近大・井狩裕貴 瀬戸大也と目指す五輪2大会連続ダブル表彰台、両親との約束を胸に
決勝レースの入場ゲートに立つ井狩裕貴(近大3年/イトマン近大、近大附)は緊張した面持ち、というよりは、どこかひょうひょうとした、余裕を感じさせるような表情で佇(たたず)んでいる。そして名前を呼ばれたら、スタンドのチームメートたちに小さく手を上げて応え、自分が泳ぐレーンまで駆け足で入場する。
「いつからやっていたかは覚えていないんですけど、高校時代にはもう走っていたと思います」
一風変わったルーティーン
入場時のルーティンは、誰にでもある。例えば萩野公介(ブリヂストン)なら、リオデジャネイロオリンピックまでは軽くジャンプしながら、下半身を左右に捻(ひね)るのがルーティンだった。塩浦慎理(イトマン東進)なら、カメラに向かって両手を突き出して入場してくる。特長的なのはそのくらいで、大体の選手は、これから始まるレースに向けて緊張する自分を抑えるように、大きく深呼吸したり、会場を見渡したりしながら“ゆっくり”と入場する。だが、井狩は足早に自分のレーンへと走っていく。
その他にも、シェーブダウンや坊主にするのも井狩のルーティンのひとつ。「寝て起きて、アップしてレースで泳ぐまで、全部ルーティンと言えば、ルーティンですね」と事もなげに話す。一風変わっているように見えるかもしれないが、そうやって自分の世界にどんどん没頭し、集中力を高めていくのが彼のやり方だ。
事実、レース前の井狩を見ていると、全く周囲の一切が目に入っていない。表情も不安など微塵(みじん)も感じさせない。入場し、スタート台の前に立ったら、レースで泳ぐ8人の中で、誰よりも自分のやるべきことに集中しているのである。だからこそ、4月に行われた競泳の日本選手権400m個人メドレーで、大接戦が予想されていた2番手争いを制し、東京オリンピックの代表権を獲得できたのだ。
飛躍のきっかけはユニバーシアード
東京オリンピックの代表権をかけた日本選手権の初日。最初の決勝レースとなる男子400m個人メドレーは、代表権の1枠が瀬戸大也(TEAM DAIYA)で埋まっている。残り1枠しかない代表権を奪い合うこの種目は、かなりのハイレベルな争いになることは予想されていた。というのも、決勝進出者8人のうち、瀬戸も含めて6人もの選手が日本水泳連盟が定める派遣標準記録を超える自己ベストを持っていたからだ。その中で頭ひとつ抜けていたのが、2020年度の日本ランキングで瀬戸に次いで2番手のタイムを持っていた井狩だった。
高校3年生だった2018年。インターハイは200mと400m個人メドレーの2種目とも2位。福井国体ではリベンジを果たすも、記録的にはまだまだジュニアレベルであった。
そんな井狩の飛躍のきっかけとなったのは、近畿大学に進学した19年のこと。日本選手権の400m個人メドレーで、自己ベストを大幅に縮める4分13秒54で瀬戸に次ぐ2位に入り、同年イタリア・ナポリで開催されるユニバーシアード大会への出場権を獲得。
初代表となったユニバーシアードでは、更に自己ベストを1秒以上上回る、4分12秒54の好記録で国際大会初優勝を飾る。この記録は、同年韓国・光州で行われたFINA世界選手権でも4位に入れるほどの記録だった。井狩は18年からたった1年で、自己ベストを3秒以上縮める大躍進を遂げたのである。
「この2019年シーズンがあって、漠然とした夢でしかなかったオリンピックが現実になり、勝ち取りにいこう、という気持ちが芽生えました」
ジャパンオープンで得た自信
世界の舞台を踏んで自信をつけた井狩は、勢いに乗って東京オリンピックを決めたかったところだったが、新型コロナウイルス感染拡大を受け、昨年の日本選手権(4月→10月)も、東京オリンピックも延期となってしまう。「モチベーションの維持は難しかった」と話すが、それも仕方がないこと、とスパッと気持ちを切り替え、自分のやれることに集中する。
そんな井狩に自信をつけさせるレースがあった。今年2月に行われた、ジャパンオープン2020である。この大会の400m個人メドレーに出場した井狩は、4分12秒91と自己ベストに近いタイムをマークする。だが、内容は全く別物だった。
ユニバーシアードで出した自己ベストの200mのスプリットタイムは2分01秒76。対して、このジャパンオープンでは2分03秒35で折り返していた。200mの時点で1秒59も遅くターンをしているにも関わらず、自己ベストからは0秒37しか遅れていなかったのだ。この結果で、井狩は自信をつける。
「後半はもう問題ない。後は思い切って前半からいけば大丈夫」
そして迎えた、東京オリンピックの残り1枠をかけた日本選手権の400m個人メドレー。予選で「緊張から身体に勝手な制御がかかってしまった」と、予想外の7位通過となり、決勝では1レーンになってしまう。だがそれも結果的には、自分のレースに集中するには良かったのかもしれない。
いつものルーティン通り、レーン紹介から駆け足で1レーンに入った井狩は、前半から積極的に攻め、作戦通りに2分00秒80で、瀬戸に次ぐ2番手で200mを折り返す。後は自分を信じて泳ぐだけだった。300mのターンでも2番手を維持。ラストの自由形で隣の2レーンを泳ぐ本多灯(日大2年/ATSC.YW、日大藤沢)が追い上げてくるが、井狩も自由形は得意。焦ることなく、最後の力を振り絞ってフィニッシュ。4分11秒88の自己ベストを更新して2位に入り、派遣標準記録を突破。夢の切符を手中に収め、右手で小さくガッツポーズ。プールから上がってからも、もう一度小さくこぶしを握りしめた。
自分を応援してくれる家族のために
「代表にはなれましたけど、今のタイムじゃ全然戦えない。徹底的に持久力の強化をしていって、残り1カ月くらいで4種目それぞれ感覚を研ぎ澄ませていきたい」
いつも井狩は冷静だ。自分のやるべきことを客観的に見て、判断する。それはずっと井狩の背中を押し続けてきた母の影響が大きいのかもしれない。
中学3年生で父を亡くした。その父と一緒に、ずっと井狩のやることを全力で応援してくれた母。高校から親元を離れる時も「自分で決めたんやったら、自分で責任を持って、自分のやりたいようにやりなさい」と送り出してくれた。
今回、大会初日に東京オリンピックを決めた時に電話で報告をしたが、祝福の前に「200m自由形にも出るんやったら、ちゃんとしなさい」と釘を刺された。だからこそ、井狩はいつでも、自分のやるべきことに集中できる。母と、父と約束したのだから。
「400m個人メドレーは、東京オリンピックでも最初の種目になります。そこで僕と瀬戸さんのふたりでメダルを獲(と)って、チームに勢いをつけられる泳ぎをしたいと思います」
その決意に満ちた眼差しは、まっすぐ東京オリンピックの表彰台だけを見つめていた。