陸上・駅伝

明治大・小澤大輝新主将「ゼロからの挑戦」を胸に、箱根駅伝で勝てるチームを作る

3年目に花開いた小澤はラストイヤー、主将としてチームを支える(撮影・藤井みさ)

今年の箱根駅伝で明治大学は「総合5位以内」を目標に掲げていた。しかし往路から流れを作れず、総合14位でゴール。「自分のことよりも、きよとさんを笑顔で送り出せなかったことが悔しくて……」。新主将の小澤大輝(4年、韮山)の胸には、チームを支えてきた前主将の鈴木聖人(現・旭化成)への恩に報いることができなかった悔しさがずっと残っている。箱根駅伝の借りは箱根駅伝でしか返せない。シード権獲得は絶対条件。そのための挑戦はもう始まっている。

中学時代は陸上とテニスとサッカー

サッカー少年だった小澤は、小6の時に地元・静岡のしずおか市町対抗駅伝で1位になったことをきっかけにして、中学から陸上を始めた。初めから走るのが好きだったわけではない。むしろ嫌いだった。「だって苦しいじゃないですか」。深良中学校には陸上部もサッカー部もなかったため、テニス部に入部。陸上とサッカーはクラブチームに通った。最初はスケジュール管理をしながら3つともこなしていたが、学年が上がるにつれて勉強時間が足りなくなり、何かをやめなければいけなくなった。部活はやめられない。だったらと、記録が伸び始めていた陸上を選んだ。

陸上クラブ「STFC」に長距離選手は小澤ともう1人という状況ではあったが、市内の先生たちがアドバイスをくれ、家に帰れば父が練習相手になってくれた。父は陸上経験者ではなかったが、サッカーをしていた時も、陸上を選んだ時も、小澤のやる気を後押ししてくれた。「山へ走りに行く時は後ろから車で追いかけてくれました。母も自分がやりたいことを応援してくれ、理解のある両親でした」。中3の時には全中3000mで6位、ジュニアオリンピック3000mで2位と結果を残している。

高校は全国高校駅伝(都大路)にも出場している同じ静岡県内の加藤学園高校に進むことも考えたが、「自分で新しい道を切りひらきたい」と韮山高校を選んだ。祖父の出身校で身近に感じていた高校でもあり、川口雅司監督の熱心な指導にも引かれた。また、静岡から一緒に全中に出場した小木曽竜盛(現・中央大4年)、河田太一平(現・法政大4年)、渡邉良太(現・北里大4年)たちも韮山に進むと知り、「もしかしたら強くなるんじゃないか」という期待があった。

67年ぶりの都大路出場

韮山は毎年、東大・京大など難関校の合格者を出す進学校。課題はもちろん、日々の予習・復習に追われ、寝るのは決まって日付けが変わった後だった。練習時間が限られていたこともあり、ジョグもスピードを上げて取り組んでいた。「今思えば大変な毎日でしたが、充実した3年間だったと思います」。高3の夏、インターハイがかかった東海総体で小澤は1500mと5000mに出場。1500mは決勝で7位となり、6位までが出場できるインターハイを逃した。その悔しさを5000mにぶつけ、2位の近藤幸太郎(当時・豊川工高3年、現・青山学院大4年)に競り勝って優勝。インターハイよりも記憶に残るレースとなった。

小澤(前から2人目)はエースとしてチームを都大路に導いた(撮影・山口裕起)

もう1つ、小澤の陸上人生を決定づけたと言っても過言ではないレースがある。高3の12月、都大路出場がかかった静岡県駅伝。4区の小澤が区間賞の走りで浜松日体高校を抜いて首位に立ち、5区以降も粘りの走りで首位を守って優勝し、67年ぶり3回目の都大路出場をつかんだ。「いろんな方々が応援・支援してくださり、感謝の気持ちを込めて走らないといけないと思いました」。都大路ではエース区間の1区(10km)を走り、7km地点まで続く長い上りで苦しくなったが、最後まで粘り、14位で襷(たすき)リレー。韮山は19位だった。

「本当にきつくてつらかったけど、都大路には楽しいという気持ちしかないです。できるならもう1回走りたかったぐらい。高1~2年生の時は勉強と部活の両立が難しくて、少し伸び悩んで、自信をなくしていたんですけど、都大路に出て、全国の強豪選手と競い合えて、自信を持って次のステージに行けるなと思えるようになりました」

相次ぐけがに苦しみ、生活や練習を見直す

大学は最初に声をかけてもらった明治大へ。山本佑樹駅伝監督が同じ静岡出身だったことにも縁を感じた。大学での目標は、陸上を始めた時から思い描いていた「箱根駅伝を走ること」。結果的に小澤は推薦で進学したが、もし声をかけてもらえなかったとしても、一般受験で箱根駅伝出場校に進み、箱根駅伝を目指して走ろうと決めていたという。

初めての寮生活は先輩たちのおかげですぐになじめた。それまで他のスポーツや勉強と並行して陸上をしてきた小澤にとって、初めて陸上に専念できる環境。しかし練習時間が短かった高校とは違って走る距離が一気に増え、1年生での箱根駅伝の直前に疲労骨折をしてしまった。その疲労骨折は他のけがを誘発し、練習に復帰できたのは2年生の9月だった。「1年目から駅伝を走る気でいたのに、なんでけがをしてしまったんだろうって……。そんなに長くかかるとは思ってませんでした」

けがで走れない期間、小澤は日常生活の一つひとつを見直し、競技力向上につなげた(撮影・松永早弥香)

けがをきっかけに普段の生活や練習に取り組む姿勢を見直した。高校時代から睡眠時間が短かった小澤は、大学でも消灯時間が過ぎても起きていることが多かったが、今は基本7時間、短くても6時間は確保することを心がけている。食事もバランスを考え、特に納豆は1日2回。栄養が足りない分はサプリメントで補っている。練習では少し速めのジョグをしていたが、2つ上の小袖英人(現・Honda)に「ゆっくりのジョグも意外と足を鍛えられるんだよ」と教えてもらってからは、練習を継続することを念頭に置き、今の状況の中でできることを一つひとつ取り組んでいこうと切り替えた。

初の学生駅伝で感じた喜びと悔しさ

その結果が3年目に出始める。昨年5月の関東インカレ男子2部ハーフマラソンで5位入賞。10月の箱根駅伝予選会ではチーム内7位の26位。その2週間後にあった全日本大学駅伝では、4区区間3位の走りで順位を6位から3位に押し上げ、7位でのシード権獲得に貢献した。小澤にとっては初の学生駅伝。「久しぶりの駅伝で、駅伝を走る感覚を思い出すのに時間がかかりました」と笑いながら明かす。10km級の駅伝を走るのは初でもあったが、「1秒1秒を楽しんで走れました」と振り返る。継続して練習をできたことが自信となり、快走を引き出した。

箱根駅伝予選会を「全日本大学駅伝に向けたポイント練習の一環」と捉え、駅伝に備えた(撮影・藤井みさ)

箱根駅伝で小澤が希望したのは、1年生の時に走るはずだった4区。山本駅伝監督に打診をされたのが4区だったこともあるが、往路で勝負したいという思いがあり、4区を意識して練習を積んできた。

明治大としては1区を手嶋杏丞(現・旭化成)、2区を鈴木とダブルエースで流れを作る作戦だった。遅くとも自分のところには10位で襷が渡ってくるだろう。そう構えていた小澤にとって、16位は想定外だった。焦る気持ちもあったが、続く5区には同じく初の箱根路となる下條乃将(現4年、東京実業)が控えていることもあり、「下條に負担をかけさせられないし、自分がなんとしてもやってやるぞ」と覚悟を決めた。

前を行く神奈川大学とは44秒差。想定よりも速いペースで入り、徐々に差をつめていく。神奈川大の前を走っていた日本体育大学も抜き、最後は14位で襷リレー。区間7位を「区間5位と10秒差もない。これが実力かな」と悔しさをもって受け止めた。

歴代の主将に比べ、「苦労した期間が長い」自分だから

明治大としては箱根駅伝にベストコンディションで臨んだはずだった。シード権を獲得した中央大学と法政大学には、箱根駅伝予選会でも全日本大学駅伝でも勝っていたチームだ。「箱根という大事な舞台で負けてしまうのは、何かしらチームに問題があるということ。チームの形、動き、伝統、あらゆることを変えていかないといけないと思いました」。2021年シーズン、明治大は勝ちきる強さを求め、トラックシーズンから結果を出してきた。だが2022年シーズンは箱根駅伝を最大目標に据え、「箱根でシードを絶対とって卒業しよう」と小澤たちの代は話している。

同じく初の箱根駅伝を走る下條(左)のためにも、小澤は「最初から最後まで全力。無我夢中でした」(撮影・北川直樹)

小澤は主将就任とともに「ゼロからの挑戦」を掲げ、様々な改革に着手した。例えば、先月の反省や今月の目標などを記した目標シートは、それまで選ばれた数人が月一で発表していたが、寮内掲示に切り替え、見える化と意識付けを促した。更に全員、箱根駅駅伝で走りたい区間を明記。「走力的に箱根駅伝を走るのが難しい選手もいるかもしれないけど、みんなが自分事として考え、一体感を持って戦う上で必要なことだなと思ったんです」。また、これまでは各自でしていたアップや体操、補強を全員で取り組むようにした。特に補強はけが予防の観点からも、全員が意識して取り組んでほしいという思いもある。「こうしたことがチームにとってプラスなのかマイナスなのかは結果が出ないと分からないところだけど、今のままでは駄目だと全員が認識しているし、そのための行動をしていかないといけないと分かっているはずです」

小澤自身のラストイヤーの目標も、箱根駅伝で結果を出すこと。「個人のための1年ではなくて、箱根で強い明治を取り戻すための1年にしたいです」。チームのためにエース区間の2区を走ることも、差が出やすい難所の5区を走ることも、ためらいはない。「他に適任者がいれば任せますが、もしいなければ自分がキャプテンとしてしっかり走ることでチームを支えたいです」。上りに苦手意識はないが、得意というわけでもない。だからこそそのための準備を始めている。

明治大の歴代の主将たちは下級生の頃から結果を出してきた選手たちだった。「自分が勝っていることがあるとしたら、苦労した期間が長いことだと思います。それをいろんな形でチームに伝えていきたいです」。けがに苦しんだ日々。それでも決して諦めなかった主将が、伝統校に新しい風を吹かせる。

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