WEリーグ女王へ! 石田みなみ「自分の言葉」で伝えることの大切さ
2014年に早稲田大学卒業後、ルクレMYFCを経て、ノジマステラ神奈川相模原に加入。今では最も長くチームに在籍する選手になった石田みなみ(29)が目指すのは、今年9月開幕予定の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ(ウィーリーグ)」の初代女王、そして若い世代に背中を見せること。昨年始めたnoteでの発信も、スポーツギフティングサービス「Unlim」の活用も、そのためのひとつの方法だ。
女子サッカー部1期生、通学に片道2時間
静岡出身の石田にとって、サッカーは物心がつく前からそばにあるものだった。兄の後を追って幼稚園の年長からサッカーを始め、小学生になってからは学校の少年団とともに御殿場市の女子サッカーチームでもプレーした。中学校は当初、地元・御殿場市の学校に進もうと考えていたが、元日本代表の吉田弘さんから「女子サッカー部を立ち上げるからうちにこないか」と静岡市の常葉学園橘中学校(現・常葉大学附属橘中学校)に声をかけてもらった。通学に片道2時間もかかる。だがここで決断することで、「本気でサッカーを取り組もう」という気持ちが固まった。
1期生としてプレーする日々。元日本代表の半田悦子監督(当時)に連れられて見に行ったなでしこジャパンの試合は、自分が目指すべき姿を具現化してくれた。中3のころから年代別の代表合宿に参加し、常葉学園橘高校(現・常葉大学附属橘高校)2年生の時にFIFA U-17女子ワールドカップの日本代表へ選出。パラグアイ戦で先発出場を果たした。日本は決勝トーナメントのイングランド戦でPKの末に敗れたが、石田はプレーだけでなくサッカーの取り組み方や文化の違いを感じ、その差を埋める努力と学びの必要性を痛感した。
サッカーをしていない自分を想像できなかった
早稲田大に進んだのは、静岡で見た皇后杯の試合がきっかけだった。早稲田大はインカレ常連校。国体で一緒に戦った先輩の縁で練習に参加したことで、「このチームで日本一になりたい」という思いが強くなったという。
そんな早稲田大ではいろんな刺激を受けた。中学・高校では自分が1期生だったため先輩がおらず、チームの中でも主軸の選手だった。しかし日本一を目指すチームの中では、練習についていくのに精いっぱい。特に1年生の時は4年生とポジション争いをしなければならず、先輩のプレーや私生活を見て学ぶのも初めての経験だった。そんな1年目に早稲田大はインカレ2連覇を達成。「先輩方がすごくて、どれだけミスしても全部カバーしてくれました。先輩たちの力で勝たせてもらったインカレでした」と石田は振り返る。
早稲田大は学生たちの自主性を尊重した運営をしており、学生自ら戦術を学び、相手選手を分析し、チームが目指すべきものを考えなければいけなかった。そうした経験は今の石田にも生かされているという。
大学では他の競技に取り組む学生の姿も新鮮だった。高校までは自分たちも含め、同じ学内に日本一を目指すような部はなかったが、早稲田大は様々な部が高いレベルで競技に向き合っている。大学の同期には陸上の大迫傑やディーン元気などもおり、彼らの活躍に石田も刺激を受けた。またスポーツ科学部のゼミではバイオメカニクス(生体力学)を学ぶ機会に恵まれ、団体競技をやってきた石田にとっては自分自身にフォーカスするきっかけにもなった。
4年生になるころには同期の選手も皆、就職活動をしていた。石田は夏のユニバーシアードのメンバーに選ばれなかったらサッカーをやめようと決めて練習に打ち込んだが、代表候補止まりだった。改めて卒業後の進路を考えてみたが、やっぱりサッカーをしていない自分を想像できなかった。自分の実力をもう少し試したい。その思いを胸に、なでしこリーグ所属チームの練習に参加して自分をアピールした。
インカレで結果を出せば道が開けるのではないかと考え、4年生としてチームを牽引(けんいん)してきたが、インカレ2回戦で姫路獨協大学に3-4で敗れ、無念の引退となった。「普通だったらしないようなミスを自分もチームもしてしまって、やっている最中から悪夢のような感覚でした」。負けたことが信じられず、現実を受け入れるのに時間がかかった。引退後もアピールを続け、卒業間際、13年12月に設立されたばかりのルクレMYFCへの加入が決まった。
チームの中で自分を生かすために
ルクレMYFCでの1年目を振り返ると、「すごくしんどくて、自分が思い描いていたものとは全然違っていました」と石田は言う。朝から夕方まで働き、その後に練習。新規事業を任されるという経験は貴重なものだったが、その分、サッカーに集中できる時間は限られてしまい、けがも重なって思うようにプレーができなかった。また設立されて間もないチームということもあり、「もっと上のレベルで戦いたい」という思いが石田にはあった。そこで当時なでしこリーグ2部だったノジマステラ神奈川相模原の練習に参加し、2年目を前にしてノジマステラに移籍した。
菅野将晃監督(当時)がチームに求めることを意識し、そのチームの中で自分の力をどう発揮するかを常に考えていた。例えば走りのメニューで1分を求められた時は、55秒で走りきった。「チームに求められる基準が1分なら、その上をいかないと自分を表現できない。誰かがとかキャプテンがとかではなく、それぞれが得意な部分でチームを引っ張る意識が1部に上がるためには必要だと思いました」。チームのために自分の技を鍛え、最後まで諦めない熱いプレーを見せ、試合中も練習中も声を出して仲間を鼓舞(こぶ)する。そうした石田の意識は入団当初も、そしてベテランとなった今も変わらない。
チームは16年に2部無敗優勝で1部昇格を果たし、17年には皇后杯で準優勝。そして今年はWEリーグにオリジナル11として4月24日からプレシーズンマッチを経て、9月から新たな戦いが始まる予定だ。石田は昨シーズンまで主将だったが、新シーズンは大学の後輩でもある新主将の松原有沙を支えていく。「ノジマをある程度象徴できる選手なのかなという自負はあります。試合に出る出ないに関わらず、練習中も一つひとつのことにこだわる姿勢を絶対なくしてはいけないし、今の自分の立場だからこそ松原や若い選手に伝えられることがあると思うので、日々考えながらやっています」
noteで発信、若い世代の選手にきっかけを
ベテラン選手としての思いはフィールド内だけにとどまらない。石田は昨年5月からnoteを通じ、選手としての思いや女子サッカーの魅力を伝えている。「多くの人に女子サッカーや自分のチームを知ってほしいという思いから発信を始めました。女子サッカーはメディアでも取り上げられにくいので、選手個人でも発信して、いろんな方の目にとまる回数を上げるしかないと思ったんです。自分の言葉で発信することに意味があると思っているので、人の言葉を借りるのではなく、自分の言葉でつづるようにしています」。ファンやサポーターからコメントをもらえたり、試合でも自分を応援してくれる人が増えたりと、その反響を実感している。そうした自分の姿を見せることで、若い世代の選手が「やっていいんだ」「やってみたい」と思うきっかけになればと考えている。
スポーツギフティングサービス「Unlim」も、女子サッカーや自分のことを知ってもらい、応援したいと思ってもらえるきっかけのために始めたことだ。集まった支援金で、自分の地元・御殿場市やチームの本拠地・相模原でサッカーを中心にした社会貢献ができればという考えもある。
石田も今年2月にプロ契約を結び、「一つひとつのプレーに対する責任感やサッカーで食べていくという意識がより芽生えた」と話す。WEリーグが開幕する今年は、女子サッカーの魅力を多くの人に伝えるチャンスだと石田も感じている。サポーターや地域の人々を巻き込みながら、勝利の喜びを分かち合う。そんな一勝を積み重ねていき、初代女王をみんなで目指す。