同志社大応援団・各務理紗、初の女団長が113年の伝統を胸に巻き起こした新風
指導部、チアリーダー部、吹奏楽部の3部から構成され、113年という長い歴史と古き伝統を持つ同志社大學應援團(おうえんだん)。学ランや袴(はかま)をまとい、スタンドからエールを届けるのが指導部だ。その中に1人、ポニーテールを弾ませながら真剣なまなざしで応援し、異彩を放つ者がいた。同志社大学で史上初の女團長を務めた各務(かがみ)理紗(4年、横浜雙葉)だ。
「女指導部員は今まで1人もいない」の言葉で決意
中学、高校ではテニス部に所属していた各務。大学では新たな競技をしてみたいと思っていた。そんな時に学ランを着た應援團の先輩から勧誘を受ける。最初は應援團チアリーダー部の勧誘を受けていると思っていたが、話を聞いてみると当時男子部員しかいなかった指導部の勧誘だった。「100年以上の歴史を持ちながらも、女指導部員は今まで1人もいない」。この言葉を聞いた時、素直に「面白そう」と感じた。
誰も成し遂げたことがないことに挑戦し、やり遂げたい。彼女の心に火がついた。しかし、「途中でつらくなってやめてしまうくらいなら、4年間確実に続けられるような部を選んだ方がいい」と多くの人から反対された。それでもぶれることのない信念を持ち、入部を決めた。
コロナ禍での3年目、YouTubeに着目
1年生の時はとにかくついていくことに必死だった。中高の部活動の経験から体力には自信があったが、最初の練習で考えの甘さを痛感。男子部員と全て同じメニューをこなすため、「本当につらいことが多かった」と振り返る。それでもここでやめたら、これまでのつらさと頑張りが無駄になる。そう胸に留め、1カ月、半年、1年と続けてきた。また、体力面で男子部員に助けてもらう分、袴のアイロンやほつれ直しを進んでこなしてきた。
学年が上がるにつれ、指導部員としてついていくだけではなく、自分にできることを率先して行動に移すようになった。3年生になってからはコロナウイルスの影響で例年のように応援活動ができなくなったが、様々な工夫を凝らし、新たな應援團の在り方を模索した。
特に力を入れたのがYouTubeでの活動だ。応援様子の動画だけでなく、指導部員それぞれの個性が光った企画が多く見られた。その中でも各務は幼少期の頃から続けているピアノを披露したり、女子大生らしさが垣間見えるモーニングルーティンを撮影したりと大きな反響を呼んだ。
最終学年に近づくにつれ、「同志社大學應援團がもっとこういう風になったらいいのに」という理想像が見え始める。それを実現するためには自分が役職に就いて運営する必要があると感じるようになった。入部当初の「4年間やり遂げる」という目標は、次第に「自分が團長になって組織を改革しなければいけない」という心情に変わっていった。そして、同志社大學第113代團長に就任。最後の1年が始まった。
全身全霊の「ガンバレ」を届ける
「周りから見れば珍しく見えるかもしれないが、女子の團長だから苦労したことはなかった」。男女の壁を感じることなく、与えられた使命を遂行した。「自分の決断が間違ってしまったら、歴史が崩れてしまうという責任感があった」と一つひとつに重責を感じていた。しかし、各務はこれまで培われてきた伝統に縛られるのではなく、長い歴史をどう生かすかを念頭に置き、新たな應援團の在り方を築いた。
精神面でも体力面でも鍛えることを怠らない。全身全霊の「ガンバレ」を同志社大学体育会のヒーローたちに送り続けた。秋の硬式野球部の同立戦では、観客と一緒に盛り上げられるような工夫を凝らす。同志社大らしい、選手と應援團と観客が一体となった活気あふれるスタンドを作り上げた。
應援團が主役の引退ステージ「ATOM FESTIVAL」では、笑顔を輝かせ感謝の意を表し、4年間の團活動に終止符を打った。
「自分はそれ以上の努力をしなければならない」
「頑張っている人を応援するためには、自分はそれ以上の努力をしなければならない」という精神を持ち続けた各務。誰かのために身を削って努力し、頑張り続けることの大変さと楽しさを学んだ。結果を出すのはあくまでも体育会の選手たち。目に見える形で努力の成果は現れないことも多かった。それでも應援團は選手の活力に火をともし、頑張るモチベーションを最大限に引き出し続ける。
各務は同志社應援團に新風を巻き起こし、長い歴史に名を刻んだ。人生最大の挑戦を完遂した各務は、新天地でも輝き続けるに違いない。