ラグビー

復活目指す大竹風美子、大けがで自分と向き合い試練の先に見えたもの

リハビリに励む大竹風美子。復活へ地道に取り組む(撮影・全て朝日新聞社)

東京オリンピックに挑む7人制ラグビーの日本代表が6月19日に発表される。そこにあるはずだった一人の選手の名前はない。大竹風美子(東京山九フェニックス)。東京高校3年生の終わりに陸上競技から転向し、日本体育大学の4年間でサクラセブンズ(女子日本代表)の中心選手へ一気に成長した。「女子ラグビーの人気を上げ、後輩たちに道を示せれば」とプロ選手になることを決意した矢先の2021年2月、左ひざに大けがを負った。「東京」への道を目前で絶たれ、気持ちの整理がついたわけではない。それでも、プロとしていきなり味わう試練と逃げずに向き合っている。

豪快な走りを取り戻すため、まずは筋力の回復

2月は宮崎で代表候補の合宿中だった。キックオフの練習でボールを競りにいって、着地がうまくいかなかった。左ひざに「ボキっ」と鈍い音がした。経験したことのない感覚だったが、ひざを手術したことがある先輩から聞いていた状況にあてはまった。「痛みというよりは、絶望、やっちゃった、という気持ちが大きくて動けなかった。気持ちの面で立ち上がれなかった」。担架で運ばれた。しばらく安静にし、東京に戻って正式な診断が出た。もう少し軽ければ、治療しながらオリンピックを目指す方法もあったが、手術は避けられなかった。

「東京」への熱い思い

東京オリンピックには人一倍思い入れがあった。生まれは埼玉県川口市だが、都内で育った。陸上競技に親しみ足立区立第十四中3年生の時は100mと200mで東京都大会を制した。陸上の強豪、東京高へ進み7種競技で高校総体6位になった。東京高はラグビー部も強い。関係者が体育の授業で大竹がバスケットボールをする姿をみて、彼女にラグビーを勧めた。大竹は2016年のリオデジャネイロ五輪でサクラセブンズの試合を見たこともあり、五輪へ出る可能性があるならと転向を決めた。今春から東京山九フェニックスに入ったのも、「東京育ちだから東京でプレーしたい。知り合いも気軽に見に来られる。女子ラグビーを発信できて、発展できるチームと思った」からだった。

思わぬ形で目標を失った。何度、泣いたことか。「気持ちですか。うーん、切り替えというか。今でも整理できていない部分はもちろんある。ですけど、たくさんの方から連絡をもらい、今までずっと応援して頂いたと改めてわかりました。切り替わったタイミングなどは全くなく、むしろ切り替えようとあんまり思ってなかった。切り替えようと思うとあせりも出ていろんな思いも出てきたので、いつかは切り替わるだろうという気持ちでした」

日体大での経験

3月上旬に手術をした。忘れられない「卒業式」になった。けががなければ15日の日体大の卒業式には出席予定だったが、大分へリハビリに行くことになった。ちょうど移動の日。車いすで、乗務員さんらに手伝ってもらい飛行機に乗った。SNSでは仲間の楽しそうな写真が飛び交っていた。「なんだか複雑な思いでしたね」

日体大の4年間は代表活動などで「トータル1年間も(キャンパスには)行けなかった」そうだ。それでも同期でゴルフの河本結と知り合えるなど気付きは多かった。「競技は違うが、高い志をもってやっていて友達以上の存在になれたことは大きい。日体大ラグビー部としてはあまり活動できなかったが、けがしたらすぐ連絡をくれたし、帰ったら『お帰り』と言ってくれる温かい環境だった」

大けがした左ひざに負荷をかけ鍛え直す

3月中旬から大分の病院に泊まり込み、併設のジムでリハビリが始まった。利用者が心身ともに生まれ変われるようにと「Reborn(リボーン)」と名付けられたジムだった。「より深く自分と対話できる時間があった。何のために自分はラグビーをしているのか。何が目的で頑張るのかなどを自分の中で対話した。けがをしてしまった他競技の方もいて、いろいろ共有できた部分は大きかった」。約3週間で歩けるようになった。ひざの可動域も次第に広がっていった。

サクラセブンズへのエール

5月下旬に戻って、チームの施設でリハビリを続けている。近くで一人暮らしも始めた。「(ひざの)可動域はしっかり出ているので、次は戻すための筋力向上。1日でも早く走れたらいいと思うが、一つひとつ段階を上っていって、基礎の部分をしっかりして、充実したリハビリ期間にしたい」と与えられたメニューを黙々とこなしている。

けがをしてから代表候補のメンバーには会っていない。選ばれる代表選手は12人。「普通では味わえない、オリンピック前の雰囲気というかシビアな空間というか、その場にいられなかったのは悔しいなと思っています」。チームがどんな状況かもわからないが、「今まで積み上げてきた努力が大きな舞台で発揮されることを祈っているし、応援します!」ときっぱり言った。

笑顔も次第に戻ってきた

ラグビーを始めて4年余り。まだ、22歳。足踏みはしたが、活躍が期待される舞台は次々に巡ってくる。「来春、ワールドシリーズへの昇格大会が開かれるなら、そこに間に合ったら自分としてはすごくうれしいかな」。そして、秋にはアフリカで初めて7人制のワールドカップが予定されている。父はナイジェリア出身だが、大竹自身はまだ、アフリカを訪れたことがない。「ケープタウン(南アフリカ)であるので、そこには絶対、(日本代表の)戦力で」。地道なリハビリを続ける上で、大きなモチベーションになっている。

in Additionあわせて読みたい