ビーチバレー

連載:4years.のつづき

特集:東京オリンピック・パラリンピック

退部も考えた先でつかんだ春の高校バレー日本一 トヨタ自動車・石島雄介1

石島はバレーボール選手として北京オリンピックを経験し、今はビーチバレーボールで東京五輪を目指している(撮影・ビーチバレースタイル)

「ゴッツ」の愛称で親しまれ、男子バレーボール日本代表として2008年の北京オリンピックを経験。17年からビーチバレーボールに転向し、37歳を迎えた現在は、東京オリンピックを目指して突き進んでいます。飽くなき挑戦を続けてきた石島雄介(トヨタ自動車)のストーリーを4回連載で紹介します。初回はバレーとの出会い、強豪・深谷高校(埼玉)での日々についてです。

剣道のために選んだバレー部

埼玉県出身の石島がバレーを始めたのは中学1年生の部活動だった。当初は小学3年生から始めた剣道を中学でも続けたいと思っていたが、剣道部がなかったために選んだ“代案”だった。「週末は町の剣道場の稽古に通いたかったので、通えるような部活を考えていました。技術系の先生に誘っていただき、新しくできたバレー部に友達同士で入りました。初めての公式戦は0-15、1-15で負けるような弱小バレー部でした」

1点がとれた喜びは今でも鮮明に覚えている。この頃から少しずつバレーが面白いと思うようになった。3年生になるころには、身長は185cm近くまで伸びていた。周囲に教えてくれる人がいなかったため、図書館でバレーの教本を読んで学び、練習していた。そんな石島の存在は埼玉県内に知れ渡り、地区の代表選手が集まる練習会に呼ばれるようになる。それがきっかけで県内では負けなしの強豪校・深谷高校の茂木進一監督の目に止まった。

「高校こそは剣道をやろうと思っていたんですけど、茂木先生からお誘いを受けて心が揺らぎました。深谷高は文武両道を校訓にしている学校でした。バレーボールだけではなく、勉強も学びたいという気持ちもありました。父親からも『やるからには県内で一番の学校がいい』とアドバイスをもらったことで、深谷高へ進学することを決めました」

中学3年生では埼玉選抜に選ばれ、全国大会を経験するまでになっていた。しかし深谷高で石島を待っていたのは、想像を絶する世界だった。

現在身長197cmの石島は中学生の時から185cmあり、大型選手として将来性を買われてきた(撮影・ビーチバレーボールスタイル)

スタープレーヤーの「付き添い人」

深谷高は春の高校バレーやインターハイなどの全国大会で優勝経験している名門校であり、エリートプレーヤーも集まってくる。そんな中、石島の身長はすでに195cmに到達しており、1年生の夏から試合に出場していた。ミドルブロッカーとしてネット際において表情をギラつかせ、ダイナミックなプレーで躍動。傍目からはスーパー1年生そのもので、春の高校バレーで準優勝を経験した。そんなきらびやかな舞台の裏で石島は、自身の劣等感から葛藤の日々を送っていたと話す。

「先輩には柴田恭平さんや飯塚俊彦さん、同級生には金丸(晃太、現ジェイテクトSTINGS)や小川(旭)、1つ下には金子隆行(現NECレッドロケッツ監督)など、小学生からバレーをやってきて中学生でも厳しい練習を経験してきた選手ばかりでした。その中で自分は経験も技術もなく、練習の厳しさと寮生活でのホームシックでやめそうになりました」

当時の石島は自分のことを能力のあるメンバーたちの「付き添い人」のように感じていたという。そんな中でイメージするプレーが思うようにできず、「バレーボールをやめたい」と監督に打ち明けたこともあった。その度合いは強く、一度は父親に退部を止められたこともあった。「今考えると、茂木先生は本当に根気よく使ってくださったなと思います。自分は主力選手の付き添いで試合に勝たせてもらったんですけど、その割には生意気でした(笑)。反抗もしていました。茂木先生はこんな自分を許してくれましたし、仲間に恵まれたと思います」

我を強く持っていても、勝つために結束する

石島を知るたいていの人間は、石島を「我が強い」と表現する。それについては石島自身も否定はしない。だが、「協調性がないわけではない」と語気を強める。

「我が強いからといって『こんな練習できませんよ』とはいきなり言わないですよ。日本一になった経験があって勝ち方を知っている選手がいたら、自分はその選手についていきます。好きとか嫌いとかそういう感情はなしで、目的を達成するためにそれは必要なことだと思いますし、そこに自分の意見もぶつけます。それがチームスポーツでは大切なことですし、そこが『我』だとは思っていないです」

バレーを通じて協力し合う大切さを学んだ(写真は2018年トヨタ自動車ビーチバレーボール部体育館にて、撮影・平野敬久)

深谷高時代の同級生だったレギュラーセッターの岡部寿弥さんとは「おそらく3年間で10分も話していない」と笑う。普段、一緒に過ごすことはなかったが、試合の直前になるとセッターとミドルブロッカーという間柄、自然に会話は増えていく。

「自分にとって岡部君のトスが必要だったし、岡部君にとっても自分の力が必要だった。だから試合の1週間前は話す、試合の時は互いに助け合う、試合が終わったら話さないし険悪な時期もある(笑)。その繰り返しでした。目的は試合に勝つことなので、そうやってシンプルに考えれば自然に結束する。終わってみれば、2年時の春の高校バレーで日本一を勝ち取った。今は『こんなこともあったよね』と笑って話せる思い出です」

この頃にはとっくに剣道は頭の中から消えていた。チームスポーツの面白みを得た石島は深谷高卒業後、大学バレー界トップクラスの筑波大へ進学。これから待ち受ける筑波大での経験は、「バレーボールプレーヤー」としての石島をさらなる上のステージへ押し上げる4年間となる。

4years.のつづき

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