陸上・駅伝

特集:第98回箱根駅伝

立教大・斎藤俊輔「学生生活を潰された」と憤った日から3年、箱根駅伝でラストランを

斎藤は最後の箱根駅伝予選会でチームトップの19位に入り、力を示した(撮影・松永早弥香)

第98回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会

10月23日@陸上自衛隊立川駐屯地周回コース(21.0975km)

16位 立教大学   10時間53分07秒
斎藤俊輔 個人19位   1時間03分00秒

立教大学の斎藤俊輔(4年、秦野)は過去2回、箱根駅伝予選会に出走し、あと数秒というところで関東学生連合チーム入りを逃してきた。陸上生活10年間の集大成として挑んだ今年の箱根駅伝予選会で立教大は16位だったが、斎藤自身は19位(日本人11位)という好成績で関東学連入りは濃厚に。結果にこだわり続けたエース・斎藤の今までの競技人生を振り返る。

ついに開けた箱根路への道

最後の箱根駅伝予選会を終えた顔は晴れやかだった。1時間3分00でチームトップの19位。立教大記録も更新し、関東学連候補2番手につけた。大学で陸上をする大きなモチベーションとなっていたのが箱根駅伝。憧れの場所への道にようやく光が差し込んだ。

得意種目は1500mで長い距離には苦手意識があった。不安要素を解消するために、練習では常に距離を積むことを意識。その成果は10km過ぎに発揮された。前半を攻めるチームの作戦には従わず、自分のペースを守り続けていたエースがその頭角を現した。「一定のペースで走ることができれば、必然的に日本人の先頭集団へ追いつけると思った」。10年間の陸上生活で身につけた「展開を読む力」で粘りの走りを貫いた。

斎藤(中央)は日本人の先頭集団の中でレースを進めた(撮影・松永早弥香)

自己ベストを更新する記録にも、完全に満足はしていない。「最後の直線で風が強くても押し切るために、もう一段階切り替えが必要だった」と新たな課題点を指摘。タイムよりも順位、速さよりも強さを求めるからこそ、「夢の舞台」へ向け貪欲な姿勢を崩さなかった。

中学時代に1500mで全国へ

陸上の世界に足を踏み込んだのは中学生の時。顧問の先生の雰囲気に惹(ひ)かれ、周りに比べて長距離を走る力があったこともあり、陸上部に入ることを決断した。強豪校ではなかった中学の練習はどちらかというと緩め。それでも1500mに適性を見出し、全国の舞台も経験した。「メリハリをつけることを中学の時から考え始めた」。力を入れる場面と抜く場面を切り替える今の「0or100」の練習スタイルは、この時に磨かれた。

中学と対照的だったのが高校での練習。伝統の秦野高校(神奈川)でとにかく練習量を重ね、規則の徹底した生活を送った。丸刈り頭で常にジャージは上下着用。厳しい環境で健脚を磨いたが、つらい日々に「あまりいい思い出はない」と語る。きつい練習への抵抗意識は高校の時に生まれた。しかし同時に身につけたのが、部活動と学業を両立すること。勉強にもしっかりと取り組みたいという思いから、箱根駅伝常連校からの誘いを断り、立教大学へ進学した。

箱根駅伝プロジェクトに「うわマジか」

「箱根を目指して毎日100%陸上だけをやる環境は嫌だと思った」。大学生活を充実させるためには、様々なことを両立する必要があると考えていた。体育会の陸上部に入った理由も、他にやりたいことがなくて緩そうだったから。4年後にエースとしての風格を漂わせるとは思えないほど、消極的なスタートだった。

斎藤(379番)は「立教箱根駅伝2024」に最も反発した選手だった(撮影・藤井みさ)

だからこそ、斎藤が1年生だった2018年11月に「立教箱根駅伝2024」のプロジェクトが発足した時は、怒りを抑えられなかったと言う。「きつい練習は、ただただしんどいなと思いました。立教に頑張って入ったのは何だったんだろうと学生生活を潰された気になりました」。当時8人いた選手の中でも長距離を続けることに一番反対していた斎藤。それでも残ったのは仲間の声かけがあったからだった。大学からの帰り道の東武東上線の電車内。同期の1人が言った「一応やってみるか」という当たり障りのない言葉が心に響いた。

とりあえずで始めた箱根へ向けた陸上生活。しかしここまで続けることができたのは、2つの理由があったからだ。1つ目は上野裕一郎監督の人柄。物腰柔らかに全員とコミュニケーションをとる姿に、今までの監督像とのギャップを感じた。「楽しそうに指導をしていて、それは自分にとってすごくプラスの印象でした」。プロジェクトへの反感を拭いきれていない部員への監督なりの配慮を感じ、期待に応えようと思った。

2つ目の理由は結果が伴ったから。初めて上野監督に引っ張ってもらって走った2年生の国士館大学競技会。当時の5000mの記録を20秒以上更新し、自他ともに認める飛躍のきっかけとなった。自己ベストを出したことでもう少し走れるという自信がつき、未来の自分に賭けることにした。

結果にこだわるエースとしての姿勢

「正直今でも陸上は嫌いですし、プロジェクトに取り組んで良かったとは一概には言えません」。自分にとっても同期にとっても残るという選択肢がベストだったかは分からないと言う斎藤。練習のしんどさや長い移動距離から陸上をやめたいと何度も思うこともあった。それでも続けてきて良かったと思えるようになったのは、憧れの箱根駅伝を走れるかもしれないという結果が伴ったから。「自分は今まで態度というよりかは結果で示して後輩を引っ張ってきました」

普段の生活ではわりかしネガティブな発言も多いと言う。その一方でエースとしての役割をしっかりと果たすことにより、結果を出すために何が必要なのかという新しい視点をチームに提供してきた。

ネガティブな発言も少なくない斎藤だが、結果を出すため、日々考えて練習に取り組んできた(撮影・藤井みさ)

そんな負けず嫌いな姿勢は私生活にも表れている。4年生になってからは特に、就職活動との両立を意識。「学業も就職活動もどんな場面でも人と比べられてしまう。自分のプライドというか、他人に見せても誇れる結果を出すために競争心を持つことは大事だと思っています」。妥協せずに自分以外の誰かと競争して勝ちをつかむという信念は、大きな原動力となっていた。

後悔なく出走するために

様々な決断の場面を経てようやく得ることができた憧れへの道。大学で陸上を終わらせるという選択をした斎藤にとって、年明けの箱根駅伝は特別だった。「地元が平塚なので、ずっと走ってみたいなとは思っていました」。10年間の陸上生活。雲の上の存在だと思っていた箱根駅伝の舞台はもう目の前だ。「走ることに大きな意味があると思うので、準備は抜かりなく出走にこぎつけたいなと思います」。今までの自分に後悔を残さないためにも、最後まで進化し続けることを誓った。

雲の上の存在だった箱根駅伝で、斎藤(中央)は競技人生の全てを出し切る(撮影・松永早弥香)

陸上を始めた中学からほとんど止まることなく記録を更新し続けてきた斎藤。「結果を出すという姿勢に対しては、今まで頑張ってきたなと自分でもほめてあげたいです」。口から出た自分への感謝の言葉には、長い時間をかけて築きあげた確かな自信があふれていた。

2022年新春。98回目を迎えるその場所で、エースが「立教大学」の名を轟(とどろ)かせるかせることは間違いない。

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