ラグビー

法政大学のロック竹部力、創部100年へ夢はでっかく「親子三代大学日本一」

2年生になり法政大学FWの核で動く竹部力(撮影・斉藤健仁)

ラグビーの全国大学選手権優勝3度、関東大学リーグ戦優勝13度を誇る名門の法政大学。近年、やや低迷が続く中で、昨季、ルーキーイヤーからFB(フルバック)石岡玲英(2年、 御所実)とともに全試合先発で出場を果たしているのがLO(ロック)竹部力(2年、大分舞鶴)だ。

祖父は初代、父は第29回大会の王者

竹部の祖父・肇さん(リコーOB)、父・太朗さん(九州電力OB)が法大ラグビー部のOBであり、FWの選手としてそれぞれ1964年度、92年度の大学選手権で優勝を経験している。竹部が4年時は創部100年目にもあたり、「いつもプレッシャーになっていますね」と正直に吐露するが、オレンジと紺の「橙青」ジャージーを着て、親子三代にわたる日本一を目指している。

父が出場した第29回全国大学選手権決勝。法大は劇的なトライで早大を下し25季ぶりの王座(撮影・朝日新聞社)

2年になり存在感増す

10月16日に行われた中央大学との一戦でもLOとして竹部は先発で出場。スクラムやモールで力強いプレーをするだけでなく、身長185cm、体重113kgの巨漢を生かしたボールキャリー、タックル、さらにこぼれ球に体を投げ出すなど体を張ったプレーも見せて40-13の勝利に貢献。ルーキーイヤーで出場していた昨季より、明らかに存在感は増していた。

本人もそれを自覚しており、「昨季の4年生、特に同じ部屋だった山下憲太(静岡ブルーレヴズFW)さんが凄かった分、頼り過ぎていた部分が多かった。今季は少しでも自分がチームを引っ張っていけるようになりたいなと思い、そこは少し変われたかな」と照れくさそうに話した。

巨漢はモールの推進役としても欠かせない(撮影・斉藤健仁)

FWとしてフィジカル強化のウェートトレーニングに精を出すことだけでなく、プレー面に関して竹部は「当たったときに少しずらしたり、接点での2人目の速さを意識したりしています」。またタックル回数も、昨季より倍増している試合もあるといい「試合中だけでなく、練習中から周りの選手とコミュニケーションをよく取っている」ことがパフォーマンス向上につながっている。

かしいヤングから大分舞鶴へ

竹部は九州電力でプレーしていた父が福岡・かしいヤングラガーズでコーチをしていたこともあり、5歳からラグビーを始めた。早稲田大学HO(フッカー)川﨑太雅、帝京大学WTB(ウィング)志氣陸王、立命館大学SO(スタンドオフ)森駿太(いずれも2年、東福岡)らは同じラグビースクールで一緒にプレーしていた幼なじみだ。

中学時代に身長180cm、体重100kgを超えるなど一気に体が大きくなった竹部は3人と同じ強豪の東福岡へ進むことも考えた。だが両親が大分舞鶴出身で、両親の祖父母も大分に住んでおり、「文武両道がしたかった」(竹部)ことが決め手となって、寮生活をしながら名門の大分舞鶴に進学した。
竹部が高校当時、朝6時半から始まる「0時限目の授業」があり、その前に朝練習があったため、朝4時半起きの毎日だった。想像以上に勉強とラグビーの両立が大変で、特に高校1年生の時は慣れていないこともあり、「いまだに、このときを超えるつらさはないですね」と苦笑する。

1年生の時から「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場したが控えからの出場が多く、2年生になると主にLOの主軸としてプレーした。ただこの年は花園の2回戦で桐蔭学園(神奈川)に7-67で大敗。さらに3年生の時は、大分県予選の決勝で大分東明に14-17で敗れ、全国大会の連続出場が「33」でストップした。

大分舞鶴高3年の時は県予選決勝で大分東明(青)に敗れ、全国大会連続出場が途切れた(撮影・朝日新聞社)

「相手が喜んでいる姿を目の前で見たという悔しさはいまだに忘れていません。でも『なんでもっと努力しなかったのだろう』など負けて気づいたことも多かった。いい経験でしたし、今でもラグビーに対するモチベーションの一つになっています」(竹部)

「相当喜んだと思います」悩んだ末に法大へ

大学を決める際、祖父、父が法大ラグビー部出身だった竹部は、周りからも「法政大に行くんだろ」とよく言われていたことが嫌で、当初は法大に進学するつもりはなかった。尊敬していた大分舞鶴の落合佑輔コーチ(当時/元キヤノン)の出身校だった立命館大学を希望していたという。

父親に相談すると「絶対、法政大に行け!というと思ったら、父は『お前の自由にしろ』と、僕の意見を尊重してくれて嬉(うれ)しかったですね!」と振り返る。

もう一度、考え直した竹部は、祖父の家に法大のジャージーが飾ってあったこと、小さい頃から法大のOBに良くしてもらっていたこと、小学校の作文にも「将来はおじいちゃんやお父さんと同じ法政大に行きたい」と書いていたことなどいろいろを思い出したという。

運動量も増え、ボール近くに必ず顔を出す(撮影・斉藤健仁)

そこで竹部は法大に進学する覚悟を決める。「親子三代での日本一にチャレンジするというでっかい夢を選びました。後悔しないように法政大にスポーツ推薦での進学を決めました。父や祖父には改めて聞いいたことはないがですが、相当喜んだと思いますね!」

大学進学後も高校時代の悔しさ、そして日本一に向けて努力する姿勢がコーチ陣にも評価されて1年生から試合で起用され続けている。「本当に運がいいです。いい経験をさせてもらっています!」。竹部が4年時に創部100年を迎えるにあたり「やっぱり法政大には縁があるんだと思います。何か持っているかもしれませんね!」と声を弾ませた。

体格生かしプロップ転向も

大学日本一への挑戦権を手にするには、法大は現在の順位である3位以上をキープしてまずは全国大学選手権に出場しないと始まらない。一人ひとりのコンタクト力、チームとして規律を守り、反則数を減らすことに主眼を置いて練習しているという。竹部も「最低でも大東文化大、日本大に勝利しないといけない」と先を見据えた。

コーチ陣に「将来は絶対、(新リーグに)リーグワンにいける」と太鼓判を押されている竹部は、憧れている選手は「自分から激しいプレーをしてチームを引っ張っている」という日本代表No.8姫野和樹(トヨタ)だ。大学卒業業後は「プロ選手となって日本代表になりたい!」という目標を掲げる。

次のステップにはプロやプロップ転向がある(撮影・斉藤健仁)

現在はLOとしてプレーしているが、将来を見越してPR(プロップ)に転向することを決めており、練習では最前列でスクラムを組むこともあるという。好きな言葉は「一歩前に」だ。「母が好きだった言葉ですが、試合中でも練習中でも、ラグビーをしているときだけでなく、一歩前に出ることができる人間はやっぱり強い。私生活でも一歩前に立てる人間になりたいです!」と語気を強めた。

法大は10月30日の大東文化大戦に続いて、11月には昨季の上位チームの東海大、流通経済大、日本大との対戦が控える。竹部は親子三代での大学日本一にトライするため、中軸の一人として法大FWを引っ張っていく。

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