明治大・手嶋杏丞、箱根駅伝で「4年間の思いを走りで表せた」 地元・宮崎で再出発
手嶋杏丞(きょうすけ、4年、宮崎日大)は鈴木聖人(きよと、4年、水城)とともに明治大学の顔としてこの1年間チームを引っ張り続けた。集大成となった今年の箱根駅伝で明治大は総合14位、個人では1区区間13位と結果は実らなかったが、「4年間の思いを走りで表せた」。最後にそう語れるまでに紫紺とともに駆け抜けた4年間。それは確かに手嶋を大きくした。
強い決意と振るわぬ結果
手嶋が入学する前年の2017年10月、明治大は箱根駅伝予選会で敗退。まさかの“箱根なし”を突きつけられた。「強い明治にする」。今でも宮崎の実家に置いてある絵馬には手嶋の強い決意が刻まれている。
強い決意とは裏腹に、入学直後は決して順風満帆とは言えなかった。5000m13分台で入学してきた鈴木をライバル視し常に食らいつくも、いつもメンバーに入るのは鈴木だけ。箱根駅伝予選会ではメンバーには入れたが出走できず。全日本大学駅伝はメンバー入りすらかなわなかった。それでも「箱根を走りたい」。悔しさが手嶋を駆り立て、直前のハーフマラソンで1時間3分44秒をたたき出しアピールする。しかし箱根駅伝本番では阿部弘輝(現・住友電工)と当日変更。一方の鈴木は1区を走り、箱根駅伝デビューを飾った。「鈴木は走っているのに自分は走れない」。今までで一番悔しいと振り返るほど、この未出走は手嶋の闘志を燃やすきっかけとなった。
エースの称号が与えた苦楽
2年生での箱根駅伝予選会では、高校時代から大切にしている“積極果敢”な走りがさく裂した。「絶好調なのが自分の体で分かったから、負ける感じがしなかった」。強気な姿勢で日本人トップ集団に付いていき、チーム内トップの全体9位でゴール。当時チームの大黒柱だった阿部に、「あいつは中間層の選手ではなく、もう主力の選手の位置付けで見られる」と言われるほど。手嶋自身も「エースとしての走りをしなければならない」と意識が芽生える。その言葉通り、初の箱根駅伝では3区で5人を抜く区間7位の走りをしてみせた。3年生では日本インカレでトラックの公式戦デビュー。見事10000mで8位入賞し、順調にエース街道を駆け上った。
輝かしい実績には周りからの期待も伴った。2021年1月、明治大は11位で箱根駅伝のシード権を落とした。山本佑樹駅伝監督から「走りの面で引っ張ってほしい」とラストイヤーは駅伝副将に就任。鈴木駅伝主将とともにWエースと称されるようになった。
「結果を残さないといけない」。エースとしての走りが求められていたにもかかわらず、2021年の夏から不調に苦しんだ。箱根駅伝予選会前には「間に合うかどうかは分からない……。無難に走りたい」。自分の走りに自信が持てず、そんなコメントも口にしていた。
夏から一度も走りがはまらないまま駅伝シーズンを迎えたが、ただ不調に沈んでいただけではなかった。箱根駅伝予選会では留学生に付いていくレース展開で、最終的に20位(チーム内5位)でゴール。2週間後の全日本大学駅伝では1区区間9位。決してエース級の爆発力がある走りとは言えない。それでも「今までだったら競り合っても弱気になって『まあいっか』となる時もあった。今年は調子が悪い中でも最後まで勝負したいと意識ができる」。不調でもチームを背負う覚悟があった。
出し切った4年間、新たなステージへ
「箱根が大学の集大成。自分が満足する結果で終えたい」。最後の箱根駅伝へかける思いは人一倍強かった。箱根駅伝1カ月前、不調だけでなく故障にも見舞われる。山本駅伝監督には「このまま練習を休んだら箱根に影響するから、痛みがある中でも走ります」と伝え、Cチームで練習を続けた。「間に合うか、というか間に合わせなきゃいけない」。そんな気負いが実ったのか故障も治り、「箱根には最高の状態で持っていけた」。今までの4年間とチームの思いを一身に。1月2日の大手町のスタートに立った。
「思い切りというのが彼の一番の持ち味」と指揮官も認める積極的な走りを最後の大舞台でも発揮。吉居大和(中央大2年、仙台育英)が序盤から抜け出したが、手嶋も第2集団を引っ張り続けた。最後の学生駅伝、襷(たすき)リレーの相手はここまで常に切磋琢磨(せっさたくま)し、実業団先も同じ鈴木。何としてもいい位置で渡すため、ラスト3kmまでは2位集団の中で粘ったが、六郷橋から遅れ出し、13位で襷を渡した。「結果は伴わなかったが今までで一番出し切ったレース」。当初の目標であった区間賞には届かなかった。それでも悔いのない手嶋らしさが詰まった鶴見までの21.3kmだった。
「本当に4年間で人生の変わるような結果を出せた」。入学当初は無名の選手だったところからエースへと躍進。自分が思い描いていた以上に成長させてくれた4年間。「明治大学に入って良かった」。手嶋杏丞物語・東京編はこれで終幕。ここからは地元・宮崎を拠点とする旭化成へ活躍の場を移す。高校時代から憧れだった名門チームで刻まれる、新たなページに期待して。