フィギュアスケート

羽生恩師の都築さん、ハーバード大の佐野さんが育んだ「信じる力」

ハーバード大学のアイスホッケー部でプレーする佐野月咲(ハーバード大提供)

 フィギュアスケートで五輪3連覇を狙う羽生結弦選手(ANA)を少年時代に指導した都築章一郎さん(84)と、ハーバード大学アイスホッケー部に所属する佐野月咲(るなさ)さん(23)の話には、「自分はできる」と信じる力を育むヒントが詰まっている。若者の自信のなさや自己肯定感の低さが社会問題になっている中で、子どもの意欲と自信を引き出すにはどうすればいいのか、記者サロン「北京五輪直前!氷上で育む『子どもが自分を信じる力』」(16日(日)午後1時~)で2人と考える。イベントを前に、2人の体験と、それに基づく考え方を探った。

父の背中で医者を志し代表合宿でホッケーに魅了され 旭医大医学部・矢野竜一朗(上)

 イベント詳細は(https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11006522)、またはQRコードから。

 フィギュアスケートコーチの都築さんは、北京五輪で3連覇を目指す羽生選手ら、多くの選手の指導に携わった。小学生時代の羽生選手を思い出して、こう語る。

 「とにかく負けず嫌い。引かないです。練習して、いろいろなものを挑戦させてみた時、絶対に弱音を吐かないですね。けんかしてもそう。年上の人とけんかして負けても、(また)やります。そういうもろもろの生活の中に魂みたいなものを彼はいつでも持っていますよね。持って生まれたものがあるのではないかと思います。魂というか、非常に神業ですね」

 羽生選手は集中力が続くタイプではなかったが、根気よく続けた。「飽きっぽい性格には向かないと思ったけれど、自分に必要だと思うことは徹底してやっていました」

 憧れの選手の存在が、羽生選手の原動力の一つだったとみている。2006年トリノ五輪王者のエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)だ。「プルシェンコのビデオを見て感じるものがあったようです。よく彼のまねをしていました。彼の演技を見た上で、レッスンのやり方について、自分はこう思うと、主張してきたこともありました」

 自分の意見を持っているのは羽生選手の強みだと感じていたといい、「お前は、世界に羽ばたくスケーターになるんだから」と何度も言い聞かせていた。教え子たちには常に高い目標をイメージさせ、「ジャンプは、3回転ができるようになり、次は4回転、5回転があるというような言葉を使っていました。その気持ちを持っていれば、試行錯誤し、何かが生まれてくる」

 練習には子どもを楽しませる工夫もあった。都築さんの指導を受けた一人で、フィギュアスケート世界選手権ペアの銅メダリスト、高橋成美さん(29)はこう話す。

 「私は、先生とグループでの鬼ごっこを練習でやったことを覚えています。先生を捕まえるために色んなスケーティングのスキルを学びました。先生は計算して練習を工夫していたのかなと思います。気持ちの乗せ方もうまかった。私は『ビールマンスピンを1週間でできたらクッキー&クリームのアイスクリームを買ってあげる』と言われました。体が硬かったけど、鬼のように練習して、1週間でできるようになりました。論理的な面以外にも教えるのがすごくうまかったです」

 佐野月咲(るなさ)さん(23)は、米国の名門ハーバード大で学びながら、各国の代表クラスがいるレベルの高いアイスホッケー部でもプレーする。

 平日は午前8時に起き、9時から大学の授業を受ける。専攻は科学史。もともと理系科目が得意だった。東洋医学に興味があり、その歴史的な背景について研究を深めている。

 午後3時から4時間ほど、アイスホッケー部の練習で汗を流す。夕食後は午前0時ごろまで大量の宿題をこなし、就寝する。ハードだが、刺激的な毎日。「勉強も練習もすごく楽しい」と言う。

 どんな体験をしながら育ってきたのか。

 5歳でアイスホッケーに出会い、他に習っていたピアノ、英語、水泳よりものめり込んだ。もう一つの楽しみが読書。0歳から母月乃さんに読み聞かせてもらった。小学校に入ると、図書館で借りた本を週20冊読んだ。

 勉強も「親が導いてくれた。やらされている感はなかった」。100マス計算やことわざなどゲーム感覚で覚えさせてくれた。負けずぎらいな性格で、勉強でも一番になりたいと、4年生から塾へ。自然な流れで中学受験を決めた。

 自分のやりたいことを尊重(そんちょう)してくれた親とぶつかったこともある。小学6年生の春、父栄司さんから「(中学)受験があるから塾に専念したらどうか」と言われた。すると、佐野さんは涙を浮かべてこう反論した。「どっちかだけにはしたくない。勉強とアイスホッケー、両方があるから両方ができるんだ」

 栄司さんは「びっくりした。そこまで言うなら任せようと思った」。アイスホッケーを続けながら夜遅くまで勉強し、第1志望の筑波大付属中(東京)に合格した。

 アイスホッケーでは、18歳以下日本代表から落選した挫折経験がある。親に「他とは違うやり方で目標に向かうこともできる」と言われ、米国の大学を目指し、合格した。最もひかれたのがアイスホッケーでも実績のあるハーバード大だ。

 春に渡米して色んな大学をまわった。夏にはハーバード大のヘッドコーチに英語で思いを伝えた。「入部枠はスカウトで埋まっている」と言われたものの、「自力合格したらプレーさせて」と食い下がり、承諾を得た。

 両親は、人見知りの娘がここまでやることに驚いたという。原動力を佐野はこう語る。「代表落ちで五輪までのビジョンが崩れたのが悔しすぎた」。かつてない挫折に突き動かされた。さらに「うまくいかないことには必ず意味がある」という母の言葉に背中を押された。「つらい経験はハーバードに行くためなんだ」と自らに言い聞かせたという。

 ハーバード大に入学した当初、慣れない環境に苦労した。

アジア出身者は他にいない。孤独を感じることもあったが、そんな時は原点を思い出した。「アイスホッケーでうまくなる。それが一番の目的だ」

 競技に向かう姿勢で周りの信頼を得た。他の選手より早くリンクに立ち、自主練習。2年生になるころには英語でのコミュニケーションもうまくなった。

 佐野さんはこう話す。「アスリートとしては、決して王道ではない、ユニークな道だと思う。キャリアの過程を伝えることで、子どもたちにも様々な選択肢があるのだと知ってもらえればうれしい」

=朝日新聞デジタル2022年01月14日掲載

in Additionあわせて読みたい