ラグビー

早稲田大の槇瑛人、「そろそろ走ってくれよ!」期待される決定力でチームに勢いを

早稲田大のWTB槇瑛人。大舞台でトライを取り切る活躍をみせられるか(撮影・全て斉藤健仁)

関東大学ラグビー対抗戦は12月5日、伝統の「早明戦」で最終戦を迎える。5勝1敗(勝ち点24)で3位につける早稲田大学は、その後の全国大学選手権のためにも、自らのプライドのためにも明治大学に勝利したいところだ。定期戦の通算成績は早大が54勝40敗2分けとリードしているが、ここ2年は敗れてライバル校に対抗戦連覇を許している。

対抗戦でここまで8トライ

バックスに強みを見せる早大にあって、エースWTB(ウィング)と言える存在が槇瑛人(3年、國學院久我山)だ。今季も2度のハットトリックを含む計8トライを挙げており、6試合が終わった時点で対抗戦のトライ争いでトップに並んでいる。

早大は慶應義塾大との早慶戦(11月23日)では特に前半、素晴らしいアタックを見せて40-33で勝利したが、その前の帝京大戦(同3日)では22-29で敗れた。槇は「帝京大に負けた試合の映像をチーム全体で見て、監督やキャプテンとミーティングで共有し、本当に無駄にしないように……と日々の練習をしています。自分たちのアタックをすれば、帝京大でも慶大でも(次に対戦する)明大でもトライは取れる」と自信をのぞかせた。

一昨季、昨季と早明戦で負けているが、春、夏の練習試合では僅差で明大に勝利した。槇は「春と夏と一応、勝っていますが、誰一人、気を抜いている選手はいない。油断、隙を見せないようにやっています。チームとして反則を減らすことと、一人ひとりがコンタクトで負けてしまうと自分たちのアタックができないのでコンタクトの部分と、バックスとしてはラストパスの精度など、本当に細かい部分にこだわってやっています」と話す。

昨年の早明戦はフル出場したが、得点には絡めなかった

対面の相手は同学年で東京オリンピックに出場したWTB石田吉平(常翔学園)となった。「個人としては(アタックラインの)大外にいる選手として、内側から与えられてきたボールは絶対に活(い)かしきることをまず第一に考えて、その上で自分が強みにしている(ボール)キャリーやトライを取り切ることができたらいい。(石田)吉平は高校ジャパンでも一緒にプレーしていたので意識しています。しっかり止めていきたい!」(槇)

明大の韋駄天、石田吉平 大学生でただ一人の東京オリンピック7人制男子代表

自身2度目となる早明戦。その後の大学選手権に向けて、槇は「自分たちの力を出せてどこが相手に通用したのか、どこが通用しなかったのか。大学選手権に向けては伸びしろの部分が一番重要なので、明大戦でどういう戦い方ができるかが大事になってくると思います」と気を引き締めた。

名門校では苦い経験も

生まれは岡山の槇は、5歳から横浜の田園ラグビースクールで競技を始めた。「瑛人(えいと)」という名前は父親がラグビーをやっていたからついた名ではなく、実は両親ともに実業団(三菱自動車水島)で活躍していた陸上選手で、母の和子さんは、走り幅跳びで高校時代に国体で優勝するほどの選手だった。

当時、たまたま同じ社宅に住んでいた三木亮弥(昨季の慶大副将、CTB=センター)とフランカー晧正(京都産業大2年)の父・康司さん(三菱自動車京都のFWでプレー)に「ラグビーをやってみないか」と勧められたことがきっかけだった。

両親から陸上をやるように強制された「記憶はない」という槇は小、中学生とラグビーを続けていく。ただ、中学校で陸上部に所属した槇は、400mハードルで実業団の大会で優勝経験のある父の浩二さんと一緒にランニングのトレーニングをしていた。「ボールキャリーしたときの(ランニング)フォームとかアドバイスを受けていました。今でも(父は)たまに言ってきますね」(槇)

槇の爆発的な瞬発力、50m走は6秒2の走力は、陸上選手だった父とのトレーニングのたまものというわけだ。小学高学年からはラグビーにのめり込んでいき、中学時代は神奈川県スクール選抜の一員として全国ジュニアで準優勝を経験。高校は4つ上の兄・海都さん(立命館大出身)が國學院久我山だった影響もあり、同じ道を選んだ。

高校2年の時は、早明戦で対決するNo.8大石康太(明大4年)がキャプテンを務めており、花園では全国高校大会ベスト8に進出する。だが自身がキャプテンを務めた高校3年時は、前評判は高かったが、東京都第1地区予選の決勝では19-43で早稲田実に敗れた。「あんなに悔しかったことないので、今でもめちゃめちゃ覚えています。でも絶対に無駄ではなかったというか、その悔しさを知っているからこそ、今でも普段の練習の活力につながっているかな」(槇)

明治大学の大石康太・副キャプテン、4年目で初めてまとった紫紺のジャ-ジー
高3の時は主将を務めたが、今は同僚の相良昌彦らがいた早稲田実に敗れ全国大会出場を逃した

大学2年から台頭、4年生のために

大学は「ボールを回して走って……格好いいし自分に合っているかな」という直感で、槇は早大を志望し、スポーツ推薦で合格した。ただ入学直後は「レベルが高すぎて、どう頑張ってもメンバー入れないんじゃないかな……」と正直、感じたという。

槇が大学1年時、早大は大学日本一に輝くことになるが、選手層が厚かったため、Aチームに上がることなく、Bチームでプレーしていた。ただアタック&ディフェンスの練習では「どれだけ通用するか、強気でやっていました」。また寮生活となり、大学から本格的に、トレーナーの指導の下、ウェートトレーニングを始めたことにより、体脂肪は18%から13%くらいに減って、力強いランにより磨きがかかったという。

2年生になっても、最初は國學院久我山高の2つ先輩に当たる安部勇佑がスタメンを張っていたが、「絶対に負けたくない。普段の練習から本当に勝負だ」という強い気持ちで練習に取り組んだ。また先輩のCTB/WTB桑山淳生(ブレイブルーパス東京)からはブレイクダウンでの細かいプレーを、FB南徹哉からはコミュニケーションの大事さなどを学んでいった。徐々にアタック以外でもチームの信頼を得て、槇は開幕となった青山学院大戦でアカクロデビューを飾りトライを挙げて、今も14番として試合に出続けている。

槇が現在、目標としている数値がある。GPS(全地球測位システム)で出てくる数字に、1秒間で進んだ最大距離があり、2つ上の先輩WTB古賀由教(ブラックラムズ東京)がチームトップの10m超を出した。現在の最高値が9.8mだという槇はその数字を超えることを念頭にプレーしているという。

明大のトイ面は、2年続けて石田吉平。世界を知った相手とどう向き合うか

将来は「リーグワンのチームでプレーしたい」という槇の趣味は海釣りで、最近は自ら釣った魚を捌(さば)くこともあるという。またWTB松下怜央(3年、関東学院六浦)らとともにサウナに行くこともリラックス方法の一つとなっている。

帝京大戦こそFB河瀬諒介(4年、東海大仰星)がラインブレイクした後に、右隅にトライを挙げたが、強豪相手に自らのランでチャンスメイクしたり個人技でトライを挙げることができておらず、大田尾竜彦監督からも「そろそろ走ってくれよ!」と声を掛けられたという。

明大戦、さらに大学選手権と続くが、今季は長くても残り1カ月余りとなった。槇は「4年生に最後、荒ぶる(優勝時のみ歌うことが許されている第二部歌)を歌わせることができるように少しでも勝利に貢献できたらいいな」と意気込んでいる。アカクロの14番が武器とする強気のボールキャリーで早大に勢いをもたらす。

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