卓球

東京富士大・西村卓二監督、なぜスポーツをやるか問い続けて成長を促す

東京富士大の卓球部員と西村卓二監督(撮影・全て森田博志)

西村卓二さん(72)は東京富士大学の女子卓球部監督になって50年目を迎えた。半世紀近く同じチームで指揮を執り続けるのはスポーツ界でも珍しい。全日本大学総合卓球選手権(インカレ)優勝4度などの好成績を残し、世界選手権日本代表18人を含む400人を超える選手を育ててきた。学生たちに「何のためにスポーツやるのか。なぜ、その中で卓球をやるのか」などを問い続けながら指導に当たってきたという。

立教大・佐藤壮HC、「主体性」から始まったチームが持つ無限の可能性

選手に自信を持たせるために

「自分が教えた人が上達していく姿を見るのが好きだった」という西村監督は名門の中央大学時代から練習に来ていた他校の選手らに卓球を教えていたという。卒業後、半年ほど営業マンとして働いたが、縁があり富士短期大学(現・東京富士大学)の監督になった。1972年、水村治男総監督と二人三脚でのチーム強化が始まった。2004年のアテネオリンピックなど女子日本代表の監督も務めたが、大学生の指導は強化一辺倒ではないという。

巣立つ部員たちは、プロになる選手、日本リーグなどで社員として卓球を続ける選手、一般就職して余暇で卓球を楽しむ選手、卓球からは離れる人、と大きく4つのパターンがある。西村監督は言う。「自信を持たせるということでしょうか。4年間、やり通した。その結果、世界選手権に出られればいいが、競技力が低いままでも、自分にうそいつわりなく一生懸命卓球に打ち込んだ。これが社会に出てすごい財産になる。生き方は様々ですが、『いい母親になる』というのも一つのテーマです。卓球でチャンピオンになれなくても人生のチャンピオンになればいい。では、人生のチャンピオンとは何なのか。非常に難しい。72(歳)にもなってわからない。それを探しながら生きている。ここで努力したことが、その何%かにはなるだろうと思う」

卓球より人生のチャンピオンに

なりたい自分を思い描いて

選手たちは大学の規模としては決して大きくない東京富士大学に、卓球がうまくなりたい、強くなりたいと入部してくる。西村監督は「ピアノでも書道でも同じと思うが、主体性をもってやらないと、自信はつかない」とみている。自分は何のために学生スポーツをやるのか。いろんなスポーツがある中で、なぜ卓球を選んだのか。浪人を重ねてもいきたい大学を目指す人がいる。なぜ、東京富士大で卓球をやりたいのか。「『自分はこうなりたい』という間近な目標も大切」と説く。例えば、インターハイにも出られなかった選手が、いきなり世界女王にというは無謀だ。高校時代に都道府県レベルで4強ぐらいだった選手が、「新人戦に出たい」「リーグ戦でメンバー入りしよう」「インカレに出よう」と段階を踏んで力をつけていけば、最終的には世界大会への出場機会もつかめるかもしれない。

インカレ4度制覇のうち、3度は短大時代の栄冠だった。当時、関東の伝統校の関係者から「何で2年生までの大学に負けるんだ」という声が聞かれたという。もちろん好素材がそろっていたこともあるが、西村監督は「選手たちに『2年間しかない』という危機感もあったのでは」と振り返る。OGたちは短い大学生活の中で、自ら考え鍛えて結果につなげていった。

マンツーマンでも指導する

コロナ禍で春の大会は中止になった。練習もいつも通りという訳にはいかない。通常、東京富士大の練習は西村監督がメニューを考えて午前中は基本練習、午後はゲームやシステム練習をこなす。そして、夜は自主練習の時間になる。各自で昼間の練習を振り返り、それぞれが課題をみつけて取り組む。西村監督は口をはさまないという。

選手自らが緊張感を作り上げる

東京富士大の練習の特徴の一つに若い選手たちの武者修行がある。東京や千葉の小学生トップクラスが教えを請いに体育館に通う。まだ小さかった福原愛さんや平野美宇(日本生命)も訪れた。「緊張感を持ってやった時に技術は伸びると思っている。個人競技の卓球はいくらでも手を抜ける。いつも緊張感がある雰囲気にしておかないと。それがこの体育館にあるのでは」と西村監督。一度、卓球台のネットを挟んだら小学生や監督、コーチも関係ない。相手にどう勝つかをひたすら考える。そこに勝負の厳しさがある。松岡優香主将(4年、慶誠)ら9人の部員たちはそういう雰囲気を自ら作りながら日々、鍛えている。

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