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特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

履正社・内倉一冴 悲願の甲子園初優勝へ、屈指の好投手を攻略した一振り

19年甲子園決勝、2回表に内倉は奥川からライト前ヒットを放つ(撮影・朝日新聞社)

最強打線vs.最強投手。

2019年夏の甲子園決勝は、強力打線を武器にプロ注目投手を次々と攻略して勝ち上がってきた履正社(大阪)と、大会ナンバーワン投手の奥川恭伸(現・ヤクルト)を擁する星稜(石川)との対戦となった。この両校は選抜初戦でも対戦しておりその際は3-0で星稜が勝利、内容的にも奥川が17個の三振を奪う完勝だった。

大一番でのリベンジに燃える履正社ナインは三回に4番の井上広大(現・阪神)が3点本塁打を放ち、試合の主導権を握る。七回に同点とされるが直後の八回に2点の勝ち越しに成功、このリードを守り切り初めて全国の頂点に立った。試合後の岡田龍生監督は八回の先頭打者だった内倉一冴(かずさ、現・龍谷大2年)が放った二塁打を勝因の1つに挙げた。決勝点につながる一打を放った5番打者は、選抜では奥川に3打数3三振を喫していたがこの日は複数安打を記録。甲子園に確かな成長の跡を刻んだ。

奥川への雪辱を胸に、最強打線が完成

内倉が名門・履正社でベンチ入りしたのは1年秋。大阪大会は20、近畿大会では17の背番号をつけた。しかし2年夏に調子を崩し最上級生となった秋はベンチを外れてしまう。レギュラーの座をつかんで臨んだ最初の大会が選抜だった。初の大舞台で対戦したのは世代屈指の好投手・奥川、打席で見たその投球は衝撃的なものだった。

「今まで対戦した中で断トツの1位でした。まっすぐも変化球も見たことないような球で、コントロールも良くて格が違うなと。何を狙っても前に飛ばない。バットには当たるんですけど、当てるのが精一杯というピッチャーで驚いたの覚えてます」

19年春のセンバツでは1回戦で星稜に敗れた。星稜・奥川の圧倒的な投球が光った

激戦区の大阪では公立校でも140km/hオーバーの投手が毎年現れ、強豪校のエースともなれば全国でもトップクラスの実力を持つ。その環境に身を置いている強打者にとっても奥川の球は別格だった。高校生の大会に1人だけプロが混じっている、そう思わせるには十分過ぎるほどの圧倒的なパフォーマンス。ただ同世代にいる以上、この投手を攻略しないと日本一は達成できない。そこで150km/hのストレートに振り負けないよう、普段の練習ではマシンをその上の160km/hに設定。奥川基準のスイングを繰り返したことで140km/hの球には苦労せず対応できる打線が完成した。

そして迎えた最後の夏、履正社と星稜は順調に勝ち上がり、甲子園の決勝という最高の舞台での再戦が実現した。「大阪大会から1試合ずつ成長できました。負けたら終わりなので、みんなすごい気持ちで来るんでそれに負けないように。僕達は選抜の借りを返すために絶対に甲子園行って星稜とやるというのが夢だったので、ドラマかなと思いました」

圧倒的アウェーの中、流れを引き寄せる一打

待ち焦がれたリベンジマッチは、井上の一発により履正社が優位に進める。しかしリードこそしていたものの強力打線が奥川に封じられ、なかなか追加点が奪えない。七回には星稜の反撃により試合を振り出しに戻されてしまう。ヒーローのいるチームが終盤に追いつき、なおもチャンスが続く。甲子園の雰囲気は完全に相手に傾いていた。それでもアウェーに近いムードの中、履正社は勝ち越しを許さず踏ん張ると、内倉の一振りが再び流れを引き寄せた。

「同点になってやばいなと思ったんですけど、2年生の岩崎(峻典・東洋大)が逆転されずに抑えてくれて、同点はホンマに大きい。次の回、先頭バッターというのはわかっていたので、奥川君も絶対力入れてくるのはわかってたんですけど、僕も負けずに塁に出たら絶対変わると思ってました。追い込まれたんですけど、食らいついて二塁打で出塁できて嬉しかったです」

八回表、無死走者なし。試合の行方を大きく左右したこの打席で内倉の気持ちは熱くたぎっていたが、頭の中は冷静だった。奥川攻略のプランはストレートはファウルにし、変化球を前に飛ばすこと。2球で追い込まれたが、ストレートは張ってなくてもなんとかファウルにできる。もし相手にもう一段階上のギアがあり空振りしたらそれはしょうがない。

割り切りと対応力で、追い込まれてから5球連続ファウルで粘り、ついに選抜時点では「絶対打てない」と思っていたスライダーを弾き返す。気持ちの込もった打球は右中間を真っ二つに割り、外野の芝生の上で弾んだ。

この一打をきっかけに2点を勝ち越すと粘る星稜を振り切り、履正社は初めて全国の頂点に立った。選抜で3安打17三振無得点だった打線は11安打で5得点、見事なリベンジを果たした。

優勝を決め、喜びを爆発させる選手たち(撮影・朝日新聞社)

「甲子園は人間的にも成長できて、仲間との絆も一丸となれた特別な場所でした。野球やってて良かったなと思いましたし、それまで感謝の気持ちを言っても心から思えてなかったんですけど、ああいう舞台でやれて自分の力だけでは絶対無理だったので、親に感謝できて人間的にも成長できたと思います」

甲子園で成長し、大学でさらに上を目指す

全国制覇の立役者となった内倉は、進学した龍谷大でも1年時から主軸を任され、卒業後に上のレベルでも活躍できる選手を目指し練習に励んでいる。目標としているのは個人タイトルの獲得。それも複数選手が受賞するベストナインではなく、首位打者か最優秀選手賞といったより価値の高いタイトルだ。

龍谷大が所属する関西六大学野球連盟には大阪商業大が王者として君臨しており、全国大会出場のためにはこの大きな壁を越えなければならない。この状況は大阪桐蔭という強大なライバルがいた高校時代とも重なる。当時の絶対的な目標だった甲子園を通じて成長できただけに、昨年の選手権大会中止の決定には心を痛めた。「高校野球と言ったら甲子園なので、中止と聞いた時はショックでしたし、かわいそうやなという気持ちが強かったです」

好きな言葉は「努力に勝る天才なし」大学でも日本一を目指し練習に励む(撮影・小中翔太)

悔しさも栄光も味わい、その偉大さを知っているからこそ、甲子園の舞台に立つ後輩たちへのメッセージにも力が込もる。「最後まで諦めず、人間的にも成長できる場所ですし、最後の夏というのは今のメンバーでやるのも最後ですし、最高に楽しんでほしいです。1打席1打席、1球1球悔いのないようにやってほしいです」

球児を一回りも二回りも成長させてくれる場所が甲子園。例年と変わらない熱戦に先輩たちも期待している。

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