陸上・駅伝

東洋大・前田義弘新主将、箱根駅伝総合優勝のために甘えを絶つ 伝統に色を上乗せして

副将として東洋大を支えてきた前田はラストイヤー、主将として引っ張っていく(撮影・藤井みさ)

前田義弘(4年、東洋大牛久)が東洋大学の主将を引き継ぐにあたり、思い描いたのは1年生の時に主将を務めた相澤晃(旭化成)の姿だった。「相澤さんのように自分も背中や行動で示していけるようなキャプテンになりたいです」。前主将の宮下隼人(現・コニカミノルタへ)からは「苦労することもあるだろうけど、お前ならできるから頑張れ」と託された。先輩たちが築いてくれた伝統を継承し、更に自分たちの色を上乗せしながら新チームを引っ張っていく。

東洋大牛久で感じた30秒の壁

前田は小学生の時に野球を始め、中学でも野球部に入部。ただ駅伝に力を入れていた学校だったこともあり、前田は中1の時からシーズンオフの間は駅伝部に駆り出され、駅伝大会に出場していた。中3の夏に最後の総体を終え、野球部を引退。その夏から本格的に走り始めた。野球自体は好きではあったがなかなか結果が出ていなかった中、陸上は走る度に記録が伸び、達成感も感じられた。

高校に進んでからは迷うことなく陸上部へ。東洋大学附属牛久高校(茨城)を選んだのも、その先に東洋大への進学を見すえてのことだった。「中3だった時に東洋大学が全日本大学駅伝で初優勝したんですけど、その先輩たちの粘り強い諦めない走りを見て、自分もそんな走りをしたいなと思ったんです。誰か一人とかではなく、東洋大学の攻めの走りに憧れを持っていました」。陸上との出会いが駅伝だったこともあり、トラックよりも駅伝に魅力を感じ、自然と箱根駅伝に出たいと思うようになった。

チームの目標は全国高校駅伝(都大路)初出場。高3になった2018年は戦力的にも狙えるという思いが前田にもあり、都大路につながる茨城県高校駅伝で1区で自分が区間賞をとって流れを作ろうと考えていた。しかし水城高校の長山勇貴(現・順天堂大4年)に30秒差をつけられての区間2位。東洋大牛久は1位の水城に24秒差で2位だった。「すごく自分の責任を感じましたし、そのレースが高校3年間で一番記憶に残っています」。翌19年、東洋大牛久は県駅伝で11連覇がかかっていた水城を30秒差で破り、都大路初出場をつかんだ。後輩たちが歓喜する姿を見て、前田は改めて一人ひとりが削り出す1秒の重みを感じた。

コロナで実感した「当たり前」のありがたみ

大学は希望通り、東洋大へ進学。入学した時だけでなく今も、「東洋大学で陸上ができていることに幸せを感じています」と前田ははにかみながら明かす。

初めての箱根駅伝で前田(右)はあまりの歓声に圧倒された(撮影・松永早弥香)

慣れない寮生活や練習量が増えたことに当初は戸惑いや苦労があったが、1年目に全日本大学駅伝で学生駅伝デビューを果たす。憧れのユニホームを着て走れる喜びをかみしめた。ただ2位で受け取った襷(たすき)を7区に5位で渡すことになり、チームに対して申し訳ないと感じた。

そこからスタミナ練習に取り組み、1年生ながら箱根駅伝のメンバー入りを果たす。中3の時から現地で応援してきたレースを今後は自分が走る。7区の蝦夷森章太(現・トーエネック)から襷を受け取り、走る自分に向けられた歓声の大きさに驚き、「自分たちはすごい舞台で競技をしているんだな」と改めて実感した。初の箱根路は区間6位。持てる力は出し切ったが、まだまだ実力がないと前田は思い知った。

2年目の20年は新型コロナウイルスの影響で様々な大会が中止・延期となった。みんなと一緒に練習することもできない。「それまで当たり前にできていたことができなくなって、これまでの環境の大切さを再認識できましたし、コロナ禍になる前よりも感謝の気持ちをもって様々なことに向き合えるようになったと思います」。出雲駅伝は中止になったが、全日本大学駅伝は開催され、東洋大の選手たちは皆、「感謝の気持ちを表すような走りをしよう」と心に決めて出走した。全日本大学駅伝で前田は4区区間4位。箱根駅伝では3区区間8位、東洋大は往路2位と力を示した。

10000mで初の28分台でも「全然です」

3年生になるにあたり、前田は酒井俊幸監督から「宮下をサポートして、下級生を引っ張ってほしい」と言われ、副将を任された。主将の宮下はけがで走れない期間が続いていたこともあり、前田は自分が練習中も走りで引っ張り、声かけをしようと心に決めた。だが東洋大は宮下だけでなく主力選手のけがが相次ぎ、昨年5月の関東インカレでは長距離種目で0点(入賞なし)。前田はハーフマラソン男子1部で13位だった。

7月にはホクレン・ディスタンスチャレンジ5000mで14分05秒72と自己ベストをマーク。夏合宿にはペースを速めた25kmジョグなど、自発的に距離を踏んできた。9月の日本インカレ10000mでは28分57秒80と自己ベストを10秒以上更新するタイムをたたき出したが、「狙っていた28分台だったけど、今の大学生のレベルからしたら全然です」と満足していない。

前田は関東インカレの悔しさも日本インカレにぶつけて初の28分台をマークし。喜びよりも得点をとれなかった申し訳なさを感じていた(撮影・藤井みさ)

2年ぶりに開催された出雲駅伝では3区区間6位、全日本大学駅伝では2区区間8位。特に全日本大学駅伝はけがに苦しんできた宮下の復帰戦だった。宮下は主将として、唯一の4年生としての責任を胸にアンカーを務め、10位でゴール。14大会ぶりにシード権を落とし、泣き崩れる宮下の姿を見て、「宮下さんに全て背負わせてしまった」と前田は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

蝦夷森さんからの「頼むぞ!」

箱根駅伝に向け、酒井監督や酒井瑞穂コーチは合宿中にミーティングを重ねて行い、チームの歴史やスピリッツを改めて皆の前で話した。「自分たちが着ているユニホームの重みを再認識し、それを力に変えていこうと全員が気持ちを入れ替え、意識の変化もそこから始まったと思います」。目標は変えず「箱根駅伝往路優勝、総合3位以上」。前田は自分の走りを見つめ直し、後半に崩れてしまう課題に向き合い、フィジカルトレーニングに時間を割いた。

迎えた箱根駅伝、東洋大は9位で往路を終えた。「復路は23km級の区間も2つあるし、諦めない走りをしたら総合3位以内も可能だなと思っていたので、逆に燃えました」と前田。23.1kmの9区に向けて、万全の状態を整えていた。

3度目の箱根駅伝で前田は初めての箱根駅伝と同じく蝦夷森から襷を受け取った。最後の箱根駅伝にかけてきた蝦夷森は区間4位と快走し、7位の帝京大学と4秒差、8位の東海大学と1秒差での9位で戸塚中継所に飛び込んだ。蝦夷森は襷を渡す瞬間、「頼むぞ!」と大きな声で言った。「蝦夷森さんはあまりそういう情熱的なことを言うタイプではないので、本番でいきなり言われてぐっとくるものがありました」と前田は言う。いつもであれば15kmを過ぎるとペースが落ちていたが、ラスト1kmでもペースを守り、区間5位の走りで順位を7位に引き上げた。アンカーの清野太雅(現・4年、喜多方)も区間2位と快走し、東洋大は総合4位、復路2位だった。

同部屋でもあった蝦夷森(左)から「頼むぞ!」と言われ、気持ちが引き締まった(撮影・松永早弥香)

相澤さんのようなリーダーシップはなくても

東洋大では特に副将が主将を担うという流れはないが、前田には主将を打診される予感があったという。酒井監督に「副将の児玉悠輔(4年、東北)としっかりチーム全体をまとめてほしい」と言われ、気持ちが引き締まった。前田はこれまで主将を任されたことが一度もなく、「人前で話すのもあまり得意ではないんです」と明かし、この1年を通して人としても成長していきたいと考えている。

主将としてどんなチームを作っていくか。そう考えた時に前田にはまだまだチーム内に「甘さ」があると感じた。「箱根駅伝優勝を目指すのであれば、甘さに目をつぶることはできない。今年はメリハリをつけて、雰囲気を高めてやっていこうと考えています」

ラストイヤーは区間賞の走りでチームへの貢献を目指す(撮影・森田博志)

ただ前田自身、かつて相澤が主将として見せてくれたような“とてつもないリーダーシップ”はないと感じている。だからこそ一人ひとりがリーダーシップを発揮できるように自分が促してく。主将一人が取り組むのではなく、新4年生が中心になってチームを引っ張っていく。そのために児玉副将や田中智也主務(4年、鎮西)たちと毎夜話し合いながら、新チームの方針を定めてきた。

チームの目標は「箱根駅伝総合優勝」。そのために前田は学生3大駅伝で区間賞を狙う。前主将の宮下は趣味であるお菓子作りで、部員たちにお菓子を振る舞う“サプライズ”をしてくれることもあった。主将として前田も何か考えているかとたずねると、「自分は不器用なので、これから考えていきます」と笑顔で話してくれた。伝統を受け継ぎ、自分たちだからこそのできる東洋大学の姿を見せていく。

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