陸上・駅伝

特集:第100回関東学生陸上競技対校選手権

東大・内山咲良、関東インカレ初V 13m目指す医学部6年目は「ボーナスステージ」

内山(中央)は東大女子選手初の関東インカレ優勝を成し遂げた(撮影・全て松永早弥香)

第100回関東学生陸上競技対校選手権 女子三段跳決勝

5月22日@相模原ギオンスタジアム
1位 内山咲良(東大6年) 12m86(+2.0)
2位 山下桐子(筑波大4年) 12m79(+1.2)
3位 中津川亜月(横浜国立大2年) 12m75(+0.5)

女子三段跳びで東京大学医学部6年生の内山咲良(さくら、筑波大附属)は2回目に12m86(追い風2.0m)を跳んでトップに立ち、そのまま優勝。東大女子選手が関東インカレで優勝するのはこれが初。競技を終えた瞬間、ひとり淡々と競技に向かっていた時とは打って変わり、満面の笑みで優勝の喜びをかみしめた。

インターハイの悔しさから陸上続行、2つの部で実績残し 東大医学部・内山咲良(上)

13m00を跳んだあの感覚が再び

大会3日目、内山は予選の1回目の跳躍で12m48(追い風1.1m)をマークし、通過標準記録(12m45)を突破。しかし同じ予選1組で、2019年の国体で少年A走り幅跳びと少年共通三段跳びを制している中津川亜月(横浜国立大2年、浜松市立)が同じく1回目で12m90(追い風1.3m)の自己ベストを記録するなど、今大会に強い選手がそろっていることを改めて感じた。目標は13m台。それだけの準備を積んできたという自信もあった。過去2回の関東インカレはともに4位で表彰台を逃している。最後の関東インカレこそは笑顔で終わりたい。内山は気持ちを引き締め、決勝に臨んだ。

同日の17時06分から決勝が始まった。1回目の跳躍で中津川が12m75(追い風0.5m)を跳び、首位に立つ。内山の1回目は12m59(追い風0.4m)。そして2回目を跳んだ瞬間、「13mいったかも」と感じた。13m00を跳んだ日本インカレの時のような跳ねた感覚があり、風にも乗れた。記録は12m86(追い風2.0m)。中津川を抜き、首位に立った。

3回目を終え、トップの内山は最終の8番目の試技順に。他の選手たちも記録を伸ばし、自分の記録はいつ抜かされるんだろうと、内心では不安でいっぱいだった。競技が始まったころはまだ明るかった空も次第に暗くなり、トラック最終種目の4×400mリレー予選も終了。会場の視線は最終試技に入った三段跳びに集まった。3位につけていた山下桐子(筑波大4年、橘)が12m79(追い風1.2m)の自己ベストをマークし、2位に浮上。

会場の注目を一身に浴びながら、最後の跳躍に挑んだ

残る跳躍者は中津川と内山のみ。中津川は12m54(追い風2.5m)にとどまり、内山の優勝が決まった。自分の跳躍に合わせて会場の音楽が変わり、電光掲示板には自分が映し出されていた。内山は「この勢いを力にしよう」と考え、手拍子を求めた。狙うは13m。しかし最後は12m82(追い風1.3m)。内山はスタンドへ「ありがとうございました」と笑顔で感謝を伝えた。

優勝と13mを跳ぶことが目標だったため、記録的には物足りない。それでも最後の関東インカレで優勝できたことがうれしく、「こんな大きな大会で手拍子を求めるのも初めてだったんですけど、最後だしと思って」と話す端から笑顔がこぼれる。

4年生の春にいきなり大ジャンプ

内山は筑波大学附属高校3年生の時に走り幅跳びでインターハイに出場。同校陸上部として1979(昭和54)年以来、36年ぶりとなる快挙だった。しかし予選敗退の結果に「何もできないまま終わってしまった」という気持ちが残った。東大理科三類の合格発表の直後に塾で“陸上続行宣言”をしたのは、インターハイでの悔しさがあったから。大学3年生までは走り幅跳びをメインにしていたが、関東インカレには出場できなかった。

しかし3年生の夏の大会で三段跳びに出てみたところ、いきなり11m75を跳べた。走り幅跳びよりも可能性があるかもしれない。そう考え、3年生の冬季練習から本格的に三段跳びの練習を始めた。4年生の春に三段跳びで11m84を跳び、関東インカレの参加標準記録(11m80)を突破。5月にあった自身初の関東インカレで12m57を記録し、4位になった。表彰台まではあと6cmだった。その年の日本インカレで準優勝を決めた13m00(追い風0.9m)は今の内山の自己記録だ。

大学4年生の時に13m00を跳んでから、世界が変わった

ユニホーム刷新、6年生の自分だからできること

5年生になった昨年から病院実習が始まり、部員と一緒に練習できる機会が減った。4年生の時は女子主将という立場ゆえに部全体に意識を向けていたが、「今は自分の好きなように練習をさせてもらっています」と内山。自分で練習メニューを考え、自分の跳躍を動画で見返しながら少しずつ技術を高める。その一方でスプリント力については竹井尚也コーチの力を借りている。「結局は助走のスピードが一番だなと思っていて、踏み切り前にいかに減速せずそのまま入っていくか。試合だと一番そこが大きいかなと思いました」と内山が言うように、スプリント力を高められたことが、記録にもつながっている。

最上級生の6年生として、部に呼びかけたことがある。女子ユニホームの刷新だ。男子と同じ配色のデザインだったが、今年から上はブルー、下はブラックに変更。これまでは上の素材が透けやすく、下も生理の時ににじむことがあり、不便さを感じていた。「6年間部にいるので、先輩方と話ができる状態にあった自分しか変えられないだろうなと思ったんです」。伸縮性も高まったことでより動きやすくなり、内山自身もこのユニホームで試合に出られるのが楽しみだったという。

OBOGにも相談しながら、より利便性の高いユニホームみんなで考えた

日本選手権こそは13mの勝負がしたい

昨シーズンは右足の立方骨を疲労骨折してしまい、シーズン中は思うように跳躍練習ができなかったが、冬季はけがと向き合いながら練習を積むことができたという。「負荷が大きい種目なので、跳躍練習をやりすぎないようにした方がいいのかなと思いつつ、でも一方で、強い負荷をかけないと体がそれに順応していかない。そこのバランスをとれるかが、その選手の真価じゃないかな」

内山の中では、13mを跳ぶだけの用意はもうできている。「これからは今もっているものを磨く作業かなと。出力ももうちょっと高められるだろうし、技術ももう少し精度が高くなっていけばいいなと思っています」。13mがもっと当たり前のレベルになれば、もっとたくさんの人がワクワクできるんじゃないか。それが内山が13mを目指す理由であり、関東インカレでの最後の跳躍で手拍子を求めたのも、三段跳びの面白さを多くの人に伝えたいという思いもあってのことだった。

昨年、内山は初めて日本選手権に出場し、12m54(向かい風0.1m)で6位だった。ラストイヤーの今年、日本選手権と日本インカレが競技生活最後の大舞台になる見通しだ。もちろん優勝を目指す気持ちはあるが、それ以上に13mを跳ぶ勝負がしたい。

自分が13mを跳ぶことで、多くの人に三段跳びの面白さを伝えたい

前述の通り、内山はインターハイの悔しさから競技続行を決めた。当初のメイン種目だった走り幅跳びでは、最後まで6mを跳ぶことはできなかった。どこまでいけたら満足できると思いますか? その質問に内山はこう答えた。

「すでにもう、ボーナスステージだと思っています。そもそもみんな4年生で終わりになるのに自分は6年生までやっていて、4年生で関カレに出られなくなるはずなのに自分は出ていて、日本選手権という道もあって……。走り幅跳びで6mを飛びたかった自分は、間接的にはもう、報われているなという気持ちはあります。本当に、充足しているなって」

あとはやり切るだけ。これまで培ってきたもの全てを、このラストイヤーにぶつける。

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