ビーチバレー

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

武蔵野大で学びクラブに打ち込む、スポンサーの存在が覚悟になった 坂口佳穗1

坂口(右)は武蔵野大学に通う傍ら、クラブでビーチバレーに没頭した(撮影・全てビーチバレースタイル)

武蔵野大学を卒業したプロ1年目の2018年に、マイナビジャパンビーチバレーツアー東京大会で自身初優勝を果たした坂口佳穗(25)。プロ4年目を迎え、トップチームの一角として東京オリンピック出場を目指している。そんな坂口は大学入学とともにビーチバレーのクラブチームでスポンサーの支援を受け、活動していた異色のアスリートだ。

CAや看護師という夢を急きょ方向転換

高校時代に描いていた将来の夢は、キャビンアテンダントか看護師だった。それに向けて大学受験勉強を始めたが、その最中にビーチバレーと出会った。坂口の父と同郷だった瀬戸山正二さん(元アトランタ五輪ビーチバレー日本代表、現在の所属事務所社長)の誘いでビーチバレー大会へ遊びに出かけた。「初めて見たビーチバレーの世界は、太陽の下で音楽がかかり、MCが盛り上げるコートはすごく華やかに見えました。砂のコートの上でスポットライトに当たりたいと思いました」と坂口は振り返る。将来の夢を急きょ方向転換した。

大学に入ったら、ビーチバレーに打ち込もうと決めた。武蔵野大にはビーチバレー部はなかったが、神奈川県川崎市に根を張る川崎ビーチスポーツクラブ(KBSC)に通いながら、一からレベルアップを図っていこうと考えた。武蔵野大では法学部政治学科を専攻。「大学は専門のことをしっかり学べる機会。高校時代に世界史の勉強をしている時に政治の歴史、現代の仕組みに興味を持ったので、もっと勉強したいと思ったのがきっかけです。政治学科がある大学を探して、その中から武蔵野大学を選びました」

忙しい毎日、帰り道に泣くこともあった

学業とビーチバレーの両立。坂口は新たな挑戦に夢を膨らませた大学生活を迎えるはずだった。しかし、その期待は1年目からみるみるしぼんでいった。

「1年生の時は全然楽しくありませんでしたね。自宅から練習場(東扇島・川崎マリエン)までが片道2時間、練習場から大学までが片道1時間30分。とにかく移動時間が長くて、練習場と大学の往復の日々でした。大学へ通い、練習に行き、地元に帰ったらアルバイトして家に帰る。友達と遊ぶ時間は全くありませんでした(笑)。さすがにその時は帰り道に泣くこともあったし、めげる時もありました」

しかし、そんな坂口に転機が訪れる。2年生になった時、女子ビーチバレー選手期待の若手として露出が高まり始めていた坂口にスポンサーがついた。

「スポンサーさんの看板を背負っていることは常に意識していました。自分は『普通の学生選手ではない』ということを考えるようにしていました。なぜそう思っていたか。2年生からはスポンサーさんの支援を受けて、練習場の近くに引っ越して一人暮らしを始めることができたからです。アルバイトもやめて、競技に集中することができるようになりました。それはスポンサーさんの存在があってこそできていた生活でした。家と学校と練習場の距離も近くなって、移動もだいぶ楽になりました」

スポンサーのおかげで競技ができていたからこそ、坂口は学生の時から責任を強く感じていた

キャンパスライフが息抜き

上級生になると、海外で開催されるワールドツアーにも参戦できるようになった。当然、授業も欠席することになる。それは体育会系の部活動がない大学にとって前例がないことだった。

「ワールドツアーに出場する時は、事前に自分がどれほどビーチバレーに対して取り組んでいるか、先生方によく直談判させてもらいました。欠席してもレポートを提出すればOKという先生もいれば、あと何回欠席したら単位はあげられないという先生もいます。だから普段から絶対に授業はさぼりませんでしたし、前の方の席で受けて先生方に猛アピールしていました(笑)」

1年生の時は想像とは違うビーチバレー中心の生活に音を上げそうになったが、2年生になると大学生活を楽しめるようになってきた。

「友達ができました! ランチや空きコマの時に一緒に過ごす友達ができたんです。その時間だけはひとりの女子大生です(笑)。ビーチバレーの練習や試合で色々あっても、大学に行ったら別世界。私のことは誰も知りません(笑)。両立するのはとても大変だったけど、キャンパスライフが気持ちを切り替える息抜きになっていました」

スポーツを続けられる方法を自分が示す

4年生になると、遠征の数も更に増えていった。「本当にギリギリで単位を修得できました。そこは頑張りました!」と坂口。大学の部活動に所属する形ではなく、クラブチームで競技に打ち込み上を目指す、というスタイルを身をもって示した。

「スポンサーがついたのは私だけの力ではなく、周りの方が環境を整えてくれたからです。だからその点については自分の力ではないのでなんて言ったらいいか分からないのですが……。大学に自分のやりたい部活動がなくて困っている学生さんがいても、こういう形でもスポーツを続けられる、こういう方法もあるよ、というひとつの方法を見せられたかなと思います」

スポンサードによってコーチや遠征費用も賄えるようになり、だからこそ「全てはビーチバレーのためだった」という坂口。その結果は、大学卒業後に現れることになる。

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