アイスホッケー

連載:いけ!! 理系アスリート

勉強と競技「50:50ではなく100:100」を 旭医大医学部・矢野竜一朗(下)

高3の春に年代別の日本代表に選ばれ、U18世界選手権・ディビジョンIに出場した(手前が矢野、写真は全て本人提供)

今回の連載「いけ!! 理系アスリート」は、旭川医科大学医学部でアイスホッケー部に所属する矢野竜一朗(りょういちろう、1年、苫小牧東)です。U18日本代表を経験し、2浪の末に昨年から旭川医大でプレーしています。2回連載の後編は2年間の浪人時代、そして旭医大で文武両道を続ける今についてです。

父の背中で医者を志し代表合宿でホッケーに魅了され 旭医大医学部・矢野竜一朗(上)

苫小牧東高伝統の「粘りのホッケー」

今年1月の愛知国体で、福岡県成年チーム、FW矢野は全3試合で6ゴール、3アシストをマークした。矢野は2017-18シーズンまで北海道の名門、インターハイ7度優勝の苫小牧東高校のエース。将来の日本代表入りを狙える大型のセンターフォワードとして活躍した。

高校卒業を前に関東の強豪大学から声がかかったが、父・和浩さんのような医者になりたいという小学6年生からの夢は変わらず、故郷の福岡に戻って2浪の末、昨年4月に旭川医大に入学。今シーズン、大学では試合を一度も経験せず、氷上練習も数えるほどだったものの、国体では福岡の得点源として5位進出を支えた。

矢野は体格や技術だけに頼らず、足を使ったプレーに徹する選手だ。そのスタイルは、苫小牧東高での3年間で培われた。日本有数のホッケータウンである苫小牧には、苫小牧東高のほかに駒大苫小牧高、苫小牧工高といったインターハイ優勝経験を持つ強豪がひしめく。特に駒大苫小牧高には全国からトップ選手が集まり、苫小牧東高はそれに対抗するために全員が足を使って守り、パックを奪うと速攻でゴールを奪いに行くのが特徴だ。

冬になれば道路も凍ってしまう気候を生かし、苫小牧東高は学校の敷地内に氷を張って練習する。冷たい風と雪の中でひたすら走り続け、伝統の「粘りのホッケー」を身につけるのだ。福岡の中学から苫小牧に渡った矢野は、「1年生の時はスケーティングが遅かったし、トップレベルのホッケーを知らなかった。北海道の高校生のプレーについていけていませんでした」。それでも「外リンクで何時間も走ったことで足が速くなりました。休みの日はいらないっていうくらい、とにかく練習したかった。高校3年間で福岡に帰ったことは一度もありません」と話す。

2017年春のU18日本代表。矢野(3列目、左から2人目)以外はトップリーグや海外、関東の強豪大学など、アイスホッケーを優先した進路を選択した

アイスホッケーの世界で「動ける大型センター」は貴重な存在だ。高校3年の春、矢野はU18の日本代表メンバーに選ばれ、17年4月にスロベニアで行われたU18世界選手権(ディビジョンI)に出場する。いわば未来の日本代表の集団であり、そこに九州出身の選手が選ばれるのは異例だった。矢野は「U18に選ばれたことで、僕はさらに成長できたと思います。九州出身でも頑張れば報われる。そう信じて努力できるようになりました」。冬には、副将として最初で最後のインターハイに出場。初戦の釧路江南高にペナルティショット戦で敗れたものの、矢野はチーム唯一の得点を挙げている。

浪人中もアイスホッケーへの思いは強く

苫小牧東高を卒業すると、矢野は福岡に戻って予備校に通い始めた。「高校3年間はホッケーしかやってなかったので、浪人1年目は高校時代のやり直し」。一浪して国立の医学部に入れればいいな……そんな淡い希望は、予備校に通い始めるとすぐに消えた。「とてもじゃないけど、1浪じゃ無理だと思いました。勉強すればできるようになると考えてましたが、まったく点数が伸びなかった。模試はE判定ばっかで……。受験をなめていましたね」

浪人中は福岡のクラブチームで週1回プレーした(左から2人目が矢野)。次兄の倫太朗(右から2人目)はその後、トップリーグ入りを果たしている

予備校では朝8時から夜の8時半まで勉強。ホッケーは週に1度、一般のクラブチームでの練習が全てだった。勉強の合間、ネットで大学ホッケーの情報を探ると、苫小牧東高の同級生やU18世界選手権で一緒に戦った仲間の活躍が伝わってくる。それは矢野にとって、とてもつらいものだった。「高校の3年間でホッケーに未練を残さないつもりだったのに、どこかに余韻が残ってました。もし自分がホッケーで大学に行ってたらどうだったかな、U20の代表にも選ばれたんじゃないかなって。浪人中って、先が見えない状態じゃないですか。だから余計に苦しかったです」

目指すは国立の医科大学、一択だった。東医体(東日本医科学生総体)に出られるアイスホッケー部があり、できることなら高校時代になじみのある北海道に。そう考えると、志望校は旭川医大を含む3つに絞られた。1浪目の入試は「ほぼ記念受験」。2浪目は「勉強の仕方が分かった。自分でも、けっこう頑張れたと思います」。模試はC判定だったが、本番のセンター試験で、自己採点ながら予想以上の点数を取ることができた。それをもとに旭川医大に再トライ。「今回はいけるんじゃないかと。合格発表が楽しみでした」。20年4月、晴れて医大1年生になった。

トップリーグでプレーする兄に刺激を受け

旭川医大でのファーストシーズンは、多くの医科系大学がそうであるように、コロナで活動が制限された。「氷上練習は全部で4回。3歳でホッケーを始めて、こんなに練習しなかったのは初めてです。でもその分、国体へのモチベーションが高まったし、実際、予想以上にやれたと思います。プレーが落ちた気はしませんでした」。国体で、アジアリーグでプレーしていた選手を相手にしても、大きな差は感じなかったという。

今シーズン、大学での部活動は制限が設けられたが、氷に乗れない分を補おうと、陸上で実戦のカンを養った(右から2人目が矢野)

旭川医大での生活は、もちろん医学の勉強が優先になる。それでも「アイスホッケーとのバランスは50:50ではなく100:100でいたい」と矢野は言う。「これまでずっと、上を目指してホッケーをやってきました。自分を成長させたい気持ちは、どこにいたって変わりません。福岡にいても、苫小牧にいても、浪人中も、医大生になった今でも」

3つ上の兄・倫太朗は中央大学を卒業後、福岡で1年間、仕事中心の生活を送った後、今シーズンは会社での仕事を続けながらトップリーグの横浜グリッツに入団した。「自慢の兄ですし、さすがだと思いました。でもひとりの選手としてライバル心もあるんです。トップリーグは手の届かない場所と思っていたけど、一番身近な存在が夢をかなえた。僕も挑戦できるのであればしたいというのが、正直な気持ちです。ただ、今の練習環境でトップリーグでプレーしたいというのは、本気で目指している人に対して失礼。それでも、挑戦したいという気持ちはこれからもずっと持ち続けると思います」

きょうだいは5人ともアイスホッケー選手。左から2人目が矢野、右端が次兄・倫太朗(横浜グリッツ)

「どこにいても上を目指すことはできる」

医大生になった今も、矢野の中で大切にしているものがある。U18日本代表に選ばれたことの誇りだ。「あの時からずっと、その座にふさわしいプレーと行動を心がけてきました。見ている人に、矢野はこういう人間だから代表に選ばれたんだと思ってもらえるように」。2年の浪人生活を乗り越えられたのも、国体選手として頑張れているのも、「代表に恥じない人間になる」という信念があるからだ。

中3の夏にエリートキャンプに選ばれたことで、矢野の競技人生は大きく方向転換した。あの時と同じように、これから先、彼の才能が最高水準の場で生かされる日は来るのだろうか。それとも、あくまで医学の勉強を優先して、国体で地元に貢献していくのか。いずれにせよ、これからも矢野の中で変わらないものがある。それは「自分を成長させたい」という意欲と、「どこにいても上を目指すことはできる」という信念だ。

ひとりのホッケープレーヤーとして。そして、やがてなるであろう医師として。その思いはきっと、矢野の中でずっと続いていくのだろう。

いけ!! 理系アスリート

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