける、深津卓也さんの挑戦はこれからも続きます!

M高史の陸上まるかじり

in Additionあわせて読みたい