拓殖大・不破聖衣来 女子長距離界の超新星、大学1年目の快進撃と見据える世界の舞台
期待のスーパールーキーから大学女子長距離界のエースへ――。拓殖大学の不破聖衣来(ふわ・せいら、1年、健大高崎)は、今年度の主要大会で数々のタイトルを手中に収め、駅伝でも強烈なインパクトを残した。高校時代はけがに苦しんだ時期もあったが、中学、高校といずれも日本一を経験。大学でも1年目から早くも「学生日本一」に輝いた。自身のこれまでと、世界を見据えて始まった大学生活、今後の目標を語ってもらった。
圧巻だった全日本大学女子駅伝の快走
今季のトラックシーズンの活躍で、陸上界ではすでに知られた存在だった。しかし、コアなファンだけでなく、一般の人々の間にも不破聖衣来の名が轟いたのは、全国ネットのテレビで生中継された先月31日の全日本大学女子駅伝だったろう。
大会5連覇を果たした名城大学の強さが際立ったレースで、エース区間の5区に抜擢(ばってき)された不破は、異次元の“爆走”を披露した。それまで経験した最も長いレースは6km。全日本5区の9.2kmは未知の距離だったが、「前にいる選手は全員抜くという気持ちで走った」という言葉通り、前を走る各校の主力級を次々と捉えていった。順位を9位から3位に押し上げ、打ち立てた28分00秒は、従来の区間記録(29分14秒)を1分14秒も更新する圧巻の区間新。10000mに換算すれば、日本記録(30分20秒44)にも匹敵する驚異的なタイムだ。出場4回目の拓大を3位に大躍進させたレースの反響は想像以上だったという。
「お祝いのメッセージをたくさんいただてうれしかったですし、キャンパス内でも一般学生の人たちから『テレビで見ました』と声をかけてもらって、駅伝ってすごいなと感じました」
それから2週間後、群馬県チームの一員として東日本女子駅伝に出場した不破は、アンカーの10km区間で再び力強い走りを披露する。「全日本の疲労などを考慮してそこまで追い込んだ練習はせずに、調整して本番を迎えました」というレースで、自身は「初めからガンガンは追い過ぎずに徐々に詰めていこう」と考えていた。しかし、トップと38秒差の3位で襷(たすき)を受けると、中間点あたりですでに首位に浮上。終盤にかけて猛追してきた名城大主将でもある長野の和田有菜(4年、長野東)の存在は、沿道からの「後ろが5秒差まで来ている」という声で気づき、そこからスパートを決めて逃げ切った。
群馬を7年ぶり4度目の頂点に導いた不破は、「(自身は東日本女子で)入賞したことはありましたが、優勝は初めて。7年前、3つ上の姉(亜莉珠、センコー)が活躍して優勝したのを見ていて、それに憧れて目指した大会でもあったので、自分がアンカーで1位でゴールできたのは余計にうれしかったです」と、喜びを静かに噛(か)みしめていた。
全日本では、大東文化大学の鈴木優花(4年、大曲)に59秒、10000mの学生記録(31分22秒34)保持者の小林成美(名城大3年、長野東)には1分28秒の大差をつけて区間賞に輝いた。東日本でも、最後は和田に競り勝って区間賞を獲得。2つのレースで、大学女子長距離界を代表する選手たちを次々と破った不破のインパクトは、とてつもなく大きかった。
全国区で活躍した中学、高校時代
幼い頃から「体を動かすのが好きだった」という不破は、小学生の頃から水泳、ミニバスケットボールといったスポーツに親しんできた。陸上は「祖父と毎朝走っていた姉の影響を受け、学校の持久走の練習としても走るようになった」が、本格的には中学生になってから取り組み始めた。
中学時代の経歴を眺めれば、全中1500mやジュニア五輪A3000m優勝といった輝かしい実績が並ぶ。なかでも不破が印象に残っている出来事は2つ。2年生の時のジュニア五輪B1500m優勝と、3年生の時の東日本女子駅伝だ。「ジュニアオリンピックも姉が出ていた憧れの舞台で、まさか優勝できるとは思っていなかったし、初めての全国優勝だったので、自分の陸上人生の分岐点になりました。東日本は姉と初めて襷をつなげたので、一番うれしい記憶として残っています」
健大高崎高校(群馬)に進んでからも、不破は1年目からインターハイや国体、ジュニア五輪に出場するなど全国区で活躍する。しかし、2年生になってすぐにシンスプリントを発症し、それが8月上旬まで長引いたことから、トラックシーズンは全く走れず、高校最後のシーズンはコロナ禍で主要大会は軒並み中止になった。「活躍できる場面が全然なくて、このまま高校が終わっちゃうのかな……」。そう思っていた12月に、5000mでその年の高校ランキング日本人トップとなる15分37秒44をマーク。さらに年が明けて今年2月には、U20日本選手権クロスカントリー(6km)を制し、高校でも日本一のタイトルを手にしたのだった。
高校卒業後の進路は、実業団に進むか、大学に進学するかで悩んでいた。最終的に拓大に決めた理由はいくつかあるが、一番の決め手は、拓大女子陸上競技部・五十嵐利治監督の熱意と、「日本一ではなく、もっと先を見据えて、世界で戦える選手にしたい。一緒に世界を目指してがんばろう」という言葉だった。
五十嵐監督は「2016年に発足してからこのチームを任されていますが、人生かけて獲(と)りたいと思った選手です。彼女が高校1年生の時から目をつけていて、実業団に行くなら仕方ないけれど、大学に進むなら必ず獲りたいと。思いが通じたのかはわかりませんが、ウチに来てくれたのは大きいです」と話す。不破自身も「4年間の目標がしっかり見えました。チーム成績がどんどん上がっている拓殖大学に自分が入って、さらにレベルが上がればもっと陸上を楽しめる」と考え、この春、大学という新たなステージに一歩を踏み出した。
拓大1年目で5000mの主要タイトルを総なめに
新生活が始まった3月から4月前半にかけて、貧血で走れない時期もあったが、食事などで克服した。不破は初めての寮生活で、「食事が出ない昼食や日曜日には自炊する機会も増えました。最初は大変でしたが、今はだいぶ慣れてきて楽しくやっています」と話す。
5000mを主戦場とした不破の快進撃は5月から始まった。23日の関東インカレを制すと、2週間後の日本学生個人選手権は名城大の小林に僅差で敗れたものの、15分34秒12で2位。「そこで悔しさを感じて、もっと力をつけたいと気持ちが入った」と、競技に対する貪欲さがより一層高まった。
日々のトレーニングは、「高校までと大きな変化は感じていない」と不破は語るが、そこには選手一人ひとりに寄り添う、五十嵐監督の「選手ファースト」とも言える育成方針が見て取れる。
「入学当初は持ちタイムを基準に本数設定や距離設定をしていましたが、貧血も重なって本来のパフォーマンスを発揮できていなかった。そこで中学時代からの練習日誌をすべて借りて、大会前や強化期間にはどんな練習をしていたのか、好結果を出した時はどういう流れでレースに持っていったのかなどをすべてチェックしました。彼女にとってベストな練習が少しずつわかってきて、6月あたりからの結果につながっていった印象です」
6月27日のU20日本選手権を15分26分09秒で快勝し、7月17日のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会では、学生歴代3位、U20日本歴代6位の15分20秒68をマーク。9月の日本インカレも制して、1年目で早くも「学生日本一」のタイトルを手にする。翌週の全日本大学女子駅伝関東学連選考会では、快走でチームの窮地を救い、駅伝シーズンの大活躍へとつなげていった。
「自分の走りをしてチームの目標順位に貢献したい」と話す来月30日の全日本大学女子選抜駅伝(富士山女子駅伝)が終われば、2022年は10000mで世界選手権出場という青写真を不破は描いている。大学4年間での最大のターゲットは、24年のパリ五輪10000m出場だ。日本代表に選ばれていた今年8月のU20世界選手権は、選手団の派遣が中止となってしまったが、そのことで「今まで以上に世界に出たい思いが強くなりました」と力強く言い切る。
不破はレース中、時計をつけない。「1km何分でというプランは一応ありますが、実際のレースではいろいろな状況があって、ロボットのようにきっちりとはいけません。1秒の誤差を気にしてリズムが狂ってしまうよりは、自分の感覚で走った方が走りやすい」からだ。自分より前に選手がいれば、その背中を追う。自分が先頭ならばゴールを見据えて突き進む。後ろは振り向かない。走りのスタイルそのままに、不破はこれからも前だけを見ながら大きく羽ばたく。