明治大・佐久間秀徳、河村一輝と館澤亨次の背中を追って 中距離ランナーが箱根駅伝へ
明治大学の佐久間秀徳(ひでのり、4年、國學院久我山)は7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会1500mで3分39秒91と日本学生歴代9位の記録をマークした後、中距離から長距離に転向。箱根駅伝を目指し、夏合宿に取り組んだ。4年目にしての決断となったが、佐久間自身は明治大に入学する前から箱根駅伝への憧れがあったという。
河村を見て「そんなに大きな壁じゃないんだ」
野球少年だった佐久間は中学校でも野球を続ける予定だったが、興味本位で仮入部した陸上部にそのまま入部。國學院久我山高校(東京)では2年生と3年生の時に全国高校駅伝(都大路)に出場している。明治大に進んだ時にも胸にあったのは駅伝への思い。「小学生の時に柏原さん(竜二、当時・東洋大)が箱根駅伝を走っているのを見て、純粋にかっこいいなと思ったんです」。しかし思うように結果を残せず、駅伝への思いを口に出すのもためらわれたが、冬季練習は長距離とともに練習をこなしながらチャンスを待った。
そんな2年目に、同じく1500mを主戦場とする2つ上の先輩、河村一輝(現・トーエネック)が箱根駅伝を走った。河村は3年生の時に全日本大学駅伝を走り、4年生では全日本大学駅伝と箱根駅伝のメンバーに選ばれた。河村の同学年には主将でエースを担った阿部弘輝(現・住友電工)がおり、最後の箱根駅伝で阿部が7区区間新記録をマーク。アンカーの河村は6位でゴールし、明治大は5年ぶりにシード権をつかんだ。箱根路を走る河村に、佐久間は自分の姿を重ねていた。「1500mから長距離への転向はそんなに大きな壁じゃないんだ」。河村がどれだけの努力をしてきたのかも知った上で、佐久間は改めて箱根駅伝への思いを強くしたという。
昨年はコロナ禍で様々な大会が中止・延期となり、トラックシーズンは春から秋にずれこんだ。「これだと箱根に間に合わないなと思って断念したんです」と佐久間。9月の日本インカレ1500mでは3分50秒5で5位入賞、初出場となった10月の日本選手権1500mでは3分42秒57の自己ベストで7位入賞を果たし、存在感を示した。
今シーズンはけがで出遅れ、5月の関東インカレには間に合わなかったが、6月の日本学生個人選手権では1500mで3分51秒89をマークして初優勝。自身2度目となった同月の日本選手権では明治大新記録を目指していたが、3分53秒05で予選敗退に終わった。しかしその約2週間後にあった7月10日のホクレン・ディスタンスチャレンジ網走大会1500mで3分41秒62をマークし、明治大新記録を樹立。翌週の17日には千歳大会1500mで3分39秒91で日本学生歴代9位の記録をたたき出し、再び明治大記録を塗り替えた。また同じレースには河村も出走し、3分35秒42の日本新記録をマーク。改めて先輩の偉大さを感じた。
初のハーフマラソンで学内トップ
ホクレンを終えてからほどなくして、佐久間は山本佑樹監督に長距離への転向を願い出た。9月には学生日本一を決する日本インカレがある。優勝できるだけの力をもっている佐久間に山本監督も最初は悩んだが、佐久間からの「夏の走り込みが中途半端になるので、インカレは後輩に譲って走り込みます」という言葉で覚悟のほどを知ったという。
夏の間に新型コロナウイルスのワクチンを打った関係で走れない時期もあったが、8月も9月もともに880km以上を走り込み、佐久間自身も手応えを実感。「僕的には『1500mが走れるから長距離もいけるだろう』という甘い考えはなくて、初心に戻ってフレッシュな気持ちで挑戦しています」と佐久間。その姿に、他の選手たちは「中距離ランナーにとられるわけにはいかない」と、闘志を燃やしていると主将の鈴木聖人(4年、水城)は言う。
狙っていた10月23日の箱根駅伝予選会メンバー(12人)には選ばれなかったが、11月14日の世田谷246ハーフマラソンでは初のハーフマラソンながら1時間04分01秒で学内トップの15位につけた。11月23日に初開催となった10000mで競うMARCH対抗戦では、28分台を最低限として、学内でどれだけ上の順位でゴールできるかに意識を向けていた。
タイム別に設けられた全5組の中、佐久間は申請記録が28分55秒~29分30秒の4組目に出走。4000mほどで集団から離れてしまったが、大きく崩れることなく自分のペースで押し切り、29分15秒39の自己ベストをマーク。しかし「先週ハーフを走って、その疲労があるなというのが正直なところ。ただ僕の全力の実力でも、学内のトップの選手たちには及ばなかったのかなという印象です」と悔しさをにじませた。だからこそここからは、できること全てをやり切りたい。
館澤が走ったあの6区を
箱根駅伝まであと1カ月となった。佐久間が思い描いているのは6区。その6区の区間記録を持っているのは、同じく中距離ランナーの館澤亨次(東海大→DeNAアスレティックスエリート)だ。
館澤とは同じ神奈川県出身ということもあって交流が深く、6区というのも、館澤から聞く話からイメージを膨らませたものかもしれないと佐久間は言う。「でも聞いてて思ったのが、あまり参考にならないなって……。『5km坂道を全力で上って、全力で下って、最後3kmを全力で走ればいけるよ』って、結局全部全力じゃないかと思いました(笑)」。実際、館澤の6区区間新記録は、長く続いたけがの痛みがまだ引かない状態ながら当日変更で臨み、「足が壊れてもいい」というほどの覚悟で走り切った末にたたき出した記録だ。決して甘いものではないことを佐久間もよく理解している。
今年の出雲駅伝と全日本大学駅伝を走る選手たちをテレビ越しに見て、素直に「かっこいいな」と思った。「毎年思っていることなんですよね。駅伝に強い憧れがあったので、今年だけじゃなくて、ずっと『かっこいいな』と思ってきました」
もしあのまま中距離を続けていたら、9月の日本インカレ1500mで優勝していたのは佐久間だったかもしれない。それでも「後悔はないです」と言い切る。最後の最後まで、夢の舞台に向けた挑戦を続ける覚悟だ。