野球

京都産業大学を20年指揮した勝村法彦監督が有終の美、北山主将ら白星で送り出す

優秀の美を飾った京都産業大学の勝村法彦監督(中央、撮影・全て沢井史)

涙なしでは締めくくることができないラストゲームだった。
関西六大学野球秋季リーグ戦の最終日(10月19日)。京都産業大学で2001年から指揮を執り、チームを9度のリーグ優勝に導いた勝村法彦監督(64)がこのリーグ戦を最後に退任することを発表しており、大阪学院大学戦が最後の采配となった。

「4年生の意地みたかった」の期待に応える

「最後は何とか4連勝をして終わろうと言ってきました。特に4年生の意地を見たかったので、今日はその通り、(4年生が)よく打ってくれました。ここに来てけが人が出てベンチを外れる選手もいましたが、出られる選手が最後に力を出し切ってくれました」

試合は序盤から劣勢だった。二回に先制を許し、五回を終えてヒットはわずかに2本。序盤は攻撃の糸口すら掴(つか)めなかったが、六回に5番の小林勇登(3年、愛知)の適時打などで同点に追いつくと、七回に酒井航(4年、桜宮)が勝ち越し2点三塁打を放った。酒井は桜宮高2年秋に大阪府選抜チームのメンバーに選出され、当時、履正社の注目打者だった安田尚憲(ロッテ)らと台湾遠征を経験したことがある。チームの上位打線を長らく担ってきた酒井に、勝村監督は「ずっとフライを打ち上げていたので『しっかりたたかんかい』って言うてたんですよ」と苦笑い。そんな恩師の言葉に気持ちを奮い立たせた酒井は「4年生が2人、塁にいたので(徳永大紀=紀央館、山本貴也=鳥取城北)自分がここで決めようと思いました」と、殊勲打を振り返った。

先発の荒木智也(3年、宮津)が六回途中までに2点を失ったが、長谷川希望(4年、藤蔭)、山口直哉(3年、済美)、藤川紘斗(2年、京都すばる)とつなぎ、終盤は相手の反撃を1点に抑えた。

苦しかった最後の2年

夏休みは新型コロナウイルス感染拡大の影響で学校の規定から練習が全くできず、オープン戦もほとんどできなかった。グラウンドやトレーニングなど、外での個人練習すらできず、部屋にこもってストレッチをするなど可能な練習は限られていた。

その状況は9月の秋季リーグ戦開幕直前まで続いた。実戦感覚すら戻すことができないまま準備不足の状態でリーグ戦が開幕。連係プレーもままならず、守備のミスなどで試合を落とすことがあり、苦しい状況が続いた。それでもリーグ戦で試合を重ねながら実戦感覚を養い、チームは3位でフィニッシュ。有終の美でこの秋を終えた。

試合後、先日のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから8位指名を受け、“最後の教え子”でもあるエースの北山亘基(こうき、4年、京都成章)からウィニングボールを手渡され、対戦相手の大院大の米澤秀典監督から花束を渡されると、勝村監督は感極まり、思わず涙ぐんだ。

京産大の北山亘基、指名漏れをバネに関西六大学で一回り成長
試合後、大阪学院大学の米澤秀典監督から花束を受け取った

「監督さんからは、目標を達成するには当たり前のことをいかにコツコツできるかということを教えていただきました。この4年間でやるべきことをやることはできたと思います」と、北山は恩師に感謝の言葉を述べた。

試合後、涙を拭きながら勝村監督はこう口にした。
「母校で初めにコーチをやって、監督をさせてもらえるのは幸せでした。コーチ時代も含めて、22年間、指導できたのは多くの人に支えてもらったお陰です。ただ……最後の2年間は(新型コロナウイルス感染拡大の影響で)練習すらまともにできず、苦しかったですね。練習をしないと勝てない、ということを再確認というか、教えてもらいました」

試合後、選手らにあいさつする勝村監督(60)

オリックス平野ら巣立つ

いつも低姿勢で、物腰の柔らかさがにじみ出ていた勝村監督。選手に対しても、同じ目線で指導する姿が目についた。不測の事態に遭遇しても、声を荒らげることはほとんどない。球場で記者と顔を合わせても、いつも気づかいを忘れない指導者だった。そんな人柄を表すように、球場を出た恩師を教え子たちが温かい拍手で迎えた。京産大の主将でもある北山ら4年生から記念品を渡され、平野佳寿(オリックス)投手らOBからは大きな花も届けられていた。

「全国大会では1度しか勝てなかった(2005年全日本大学野球選手権で1回戦突破)のが心残りですね。私も野球部に少し関わっていくかと思いますが、今後のことはこれからゆっくり考えていきます。(後任監督には)全国で勝てるチームにしてもらいたいです」。

来年は新体制のもと、経験豊富な右腕・荒木、この日勝ち投手となった山口らを軸に、巻き返しを誓う。

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