法政大・田部井涼主将「自分らしさ」を胸に横浜FCへ、5年後には日本代表へ
2022シーズン、横浜FCへの加入が内定している法政大学の田部井涼(4年)は前橋育英高校(群馬)時代、主将として全国高校選手権優勝を成し遂げた。高卒でプロを目指していたがその壁は高く、誘いを受けた法政大に進んだ。同期はともに全国高校選手権を戦い得点王を獲得した飯島陸(前橋育英、ヴァンフォーレ甲府内定)や、同大会で活躍した松井蓮之(矢板中央、川崎フロンターレ内定)などと、タレントぞろいだった。そんな同期と過ごした4年間が田部井を大きく成長させ、プロの道を切りひらいてくれた。
「勝負」を胸に法政大へ
田部井が法政大に進む前のチームには、中盤に西遼太郎(FC岐阜)や末木裕也(カターレ富山)、下澤悠太(テゲバジャーロ宮崎)など、現在Jリーグで活躍する選手たちがズラリ。それでも、熾烈(しれつ)なポジション争いは覚悟の上だったという。「ボランチの質の高さや競争力も決め手でした。試合に出られない可能性もある中で勝負してみたかった」と進学を決めた。
大学入学後は高校時代に負傷した肩の手術に踏み切るなど、苦しんだ時期もあった。しかし着実に力を付け、主力に成長。3年生での#atarimaeniCUPではスタメン出場を続け、チームの準優勝に貢献した。武器である左足のキックに加え、推進力のある攻撃参加を会得。新境地開拓の手応えをつかみ、横浜FC加入内定も早々に決定するなど、確かな自信を胸に大学ラストイヤーに突入した。
再び“日本一のキャプテン”に
新シーズン開幕を前に、田部井は主将に就任。ミーティングを多く重ね、チーム、そして個人の目標を共有し、「日本一」への意識をチーム全体に植え付けた。グラウンド上でも、練習の雰囲気に気を配った。「“優しさ”と“厳しさ”の共存が大事」と、時にはミスを指摘する厳しさの必要性を訴えた。
田部井が率いる法政大は、開幕から好調を維持する。前期リーグ戦を2位で折り返し、アミノバイタルカップで準優勝。そして、今シーズン初のタイトルを手に入れるべく、夏の日本一を決める総理大臣杯に臨んだ。
ここで、田部井にまさかの事態が襲う。初戦のウォーミングアップ中に負傷し、チームからの離脱を余儀なくされたのだ。突然の出来事に、チームには一時動揺が走った。しかし法政大は強かった。田部井とともにチームをけん引する4年生を中心に、田部井の不在をカバー。順調に勝ち進み、東洋大学との決勝では、中盤で田部井とコンビを組んでいた松井、そして佐藤大樹副将(4年、北海道コンサドーレ札幌U-18、町田ゼルビア内定)のゴールで優勝を引き寄せた。試合後にはメンバー外だった田部井もトロフィーを高らかに掲げ、笑顔を見せた。
田部井の代わりにキャプテンマークを巻き、優勝を決める劇的なフリーキックを決めた佐藤は「涼は法政のサッカーに欠かせない存在。けがをして落ち込んでいたが、切り替えて選手一人ひとりに具体的なコーチングをしたり、ピッチ上とは違う役割を果たしてくれていた。それがあったから更に強くなれた」と語り、長山一也監督も「田部井のキャプテンシーが優勝につながった」と、存在の大きさを認めた。田部井涼はピッチに立たずとも、間違いなく“日本一のキャプテン”だった。
後半シーズンに失速、力不足を痛感
しかしシーズン後半、チームは苦しい時期を過ごした。リーグ戦は6試合未勝利を経て、最終順位は4位。今シーズン最後の大会であるインカレは、福岡大学に敗れて初戦敗退。その間、田部井がピッチに戻ることはなかった。シーズンを振り返り、「結局サッカーは結果なので。ピッチ外では色々変えてきましたけど、ピッチ内でサッカーを追求することができなかった。実力不足を痛感しました」と、チームの成績、そして自身の成長に物足りなさを吐露した。
「けがを言い訳にしたくないし、自分らしくやれることは全うできたので後悔はありません」と前置きした上で、「前期は勝てていたけど、このままの内容ではダメだと危機感がありました。ただ後期になって、どこかこのままでいいんじゃないかという雰囲気や、ミスに対する厳しさが薄れているのを感じました。その中で、自分がピッチに立てない悔しさと、ピッチ内の温度を体感できない難しさがありました」
「涼がいれば……」。シーズン後半の失速について、田部井の不在を一因にあげる選手も少なくなかったが、本人はというと、「明らかに去年より成長速度は落ちていた。サッカーをうまくなりきれなかった」と、1人のサッカー選手として悔しさをかみしめた。
忘れていた「自分らしさ」
「正直、これまで自分のためにサッカーをしてこなかったんです。どうしたらみんなが楽しく、うまくプレーできるかを考えていました。それは長所でも短所でもありますが、自分をここまで引き上げてくれた部分なので大切にしたいです」。自らを“変人”と評するほど、チームのことを第一に考えてきた。一方で、「チームのことを考えていると、自分のことは二の次になってしまう。自分らしさを忘れてしまうんです」。サッカー人生の大半をリーダーとして過ごし、チームの先頭に立ってきたからこその苦悩もあったという。
そんな田部井は、ピッチを離れ、リハビリを続ける中で自分と向き合った。「プロになるからには違いを見せないといけません。背後へのボールや展開力、左足のキックを1mmもずらさないレベルでやりながら、ペナルティエリアにも入っていけるのが『怖いボランチ』だと考えています。3年生の時につかんだ感覚をグレードアップさせたい」
「5年後、日本代表」を目指す本当の理由
「5年後、日本代表に入る」。田部井は多くのメディアで今後の目標をこう語る。なぜ“5年後”なのか、理由を教えてくれた。
「単刀直入に言うと『今の自分に力がないから』です。身体能力や技術は他の選手には敵わないし、三段跳びのように、急にできるようにはならない。それでも一歩一歩、はい上がってきたのが自分。劣等感を抱きながらも、逆算して決めた目標なんです」
仲間の助けもあり、等身大の自分と向き合うことができた。特に大きかったのは、4年生の存在だ。「周りが助けてくれたから、自分のことに集中できた。感謝しています。ただ、僕たちはここで終わりではありません。お互いに刺激し合って、もっともっと高みを目指していける存在です」。4年間、苦楽をともにした同期が田部井を変えた。
シーズン終了後も、来季の復帰に向けてリハビリに励む田部井。今シーズン横浜FCはJ2降格という結果になったものの、「出場機会が増えるかもしれないし、自分にとってはポジティブな部分もある。チームの結果に一喜一憂することなくやっていきたい」と、現実を冷静に受け止めるその言葉は、自身を次なるステップに進める決意表明だ。これからはチームのためだけじゃない。1人のプロサッカー選手として成長するために、“田部井涼らしさ”を見せつけるために、自分と向き合い続ける。