アイスホッケー

日本人初のNCAAを戦ってきた佐藤航平のラストイヤー、自分を磨きプロへアピール

プロリーグNHLのドラフト候補生がひしめくNCAA。24歳の佐藤はドラフトの年齢制限(21歳)をオーバーしているため、プロのスカウトから直接、声がかかるのを待つ (c)UNH Athletics

ここまで、あっという間の3年間だった。ここからの1年も、おそらくはあっという間に過ぎていくのだろう。NCAAアイスホッケーのディビジョン1、ニューハンプシャー大学のFW・佐藤航平(4年)は、シーズンの開幕が決まらない中、それでも落ち着いて日々を過ごしている。

「本来なら、10月上旬にNCAAの開幕を迎えるはずだったんです」と佐藤。「でも今のアメリカは、日本とは比べものにならないくらいコロナの状況がひどくて。こないだコーチに言われたのは、リーグ開幕は早くても11月中旬だよと。状況次第でもっと遅くなるかもしれないし、リーグ戦自体がなくなる可能性もないとは言えません。でも、まあ、仕方ないです。気持ちをぶらさず、自分のできることをやるだけです」

中学生の時にカナダへ、初のNCAAで「らしさ」を出せず

もともと「物事をネガティブな方向には考えない性格」の佐藤。24年の人生の半分を海外で過ごしてきたことも、その理由かもしれない。出身は東京。今も現役でレフェリーを続ける父・雅広さんの影響で、幼稚園に通っている時にアイスホッケーを始めた。中1の冬まで西武ホワイトベアーズでプレーし、先輩の角舘信恒(かくだて、今季からアジアリーグ・横浜グリッツFW)がカナダのハリントンカレッジ付属校に留学したことに影響を受け、佐藤もカナダに渡った。

ハリントンカレッジの付属高校を卒業すると、佐藤は北米のジュニアリーグ「NAHL」へ。敵のゴール前、相手DFと激しく当たり合うエリアで一歩も引かない「強いプレー」が認められ、NCAAのニューハンプシャー大から声がかかった。

佐藤と同い年で、東京の別のクラブチームでプレーしていた三浦優希も同じタイミングでNCAAデビューを果たし、佐藤と三浦は「日本人初のNCAAプレーヤー」となった。しかし、2017-2018シーズンから始まったNCAAでの佐藤の競技生活は、最初の2シーズンともに1ゴール、1アシスト。大学最高峰・NCAAの戦術を理解しきれず、本来の力を出せないままだった。

人生の半分は北米での生活。今は物を考える時もとっさの時も「自然と英語で考えているし、英語で反応しちゃいます」 (c)UNH Athletics

アイスホッケーのリンクは四方が壁に囲まれ、他の球技と違ってボール(アイスホッケーの場合はパック)が外に出にくい。だからゴールに近い左右のコーナーでは、パックをめぐって選手がぶつかり合い、その激しさがファンを沸かせる理由にもなっている。それは本来、佐藤が「見せ場」としていたプレーだ。しかしNCAA最初の2年間は、その「らしさ」が発揮されることはなかった。「このリーグには身長190cm台のDFがゴロゴロしています。僕は181cm。でかい選手をかわすだけのスキルが不足していたんです」と佐藤。プロリーグ・NHLのドラフト候補がひしめくNCAAにおいて、日本から来たコウヘイ・サトウのプレーは、観客やスカウトの目をくぎ付けにするほどではなかった。

休暇返上でアイスホッケーに打ち込み

転機は昨年の夏、2年目を終えて迎えたシーズンオフだ。大学の夏期講習を受けることになった佐藤は、本来なら日本での休暇を満喫するはずの期間を早々に切り上げた。夏、チームの全体練習が休みになる期間、個人練習を積もうと考えたのだ。「コーナーでのバトルを徹底的に練習しました。時期的には、6月後半から7月後半。チームメートが休んでいる間に、自分らしさが出るプレーを練習したんです。夏期講習を受けている以外の時間は、ずっとホッケーのことを考えていました」

努力と成果は、きっちり氷の上で出た。佐藤の変化をコーチは見逃さず、ベンチに入ることができる4つのセットのうち第2セットに抜擢。開幕戦から、大事な場面で使われるようになった。個人成績は飛躍的に向上し、7ゴール、10アシスト。2020年2月、佐藤は日本代表に呼ばれ、北京オリンピック予選を戦った。

ラストイヤー「信じて、やれることをやっていくしかない」

この秋から始まるリーグ戦は、佐藤にとって大学のラストシーズン。ずっと目標にしてきた「北米でプロになる」道を切り開くための1年だ。しかし、前述のようにNCAAの開幕は延期に。シーズン短縮もうわさされているが、それは佐藤にとって、プロのスカウトの前でアピールする機会が少なくなるということでもある。

それでも佐藤に焦りの色はない。「今の気持ちは……そうですね、何とも言えないって感じです。シーズンが行われることを信じて、やれることをやっていくしかない」。すでに大学の授業は再開されていて、佐藤もオンラインで受講。「こっちは全部が全部、オンラインではないですよ。たまたま僕が選択している科目がオンラインってだけで、対面式の授業、ハイブリッド(対面式とオンラインが半々)の授業もちゃんと行われています」。ニューハンプシャー州は他の州と比べると、コロナの被害はそれほどひどくないそうだ。

ニューハンプシャーのホストファミリーと。中学以来の海外生活で、コミュニケーション能力もおのずと磨かれた(中段左から3人目が佐藤) (c)Laura Fontaine Photography

これまでの3年間で導き出したベスト体重は、身長181cmに対して「80kg」。大柄な選手と互角にやり合うために体重を増やそうと考えた時期もあったが、「スピードがあって動けるFWでいるためには、80kgが一番いい」という結論になった。このオフは、肉断ちダイエットに挑戦。自炊での食生活は「サーモンのレモンバター焼き」「タラの西京焼き」「タラのホワイトワイン煮」と、シーフードが中心だった。

「9月中旬の時点で、チーム全員が一緒に氷に乗っての練習は1回も行われていないんです」と佐藤。リーグ開幕が正式に決まり、全体練習が始まった時が戦いのスタートだ。プロになるためには、まずチーム内の競争に勝たなければならない。大学最後の夏休みも東京には戻らず、ひたすらアイスホッケーと向き合った佐藤。あくまで落ち着きを保ちながら、静かに「そのとき」を待っている。

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