陸上・駅伝

連載:いけ!! 理系アスリート

一番になれるから始めた陸上、素朴な興味が研究の道へ 東大大学院・古川大晃(上)

研究と競技を両立する古川。この春から東大院に入学したのを機に話を聞かせてもらった(撮影・藤井みさ)

古川大晃(ひろあき)は八代高校から熊本大学、九州大学大学院を経て、現在は東京大学大学院博士課程1年に在学しています。今回の「いけ!!理系アスリート」では、走りながら研究を続ける彼の思いについて聞きました。前編は陸上を始めたときのことから、研究の道に進むことを決めるまでです。

陸上部がなく中学ではバスケ部に

熊本県八代市に生まれ育った古川。小学生の時からかけっこが好きで、校内のマラソン大会で1番になることもあった。「あまり取り柄がなかった子どもだったので、そこで1番になれたのは嬉しかったですね」と振り返る。中学に進んだら陸上部に入ろうと考えていたが、進んだ中学校には陸上部がなく、バスケ部に入部することになった。自らを「不器用」という古川は、球技はあまり向いていなかったという。

「団体種目だと、自分が苦手だと他の人のことが気になってしょうがないんですよね。自分がミスしたらどうしようと今思うと怖さを抱えながらやってて、今思えばきつかったんだろうなと思います」。周りと比べて上達が遅く、焦ることも多かった。ただ、体が成長期に入った頃にダッシュなどのきついトレーニングをしていたことは、その後に役に立っているのかも、という。「結果的には良かったと思います。ラッキーでした」

八代高校に進み、陸上部に入部。はじめは5000mのタイムは16分40秒ほどだった。「それでも普通科高校の1年生にしては速い方だったので、『あ、けっこう走れるのかな』と思って。普通に練習してたら、卒業する頃には15分一桁台になってました。14分台を出したいなと思ってたけどそこはできなくて。でも割とトントン拍子に伸びていったと思います」。バスケと比べて陸上は不思議なほどうまくいくな、という思いが大きかった。

スポーツ科学との出会いはたまたまだった(撮影・藤井みさ)

「頑張ってもうまくいくことと、うまくいかないことがあるなと気づいたんです。それでうまくいかない自分も受け入れられるようになって、焦りが減っていきました」。焦らなくなったおかげで何事にも落ち着いて取り組めるようになり、結果的にうまくいくことが多くなった気がするのだという。

「たまたま」だったスポーツ科学との出会い

高校では理系クラスで勉強し、大学では化学に関連した勉強をしたいと思っていた古川。一浪して熊本大学を受験する際に、化学に関連した学部は落ちてしまい、教育学部の生涯スポーツ福祉課程を受験し合格した。実はこの時、スポーツを学ぶことにそこまで興味があったわけではなく、学科を選んだ理由は「一番受かりやすそうだったから」だ。

大学での勉強は、スポーツ科学を研究するというよりは、スポーツに関わる指導者を養成するという意味合いの方が大きかった。学部での勉強には数学は使わなかったので、「僕は理系じゃないんですよ」と笑う。「僕の中で数学を使ったら理系で、使わなかったら文系かなって思っています(笑)」。たまたま入った学部ではあったが、もともと陸上をやっていたこともあり、せっかくだから筋肉のことを勉強してみようか……と勉強にも身を入れていたら、だんだんと面白くなってきた。

自信をもたらした「熊本城マラソン優勝」の称号

熊本では、1957年から毎年2月に「金栗記念熊日30キロロードレース」が開催されており、2012年からは「熊本城マラソン」も同時開催されるようになった。地元で毎年ある大きなイベントに、古川も高校の時から出たいと考えていた。大学でも陸上部に入ったが、トラック練習がメイン。1年生のときに5000m、10000mのを走る練習しかしていないまま、2016年の熊本城マラソンにチャンレンジした。

「2時間20分ぐらいのペースで前半入って、『余裕だろ』って思ってたら、後半大変なことになりました。16kmぐらいからもう足が痛くなっちゃって、最後は1km4分を超えるペースでした」。だが、途中でレースをやめようとは思わなかった。初マラソンは2時間31分台。「死ぬ思いだった」と表現する。

地元熊本で開催される熊本城マラソン。3回目のチャレンジでついに優勝をつかんだ(撮影・朝日新聞社)

大失敗を生かして、翌年からはとにかく夏場に距離を踏むようにした。それまでは月間300km程度だった走行距離を、500~600kmに伸ばした。「関東の学生に比べたらそこまでじゃないのかもしれませんが、自分としてはかなり頑張りました」。陸上部では他にマラソンにチャレンジする選手はいなかったため、完全に自分一人での練習。足ができてきたことによって、長い距離もだいぶ走れるようになってきた。そして大学3年の2月、18年の熊本城マラソンでついに念願の優勝をつかみ、翌年も優勝し2連覇した。

「熊本城マラソンで優勝しました」と言えるようになったことは、古川にひとつの自信をもたらした。「シンプルに、一番になれるのって人間的には楽しいことなのかなと。飲み会のネタも増えますし」と笑う。競技力が向上することによってまた感じることがあった。「人に対して温かくなれたかな、と思うことがあります。自信がなかったりすると人と話すときもビクビクする性質なので、『これは人に喜んでもらえるスキルになるな』というものがあると、人に対して優しくなれる気がします」

4年時には全日本大学駅伝九州地区選考会で全体のトップのタイムになり、全日本大学選抜チームのメンバーに(撮影・朝日新聞社)

長い距離に対する足づくりをすることで、トラックのタイムも順調に伸びていった。大学3年生のときには全日本大学選抜、4年時は日本学連選抜チームに選ばれ、全日本大学駅伝も走った。それぞれ5区区間12位、6区区間15位で、特に4年時にはうまく力が発揮できなかった。九州では第一人者となりつつあったが、なかなか関東勢の壁は厚かった。

ささいな疑問から研究の道に

フルマラソンで優勝した頃と前後して、古川が考え始めていたことがあった。「人と走ると楽なのではないか?」ということだ。「厳密に言うと、『1人で走ると、他の選手と2人で走ったときと同じようなパフォーマンスを発揮できないぞ』ということに気づいたんです。1人で走るとなんだかうまくいかないことが多くて、それが気になっていました」

19年には熊本城マラソンで2連覇達成。ガッツポーズでゴール(撮影・朝日新聞社)

大学4年になり、卒論の時期に調べてみると、先行研究で空気抵抗についての論文は見つかった。人の1mぐらい後ろを走ると、空気抵抗は50%程度カットできるという実証実験の結果が示されていた。「でも、明らかに空気抵抗だけじゃないんじゃないかな? と思って。そこから興味が移っていきました」。そして自分が感じた疑問を研究として進めるために、九州大学大学院への進学を決めた。

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