東海大・市村朋樹 納得の「攻めた走り」で関東インカレ5000m5位
東海大学の市村朋樹(4年、埼玉栄)は関東インカレ最終日の男子1部5000mに出場し、13分56秒99で5位だった。終始前方でレースをすすめ、積極的に行けたことに充実感をにじませた表情で取材に答えた。
「前よりは成長できた」つかんだ手ごたえ
気温は25度近く、ときおり強風も吹くコンディションだったため、市村ははじめから記録を狙うというよりも勝負だと考えていた。スタートしてすぐ目の前には順天堂大学の三浦龍司(2年、洛南)がいたので、「これはつくしかない」と考え、ずっと三浦をマークして、大きな集団の前方で走った。
3000m手前で先頭を走っていた流通経済大学のサムソン・ディランゴ(1年)と駿河台大学のジェームズ・ブヌカ(3年)が前に離れると、3位争いの集団は次第に人数が絞られ、残り4周時点で早稲田大学の千明龍之佑(4年、東農大二)と井川龍人(3年、九州学院)、三浦、市村、日本体育大学の藤本珠輝(3年、西脇工)の5人に。先に井川が後退し、次いで藤本が後退、市村は懸命についていくがラスト2周は前の2人に離され、単独走に。そのまま順位を守り5位でゴールした。
「けっこうタフなレースで、4000mすぎて離れ始めてからはちょっと足がもたついちゃったというか重くなったので、そこが三浦と千明との差かなと思った」と冷静に分析しつつ、「日本選手権のときに比べたら耐えられて、ラストも微々たる差だけどペースアップできたので、前よりは成長できたと思う」と明るい。
「準備不足」で臨んだ日本選手権で得た課題
市村は大学ラストイヤーは「5000mで結果を出したい」と考え、5月4日に開催予定だったゴールデンゲームズのべおか(GGN)で日本選手権5000mの参加資格記録を突破するつもりで準備していた。しかし新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、大会は中止に。急きょ、申込資格記録を切って参加資格があった5月3日の日本選手権10000mに出場した。
GGNがなくなったことは「すごくショックだった」といい、思わぬ形で出ることになった大舞台に「5000mから10000mへの変更もそうだし、心の持ち方的にもふわふわしたまま出て終わってしまった。準備不足でした」と振り返る。28分30秒ぐらいで走れれば、と思っていたが、集団の後方につく消極的なレース展開となってしまった。結果、同じ組の29名中23番目、タイムは29分05秒04だった。「それでも大学4年間で日本選手権に出る、という目標は達成できたので、いい経験になったし、日本選手権の空気感を味わえたのはよかったです。シンプルにまだ力が足りないというのもわかったので、この先の競技人生につながる経験になりました」
その時の経験を活かし、今回のレースに臨んだ。「後ろから消極的な走りをしてたれるんだったら、最初から潰れる覚悟で前へ、前へとレースをしていってつぶれていく、というのを目標にしていたので、それをちゃんと実行できたのがよかったです。これからは攻めた走りをずっとし続けるつもりなので、それに関してはいいスタートが切れたと思います」。一方で三浦との地足の差を感じたといい、「トップ選手との差」を実感。収穫も課題も見つかった、市村にとってはいいレースだったと改めて口にする。
4年生としての自覚をもって
現在、東海大の4年生はほとんどが就活で寮を離れており、実業団に進むため寮に残っている市村が中心になってまとめていく立場にある。昨年1年間チームを支えた「3本柱」の塩澤稀夕(現富士通)、名取燎太(現コニカミノルタ)、西田壮志(現トヨタ自動車)が卒業し、例年に比べて戦力が落ちる、と言われていることについては「石原(翔太郎、2年、倉敷)だけとは言われたくないんで、僕ら4年生も含めて今日走った喜早(駿介、2年、仙台育英)や徳丸(寛太、1年、鹿児島実業)とかで、石原を『支える』じゃなくて『超える』存在になっていきたいと思います」と話す。
一方、1部10000mで留学生に食らいつき2位になった石原については「あの記録も当然だし、レースを引っ張っていく姿も当然だと思うので、彼には壁を作らないでぶっ壊してもらえたらと思う」と後輩への信頼と期待をよせる。
「どの年を見ても、最終的には4年生が引っ張っているかそうじゃないかで変わると思うので、その自覚を今以上にもって挑んでいきたい」と最終学年としての思いを語ってくれた市村。個人としては9月の全日本インカレまでは5000mで結果を出すことにこだわり、その先の駅伝を見すえて走れれば、とこの先のビジョンを語った。図らずもではあるが大きな舞台を経験し、それがいい方向に働いていることを感じさせる表情だった。