陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

東海大OBの田中飛鳥さん 市民ランナーを経て、再び実業団選手として挑む!

東海大OBで実業団、市民ランナーを経て、ひらまつ病院で走り続ける田中飛鳥さんにお話を伺いました(写真はすべて本人提供)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」はひらまつ病院所属の田中飛鳥さん(31)のお話です。東海大学では全日本大学駅伝、箱根駅伝に出場。実業団の富士通、西鉄で競技を続けるもいったん市民ランナーになりました。市民ランナー時代にマラソン2時間10分13秒をマークし、ひらまつ病院で再び実業団選手としてマラソン、駅伝に挑んでいます。

中学駅伝で全国制覇!

福岡県出身の田中飛鳥さん。小学校の持久走で毎年上位に入っていたこともあり、中学から陸上部に入りました。「何も知らずに入ったら強いチームでした(笑)」。なんと、入部した日の里中学陸上部は全国大会出場経験もある強豪チームでした。

強豪チームではありましたが、慣れるまでは新入生に優しいメニューだったそうで「新入生は『鬼ごっこ』しておけ、みたいな感じでした(笑)」と入りやすい環境だったことも幸いして、徐々に練習にも慣れていきました。

「人生で一番大きい出会い」と語った日の里中学時代の田中さん

中学3年生の時には全国中学駅伝で優勝。田中さんも5区で区間賞を獲得しました。ちなみにその時、1区を区間2位で走ったのは当時2年生の上野渉さん(仙台育英高校〜駒澤大学〜ホンダ)でした。

「今思うと人生において一番大きい出会いでしたね」と恩師や仲間とのご縁を口にされました。

都大路に届かなかった高校3年間

中学の先輩も数多く進学されていたということで、高校は九州国際大学付属高校へ。

高校時代の思い出をうかがったところ「高校時代は自宅から通っていました。朝練習も集合する時があったのですが、内容が斬新でしたね! 朝からタイムトライアルをしたり、学校の体育館で当時流行っていたビリーズブートキャンプをしたり(笑)」。片道1時間以上の通学も刺激的な朝練で乗り切りました。

大牟田高校に勝てず、都大路に届かなかった高校時代(左が田中さん)

駅伝については「大牟田高校が強く絶対王者で、なかなか超えられない壁でしたね。結局、大牟田高校に勝てないまま卒業でした。なんとかして勝ちたかったけど難しかったですね」と都大路には届かなかったものの「目標があったから3年間しっかり頑張れました」という高校3年間でした。

東海大学で箱根、全日本にも出場

高校卒業後は東海大学へ。「高校の先輩もいましたし、関東の大学で箱根を走りたいという思いがありました」。大学で初めての寮生活。「新鮮でした! 入る前はホームシックになるかなと思っていましたが、意外とならなかったです(笑)。寮生活は楽しかったですね!」と環境の変化にも対応。

東海大学では関東インカレ、全日本大学駅伝、箱根駅伝にも出場。中でも全日本大学駅伝では1年生から3年生まで3年連続で5区を走りました。

1年生の全日本では「高校時代に都大路に出ていなかったので(中学以来)全国規模の駅伝が久しぶりで、今でも覚えているほど緊張していました。本番も空回りしてしまいましたね。テレビで見ているような選手たちと一緒に走るんだなと興奮していました」。区間12位というほろ苦いデビュー。

2年生で初めて挑んだ箱根駅伝。9区で区間5位という箱根デビューでした

2年生の時の全日本。刺激となったのは1年生・村澤明伸さん(現・日清食品グループ陸上競技部)の走りでした。「(村澤選手は)1年生でしたがすでにバリバリのエースでした。ただ、1週間ほど前に体調不良を起こしてしまって。それでも本番は2区に登場して物凄い走りでした。駒澤大学の宇賀地強さん(現・コニカミノルタ陸上競技部コーチ)とのデッドヒートは胸が熱くなりましたね。ルーキーがこんなに頑張っているから自分も頑張らなきゃと刺激になりました」と村澤選手の激走に刺激を受けて、田中さんも5区で区間2位の好走をみせました。

全日本での好走も経て、年明けの箱根駅伝も9区5位という堂々の箱根デビューとなりました。

両角監督就任! ギリギリ間に合った最後の箱根駅伝

4年生になり、両角速監督が就任。大きな変化がありました。

「大学構内にクロスカントリーコースもできましたし、練習もガラッと変わりましたね。ただ、4年生の時はまるまる1年ほぼ故障をしていました」と田中さんは苦しい4年目のシーズンを迎えていました。「公式戦のシーズン初戦が箱根駅伝だったんです。なんとか最後の箱根に間に合いました。自分で言うのもなんですが奇跡でしたね。上級生になってからあまり結果が残せていなかったので無我夢中でした」

往路の4区に登場し区間8位の走り。「往路でバシッと決めないと!と、ちょっと気負ったところはありましたね」。それでも故障に苦しんだラストイヤー、ご自身も「奇跡」と話せる追い込みで、間に合わせた意地をみせられました。

実業団生活を送るも市民ランナーに

大学卒業は実業団の強豪、富士通へ。「有名人ばかりでしたね(笑)。レベルの高いチームと思っていましたが、どうせやるなら強いチームでやりたいというのがありました。ただ、あまりのレベルの高さに、練習のために練習をしているような状態で故障も多かったです。ちょっと背伸びをしすぎたかもしれません」。故障に苦しんだ2年間でした。

その後、西鉄に移籍します。「ご縁があって移籍させていただきました。なんとかここで自分自身としても復活したいと思っていました。ただ、なかなか歯車が噛み合わず、うまくいかなかったですね」。西鉄には3年間在籍。納得のいく結果を残すことができず、その後は市民ランナーとして走り続ける道を選びました。

市民ランナーとなり急成長、自己ベスト大幅更新!

その後の所属は「ゆとりRC」。どんなチームかといいますと「ランニングが好きな社会人のゆるいサークルです。代表がゆとり世代で、どうせサークルを作るならダサくて一発で覚える名前にしようという由来みたいですね(笑)」とネーミングセンスも抜群ですね(笑)。

ゆとりRCの皆さんと。ここから田中さんの快進撃が始まりました

「ゆとりRC」とゆるそうなイメージとは裏腹に、市民ランナーとなってから田中さんはマラソンで急成長を遂げます。2017年12月の防府読売マラソンでは2時間12分17秒で3位に入り、それまでの自己記録2時間20分44秒を大幅に更新しました。

「表彰式では『ゆとりRCってどこ?なんだそれ?』といった空気になりましたね(笑)」。この年の防府読売マラソンでは、優勝したのが当時、公務員ランナーだった川内優輝さん(現・あいおいニッセイ同和損保)、2位が沖縄県南城市の公務員ランナー・濱崎達規さん(なんじぃAC)、3位がゆとりRCの田中さんでした!「実業団選手も出場していた中でのレースなので嬉しかったですね!」と異色の経歴の選手たちが表彰台を独占!

ご自身の変化について「練習をやりすぎると疲労困憊な状態でスタート地点に立って失敗するので、自分に合った練習パターンで自分のやりたいようにやってみたらフィットしたんです。練習の組み立てで気をつけているのは長い距離、インターバル、ペース走などをバランスよく、メリハリをつけながら取り組むことですね」と確かな手応えを感じていました。

東京マラソン2018を走る田中さん。当時、市民ランナーながら2時間10分13秒の好記録をマーク

2018年の東京マラソンでは2時間10分13秒と、さらに自己記録を更新!「自分でもそこまで出ると思っていなかったです。自己ベストが出ればいいかと思っていたらレースの流れに乗って2時間10分まできました。ただ、もうちょっとでサブ10だったのに届かなかったので、まだまだ甘いなと」と自己ベスト更新もさらなる高みを目指します。

再び実業団選手として

マラソンでの活躍もあって、その年(2018年)の10月からは、ひらまつ病院に所属することになりました。

「市民ランナーになってからは自分でやっていこうと思っていましたが、ご縁があって声をかけていただきました。マラソンがメインですが、実業団で自分にプラスになることもあるので」。2019年のニューイヤー駅伝では2区を務めました。

2019年のニューイヤー駅伝で2区を走る田中さん

11月3日に開催された九州実業団駅伝でも7位に入り、4年連続ニューイヤー駅伝出場を決めたひらまつ病院。田中さんも5区(13.0km)を走り区間8位でチームのニューイヤー出場に貢献しました。

ひらまつ病院について田中さんは「他にないチームですね。メンバーも個性豊かです(笑)病院で医療に従事して働きながら走っている選手もいます。両立は本当に大変そうですが尊敬しています。凄いなと思いますし、刺激をもらっていますね」とチームの魅力を教えていただきました。

異色の経歴ながら常に打破し続けてきた田中さんの挑戦は続きます

「駅伝に応援に来てくださるのはモチベーションになりますね。市民ランナーでは味わえない部分でもあるので、応援は本当に力をもらっています」と熱い応援がパワーの源です。

今後の目標は「まだまだ強くなれると思っていますし、記録も伸ばしていきたいです。まずはマラソンでサブ10ですね。日本代表など、舞台に立てるチャンスはあると思っているので、挑戦していきたいです」

実業団選手から市民ランナーとなり、再び実業団選手として復帰した田中飛鳥さん。常に現状打破する個性派ランナーの挑戦に注目です!

M高史の駅伝まるかじり

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