野球

特集:駆け抜けた4years.2022

駒澤大学・新田旬希 ブレない信念を胸に、大学4年間を経てその先の見据える夢へ

名門チームを全力で引っ張った新田旬希主将(撮影・全て駒澤大学スポーツ新聞)

東都大学野球1部リーグに所属する駒澤大学。近年こそ優勝から遠ざかっているが、通算27度のリーグ優勝、11度の大学日本一(全日本大学選手権6度優勝、明治神宮大会5度優勝)を誇り、数々の名選手をプロ野球界に輩出してきた名門である。そんな駒大野球部で2021年主将を務めたのが新田旬希(4年、呉)だ。新田は身長185㎝、体重90kgで、走攻守の三拍子揃った大型内野手。主将立候補を、監督に自ら直訴するほど責任感は強く、持ち前のリーダーシップで駒大野球部をこれまで引っ張ってきた。そんな新田が、大学での4年間を通して学んだこと、そしてその先に見据えるものとはなんだろうか。

主将として戦った1年間

主将になって迎えた令和3年度の春季リーグ戦。結果は4位、個人の成績は打率こそ高くはないものの、得点圏ではしっかりと走者を返すなど、チーム二番目の7打点をたたき出した。だがチームの目標はあくまで優勝であり、最下位脱出ではない。新田はこの結果に満足することはなかった。

「今の力では東都で絶対勝てない。チームの力で勝つためには、声や雰囲気、やることをしっかりやる。そう意識するように皆に伝えてきた」と春季リーグを終えて、新田は部員にこう伝えてきたという。優勝という共通の目標があって、そこに部員全員が一丸となり向かっていく、そういうチームを新田は目指してきたのである。

迎えた秋季リーグ戦、結果は2位。優勝こそ逃しはしたが、実に5季ぶりとなる勝ち越しを決めた。新田自身も.333と打率を大幅に上昇させた。惜しくもタイトル受賞とはならなかったが、それでも自身の大学野球人生で最後のリーグで、主将としてチームを引っ張る姿、そして野球を楽しんではつらつとプレーする姿は誰よりも輝いていた。

攻守に自ら率先して動いた

基本はセンター返し

最後のリーグ戦を控えたなかで、新田自身はどんな練習をメインにしていたのかを尋ねると「大学に入り体格も大きくなってきていたなかで、どうしても長打を打ちたいという欲があった。そこでセンター返しを基本におき、センターに打つにはどうしたらよいかという練習をコーチと確認しながらやっていた」と答えてくれた。また三振の数を減らすために、コーチと相談しながら、バットの軌道や下半身の使い方などを一から見直すことにも取り組んでいたという。

黙々と打撃の課題と向き合ってきた

基本はセンター返し、ヒットの延長がホームラン――新田のバッティング理論にはこの言葉がある。このブレない信念のもと、新田はこれまで日々の練習に向かい合い自分と戦ってきたのだ。また、昨今のコロナウイルスの影響により思うように練習ができないなかでも、常に自身の課題に向き合ってきた。

夢に向かって

令和3年度秋季リーグを終えて4年生は引退した。もちろん、野球という競技から引退してそれぞれの道へ進む者もいれば、鵜飼航丞(こうすけ、4年、中京大中京)のようにプロへ進む者、社会人野球で競技を続ける者もいる。新田は卒業後、社会人野球へと進むつもりだ。そして、そう決断した裏には、その先に見据えるものがあるという。

2021年10月11日、プロ野球の新人選手選択(ドラフト)会議が行われた。駒大からプロ野球志望届を提出したのは、新田と鵜飼の2人。鵜飼は中日ドラゴンズから2位指名を受けプロへの切符をつかんだが、一方で新田が指名されることはなかった。その後、ドラフトが終わってから約2カ月が経った12月、新田に取材することができた。さぞ悔しいであろうと思いながらも、心境について尋ねると「次のステージにむけて切り替えている」と語った。新田はすでに前を向いていたのだ。

新田は大学卒業後は社会人野球へと進む

プロ野球選手になる。それこそが新田の「その先に見据えるもの」であり、夢だ。そのためにまずは活躍の場を大学野球から社会人野球へ移す。コロナ禍で練習・モチベーションを維持するのに難しい時期であっても「今じゃなくて将来のことをずっと見据えてやっていた」と常に前を向いて野球に取り組んできた新田だ。きっと今、この瞬間もプロになるために必死に練習しているのであろう。一足先にプロの世界に飛び込んだ友を追いかけて、新田は夢へと突き進む。

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