アメフト

特集:駆け抜けた4years.2022

明治大・櫻井太智、正QBは後輩へ 「チーム」に捧げた兼オフェンスコーディネーター

最終節・中央大戦で、プレーコールをする櫻井(写真は本人提供)

2021シーズン、関東リーグ1部TOP8を4位で戦い抜いた明治大学グリフィンズ。激戦の裏で、チームのために奔走した1人の4年生がいた。櫻井太智(4年、佼成学園)。長年クオーターバック(QB)としてプレーする中で蓄えられた経験と知識をもって、的確なプレーコールでチームを導いた。QB兼オフェンスコーディネーター。2つの役割の間でもがきながら、チームのために駆け抜けたラストイヤーだった。

フットボール漬けの少年時代

フットボールとの出会いは小学2年生の時。当時通っていた水泳教室のコーチが立ち上げた、フラッグフットボールチームの体験練習に誘われたことがきっかけだ。「ボールを初めて投げた時に、きれいにスパイラルがかかって。それが自分の中でうれしくて」。すっかり楕円(だえん)球のとりこになった櫻井。大人の手を借りず自分たちで作戦を考えてプレーすることが楽しく、どんどんフットボールにのめり込んでいった。進学した地元の中学校にはアメフト部がなかったため、実家から相模原のクラブチームまでは片道2時間かけて通う日々を送った。

中学時代はクラブチームでタッチフットボールに励んだ(中央が櫻井、写真は本人提供)

クリスマスボウル連覇、エース野沢の影でもがく

高校は満を持してアメフトの強豪・佼成学園高校(東京)へ。入部当初の希望ポジションは、もちろん幼少期から慣れ親しんだQBだ。しかし、人数が多かったこともありワイドレシーバー(WR)にコンバートされた。「レシーバーとしてでもスターターになるために、自分自身努力しました。体が小さかったため、ブロックができないと試合には出られないなと思い、ブロックの練習ひたすらやりました」。がむしゃらな努力が実り、秋シーズンの初戦ではスターターを勝ち取ってみせた。

2年生になると本職のQBに復帰できたが、2021シーズンに立命館大学のエースとして活躍した野沢研(4年、佼成学園)が同期にいたことで、なかなか日の目を浴びることはなかった。「研は別格。最初は抜かそうと思っていたけれど、研と違うことをやろうと思って。オプションプレーを頑張っていたら、監督もそこをほめくれた」。あえて野沢とは違う武器を磨くことで、監督の信頼を勝ち取る。1本目ではないものの、野沢とのローテーションで試合に出られるようになった。

野沢と櫻井を攻撃の中心に据えた佼成学園はめきめきと力をつけ、ついにクリスマスボウルで初優勝。櫻井も決して多くはない出番をモノにし、磨いてきたオプションのランでビッグゲインするなどチームに貢献した。その後、急きょ野沢の代役として出場したニューイヤーボウルでは堂々の最優秀選手賞を受賞し、最終学年ではクリスマスボウルの連覇も成し遂げた。一見、順風満帆な高校生活だが「挫折は高校3年間です。順調に見えて、意外と自分の中で満足はしていなくて。やはり研がいたから自分自身あまり日の目を見ることがなく、1本目でも出られなかった」。選手としての自分の立ち位置に苦悩する3年間だった。

佼成学園のクリスマスボウル初優勝に貢献した(写真は本人提供)

「チームを勝たせる」ことに尽くした4年間

複数の大学から声をかけられたが、最終的に明治大への進学を決めた。「明治大の方針である“学生主体”は幼少期のチームと通ずるところがあり、また同じ環境でやれることもいいかなって」。小学生の頃の経験が決め手となった。しかし大学入学後も、1学年上にエースQBの西本晟がいたことで1本目になれなかった。

2年生の秋季リーグ戦後半には、西本のけがによる離脱を埋める形でチームを救ったが、総じて出場機会には恵まれなかった。それでも長年のフットボール経験で培った知識を生かし、下級生の時から戦術面で意見を出すなど、フィールド外でチームに貢献するようになっていく。3年生の夏頃からは本格的にチームの戦術を考えるようになり、最終学年になるとオフェンスリーダーを任せられた。

しかし「想像以上に大変だった。自分は1人しかいないので、選手である自分に割く時間と、チームのために割かなくてはいけない時間があって。そこに就活も入ってきて、もう地獄みたいでした」。ラストイヤーにして人生最大の試練が立ちはだかった。

更に秋シーズンを迎えるにあたって、櫻井はある重大な選択を迫られる。それは「正QBを誰にするのか」。西本が卒業し、いよいよ正QBになれるはずの櫻井。しかし、迷いが生じていた。チームと就活に時間を割いたことで、個人の技術練習や筋トレが不足し、QBとしてチームを勝たせる自信を持てずにいた。また後輩の吉田拓郎(3年、日大鶴ケ丘)が本格的に台頭し、十分に1本目を張れる実力を備えていたことも、迷いの原因となった。「オフェンスリーダーは自分で色々決められる。だけどそこで自我を出して『俺が行く』と言ってチームが負けても、オフェンスリーダーの仕事としてなっていないのかな」。それでも、オフェンスリーダーである前に自身も1人のQB。「ずっと2番目だった」。学生の集大成の年にようやく目前にした正QBの座。4年生として簡単に譲るわけにはいかない。櫻井は2つの立場の間で葛藤した。

迎えた秋シーズン初戦・東京大学戦。オフェンスラインの後ろに構えていたのは、吉田だった。「色々な人の意見を聞いたり、お互いの長所短所を出し合ったりして。じゃあこういうところがいいから拓郎にしようかって。チームが勝つためには拓郎が出るべきだなというのがあったから。苦しい。苦しかった。もちろん」。苦渋の決断で正QBの座を後輩に譲ることを決めた。サイドラインでヘッドセットを身に着け、指示を出す櫻井。チームを勝たせることに徹した、リーダーとしてあるべき姿がそこにはあった。

学生主体の難しさ、それでも最後は悔いなく

「学生主体」を掲げる明治大では、一般的なチームであれば監督やコーチが引き受ける役割を選手が中心となって担っている。櫻井に任されたのは、オフェンスコーディネーターの役割。実質的なオフェンスの監督だ。櫻井はラストシーズンにQB兼「オフェンスチームの監督」として臨んだ。

櫻井は東京大戦を「シンプルな戦い方をして勝つ」と決めてプレーをコールした。結果、次戦以降に手札を温存しながら手堅く勝利した。更にその戦略が功を奏し、桜美林大学戦も快勝。チームを開幕2連勝に導いた。

満を持して迎えた早稲田大学戦。しかし前半、事前に用意したプレーが全く相手にはまらない。「選手全員頭が良くてIQがあるわけではない。それで早稲田大学のコーチ陣に挑んでいるようなもの」。学生主体のチームで勝負する難しさを痛感した。後半、自分たちの原点である「速いランプレー」で追い上げたものの手遅れだった。惜しくも1ポゼッション差で敗戦。追い上げることができたからこそ「もっと早く得意なプレーを出していれば」。プレーコーラーとして、戦術面での完敗に悔しさが込み上げた。

「甲子園ボウルまで見据えて準備をしていた作戦が色々あったし、負けるとも思っていなかった。これからどうしたらいいんだろうって。ずっとボーっとしていた」。甲子園ボウルへの道が途絶え、最終戦を間近に控える中、櫻井はなかなか気持ちを切り替えられずにいた。それでも「4年生だけでミーティングをした時に、意外とみんな引きずっていなくて、じゃあ俺も切り替えなきゃなって。自分が切り替えないとチームにも影響が出るし、チームが前に進まないから」。4年間苦楽をともにした同期の姿を見て立ち直ることができた。

櫻井(右端)はオフェンスリーダーとして、ハドルで選手たちの士気を高めた(撮影・北川直樹)

引退試合はたったの2プレーでも「後悔はない」

引退試合となった最終節・中央大学戦。後輩たちの腕や顔には、ペンで櫻井の背番号である8の文字。試合前の最初のハドルで見えた、涙を流す吉田の姿。後輩からの櫻井に対する感謝の気持ちを直で感じ、苦しかった1年間が報われた。

試合は終盤、残り時間わずかで逆転を許したところで櫻井に出番が回ってくる。16ヤードのパスとスペシャルプレー。たったの2プレーだったが「最初のプレーはいいボールが出せたし、後悔はない」。試合には敗れたものの、最後は自らフィールドに立ち、1人のQBとしての役割を全うした。「頑張ってきて良かったな」。学生主体の難しい環境の中、常にチームの勝利を第一に考え、苦しんできた櫻井のラストイヤーは、解放感と寂しさの涙とともに幕を下ろした。

最後はフィールドに出てQBとしてやり切った

社会人での競技継続については「考え中です」。小学2年生から大学4年生まで慣れ親しんだフットボールから、すんなりとお別れすることは難しいようだ。「社会人でもやるか、コーチになるか、新しいアメフトチームを作るのも面白そうだなと思っています」。長い競技人生を通して、誰よりもアメフトに没頭し、様々な角度からアメフトを見てきた櫻井らしい答えだった。

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